狂い咲き 弐
すっかり痩せてしまった手を軽く握る。
すると、その手が強く握り返してきた。
綺麗な横顔は無表情だ。
今日は菊君が長い入院生活から退院する日。
まだ包帯は取れていないけれど、かなり回復したらしい。
「このまま菊君の家に向かっていいんだね?」
「……はい。」
そんなにショックだったのか、耀君のこと。
まぁ、わからなくもない。
先に傷つけたのが菊君だとしても、
信じていたものに裏切られるのは…辛い。
いや、辛いどころの話じゃないだろう。
「…それじゃ行こっか。」
久しぶりの我が家だ。
すべて入院前と同じ、埃一つない。
「誰が掃除してくれたんでしょう……?」
「この家にいる誰かとか?」
「私、一人暮らしです……」
そんな会話をしながら部屋に入る。
「今日はどうされます?」
「うーん…。泊ってもいい?」
「…はいっ!」
前なら善処しているはずだが、私を必要としてくれるなら…
とても……とても……うれしかった。
「……菊君のところにも冬は来るんだね。」
「…えぇ。」
退院して数か月。
外ではチラホラと雪が舞い始めた。
彼はお茶を入れてきたらしい。
飲みます?、というふうに湯飲みを差し出した。
その目に…光は、映っている。
発作は起きていないみたいだ。
発作というのは菊君の目に光が宿らなくなったときのことだ。
そうなったとき、彼は僕のことを欲する…
つまり僕なしでは生きていけない状態になる。
…僕が勝手にそう呼んでるだけ。
(プルルル…プルルル…)
「あ、電話ですね。失礼します。」
スッと襖を開け部屋を出ていく菊君。
時間かかるかな…と思いつつお茶を飲んでいた。
「イヴァンさん…」
すると彼が襖の隙間から顔を出している。
どうやら僕に何かあるらしい。
「上司の方からです。」
そう言うと菊君は受話器を僕に渡した。
「うん、ありがと。」
「…でいきなりどうしたの?」
「お前、そろそろ帰ってこい。」
「は?」
「何か月そっちにいるつもりだ? 仕事もいっぱい残ってるんだぞ!」
「あー……わかった。帰る! 帰るから!!」
(ガチャンっ!)
「はぁーーー…。ホントウチの上司は…」
「イヴァンさん…帰っちゃうんですか…?」
「う……ん…?」
―――その目に光は映っていない。
「いやですっ! そんなっ! 私…一人になりたくないです!!」
ギュッと僕の服をつかむ。
「一人は…もう…」
泣きそうな声。
「僕も一応、国だし……帰んなきゃ…。ね?」
「いやっ…です!」
しつこい、と一瞬顔をしかめてしまう。
ここまで依存されてホントはうれしいのに。
「……荷物取ってくる。」
「イヴァンさ……」
(ドスン)
溜まりに溜まった荷物を玄関に置く。
「それじゃ、行くね。上司命令だし。」
上司命令に逆らうとどうなるか…
―――僕、まだ死にたくないもの。
「菊君。」
別れの言葉を告げようとして後ろを振り向いた。
(ドスッ……)
「え?」
銀色の刃が僕の身体をコートごと貫いていた。
彼の顔を見ようとする。
―――もちろん、瞳は真っ黒な闇…
「こうすれば…いいんですよね?」
「な、何言ってるのさ…?」
「イヴァンさんが怪我をして…
入院すれば、私のときみたいに一緒にいられます…」
「や…やめて……よ…」
「いやです。もっと…やれば…もっと一緒に………!」
「き……」
自分の身体から真っ赤な血が噴き出した。
そこからは覚えていない。