鬼道くんと大介さん
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気が付けば赤かった空はもうほとんど群青色に染まっていた。
月がひっそりと姿を現し、星がひょっこりと顔を覗かせていた。
付き合ってくれたお礼だ、ジュース奢ってやる、そう言うと背の高いほうの少年は駄菓子屋へ向かって駆けだした。
代金を支払い、気のよさそうな老いた店主から瓶のジュースを二本受け取ると手際よく栓抜きで王冠をはずす。
その様を、マントを羽織ったほうの少年が瞳を煌かせて眺める。
まるで文献や映像でしかみたことのないものごとを、目前で見られたことに感動をしているかのようだった。
オレンジ色のバンダナをしたほうが「王冠、いる?」と訊けば赤い瞳をより一層輝かせた少年は即答した。
「もちろん!」少年はそれを掴み、まじまじと眺めたあと、ポケットに突っ込んだ。
少年たちは、笑った――
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「やっぱ俺の勘は正しかったなー! ここまで上手い奴は初めてだ!」
ブランコを軽くこぎながら大介さんは言った。ジュースはとっくに飲み干して、空いた瓶はブランコの脇に二本並べて置いてある。
上手いも何も、俺たちは世界大会を制したのだから……とは口が裂けても言えなかった。
もしここが本当に過去の、円堂大介の時代だというのならば、下手に未来を示唆するような行動は避けるべきだろう。
「ははっ、ありがとうございます」
「……なーんか、鬼道って俺に遠慮してないか?」
大介さんは両脚をぐいと伸ばした。
俺も軽くブランコをこぐ。ブランコだなんて久々の感触に少し戸惑いつつも、頬にふれる風が汗ばんで熱っぽい体には心地よい。
「そんなつもりは……」
「まあいっか。それよりさ、さっきの必殺技! あれはどうやって――」
「――という練習を主軸に、あとは戦術面で補いつつ――」
「へえ! 面白いなあ。それでさ、もしこうボールがきたら――」
「右から追い込みをかけるのが一番でしょうね。でも相手がこう来たときの場合も踏まえて――」
気が付けば俺たちはブランコからとうに降りていて、そこらに落ちていた木の枝で地面を突きつつ戦術を練り、サッカーを語った。
時折大介さんが関心したように声を漏らす。
「鬼道はすごいな。俺のイッコ下なのに、ここまでサッカーを知り尽くしてる。
鬼道が天才なのはもちろんだけど、鬼道にサッカーを教えてくれた人も凄い人だ」
地面に線を引く手が止まった。
俺に、サッカーを教えてくれたひと? 言うまでもない。
俺にサッカーのすべてを教えてくれたのは……影山総帥だ。
おもわず背筋が針金でも刺さったかのように硬直した。声が、喉が、詰まる。
……そんなの、あなたの口からだなんて卑怯じゃないですか。
急に黙り込んだ俺を、大介さんは気に留めたようだった。
「どうしたんだ? 鬼道」
「……」
「俺、変なこと言ったか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「そっか」
そう言うと大介さんは口を閉じた。
黙ったまま再びブランコに腰をかけ、キィと音を立てこぎはじめる。
変なところで気が利くのも誰かさんとそっくりだった。
もし、もしもだ。
ここで若きころの大介さんに未来のことを全て話すとしよう。
勿論これは俺が今いるこの世界が過去の円堂大介が存在した時代であるという大前提のもとで、だ。
未来のことというのは、円堂守のこと、イナズマイレブンのこと、フットボールフロンティアのこと、……そして、影山零冶のこと、だ。
いま俺が行動を起こせば、未来は変わるかもしれない。
変えるべき・変えないべき、ではない。
変えたいか・変えたくないか、だ。
俺はあの未来を変えたいのか? わからない、だけど。だけど。
いま俺が動けば、未来は変わって、世界が変わる。しかし、その勇気が俺にあるのか?
冷や汗が首筋を伝う。少し乱れた呼吸を整えるために軽く深呼吸をした。
そんな俺の様子を見たのか見てないのかは分からないが、大介さんはこの沈黙を破るようにポツリと口を開いた。
「俺さ、今月末に東京に引っ越すんだ。
転校する学校についてはあんま知らないんだけど、サッカー部はあるらしいから良かったよ。
東京だろ? お前みたいに上手いやつがたくさんいるんだろうなあ」
楽しみだ、陽花戸中の連中とサッカーできなくなるのは寂しいけど。
そう零す大介さんの顔を思わずまじまじと眺めてしまう。寂しそうな中にも、どこか楽しみを待つ子供のような無邪気な表情。
この人はサッカーを心から愛している。そんなこと改めて確認をすることでもないが、
大介さんの思いがひしひしと伝わってきて、つい、目元に熱いものがこみ上げてきた。
胸につかえていた何かが、外れたような気がした。
「……大介さん、今から話すことはただのおとぎ話なんですけど。あまり深く考えないで、よければ聞いてください」
俺は腹をくくって切り出した。
急に風が強く吹いて、俺のマントがはためいた。空いたもう片方のブランコが音を軋ませて揺れる。
ジュースの空き瓶が倒れ、転がる。砂埃がゴーグルで覆われていない裸眼に入って少し染みる。
「……あるところにうっかり悪いことに手を染めた悪い大人がいたんです。
その人は、うっかり不幸な人生を送ってしまっただけなんです。
その人はサッカーが好きだった。でも不器用な人で、本当は好きなのに嫌いだと言い張っていた。
その人は好きだからこそサッカーを悪いことに使った。四十年間も。……人を殺めかけたこともある。
だけど最後の最後には、サッカーを愛する心を思い出したんだ。
その人は悪いことにサッカーを使ったことを謝った」
大介さんは、と言葉をつなぐ。
「その人を許せますか」
「……どうしたんだ、急にそんな話をして」
それは至極まっとうな返事だった。困惑したような表情を浮かべる大介さんの顔を見て、俺は自分の浅はかな行動を恥じた。
いくらなんでも突拍子なさ過ぎだ。とっさに俺は俯いた。
「すみません、やっぱり今のは忘れ」
「俺は許さないな」
「えっ」
顔をぱっと上げると、そこには揺るがない強い意思を持つ瞳が、俺を見据えていた。
「たとえ好きだろうと嫌いだろうと、サッカーを悪いことに使うのは許されない。それって当然だろ?」
でも、と大介さんは続ける。俺はその先の言葉を待った。
「四十年間悪いことをしたなら、その先四十年間良いことをすれば、俺は許すな」
急に風が吹いた。
俺のマントがはためいて、大介さんの前髪がふわりと揺れて、そして砂が巻き起こって、少し目に入った。
ちょっと目に染みて、涙が一粒流れたのを感じた。