彼はしらない
まるでささやきのようなキスが上から落ちてくる。頬に触れ、つぎにさわられたのは柔なまぶただった。やさしさと愛に満ちている、もしかしたら彼はそんなことを言うのかもしれない。実際手つきややり方そのものはひどく丁寧で俺が傷つくのをおそれているとでも思ってしまうようなふしすらあった。それでも俺は彼がこのやり方に込められているものは「やさしさと愛」だなんてかわいらしいものではないと思っている。多分もっと冷ややかで残酷で、それからもしかしたら彼のひとみの鮮やかな色のようにひどくうつくしい。それでも幼い俺にはそれがなんなのかなんてことまでは解らない。彼が何かを言いたいこと、何かを言いたがっていることまでは察することができても、そこから先に踏み込ませてもらえない。たとえその部屋へと入っていくかぎを受け取ることが許されたとしても、多分俺には理解できない。俺は子どもだから? きっとそれもあるだろう。でもそれだけじゃない。彼は「おまえにはわからない」と言うだけで、そこから先以上のことは教えてくれなかった。なんて人なんだろう。そうは思ってみたところで急に成長出来るわけでもなければ、じりじりとにじり寄って背後から寝間着をまくり上げにかかっている手にストップをかけられるわけでもなかった。何せ俺ときたら、体をかたくして色々なものにさいなまれている心臓をなだめようと、必死にくちびるを舐め、息を深く吐き出すくらいしかできなかったんだから。
「ん、っ…」
ほとんど皮膚の上を滑るようなやり方でなで回されるので、自分の上げた声がくすぐったくて思わず漏れたのか、それともそこから先を期待してなのか俺自身にも判別がつかなかった。彼が後ろで小さくため息を吐く。その熱っぽい息が俺の耳をくすぐって、消えていった。
彼は手袋をしたままの手で俺に触れる。なぜと問うことが怖くて、俺は一度も指摘したことがない。その葛藤を彼は知らない。彼は何も知らない。俺のことを子ども扱いして、いつまでも守らなくてはいけないというくだらない幻想にとらわれている。──それでいてこんな風に夜な夜なただやさしいだけの顔を貼り付け、俺のベッドの中に潜り込んでくるくせに。
「アル」