恋文
私達は肩を寄せ合い、光量の足りない照明の下で観劇しました。演目は当時流行りの通俗小説からとったもので、私も粗筋を既に知っていたので、幕間の度にあなたの質問に答え、またこの後の展開を簡単に耳打ちしました。
芝居の中で、俳優の若者が女優の手を取り言いましたね。明日をも知れぬ身の上なれど、共に生きる道探ろうぞと。
元より世俗的な演目とはいえ、その台詞はあまりに三文芝居に過ぎました。しかし退屈仕切っていた私をよそに、隣に座るあなたは、慣れない異国の台詞回しにも関わらず、うっすらと涙ぐみさえしていた。
私は仰天するやら呆れるやら、すっかり芝居どころではなくなりました。
あの台詞があなたの胸に如何にして響いたものか、私には分かりませんでした。別離を嘆く若者の姿をご自身に重ねられたのか、二人を取り巻く過酷な運命への同情か、それともその両方であったのかもしれません。
ただあなたは萌葱色の瞳に涙を湛えて芝居を見届け、時折私の手を強く握り締めて下さいました。それがどれほど心強く、また同時に私の心をかき乱したか。
宿に帰り着いてからも、私はひどく混乱していました。千々に乱れた心は、せめてもの安息をあなたの肉体に求めました。
後の私の振る舞いは、あなたも知っての通りです。ただ、あの芝居の夜は私にとって特別忘れ難い時となり、今でも祭り提灯の仄温かい光を見ると、あなたの涙の理由について、あれこれ思い巡らせたりなど致します。
一つ、白状せねばなりません。
これまで散々勝手なことを申しましたが、しかし私は、あの芝居の筋書きが書かれたビラを、今も後生大事に仕舞っております。
あなたが好ましいと言った、あの「brunetの女優」は、この芝居後幾ばくかの名声を得、やがて的屋上がりの男と情死したと聞きます。
物語の筋書きが作者の人格の域を超えることはありませんが、現実は想像よりも時に狭量で、無味乾燥としてつまらなく映ります。そういう意味では、あなたの涙も私の妄想癖も、夢見がちな者同士の可愛い罪として、許されるのではないかと思います。