あなたが銀河に戻るまで
「変わらないな」、とティエリアは笑った。
刹那の口数が減っていくにつれて、刹那の鼓膜を震わせるティエリアの声が遠のいた。ティエリアは金色に輝く星の逸話を、ただ淡々と話している。本を、そのまま読み上げるような、抑揚のない声だった。ただ、それが、刹那の耳にはとても心地よかった。
「そろそろちょうど真ん中に」、とティエリアは刹那を振り返った。隣の座席に腰掛けている刹那は、目を閉じて頭を少し擡げている。ティエリアは軽く息をついて、「刹那」、と窓の外を仰いだ。刹那には聞こえない。
そのうちまた、カタタン、コトトン、と汽車は揺れ、刹那は静かに、其処から姿を消した。
3. 窓の群青
フェルトは「青いね」、とティエリアに話しかけた。「それに、綺麗」、と続ける。その星に、フェルトやティエリアが知っている、地球から、長く伸びた、脆いあの橋はなかった。周りの衛星や小惑星もテラフォーミングされておらず、そこにあるのはただ静かな水を湛える球だったように、思う。
「どうして私、ここに来たのかな」、とフェルトはティエリアに問うた。「わからない」、とティエリアは答える。彼女は寂しそうに微笑んだ。「そう?」、と、窓から視線を離して、フェルトはティエリアを振り返る。「呼ばれた気がしたのに」。
フェルトはティエリアの夢の中にくるまで、ただ果てのない海をさまよっていた。水の中にいるようで、水の中ではなく、涙がまるで気泡のように、出口をもとめて上へ上へ登っていく海の中を。
フェルトは悲しんでいた。なにが悲しいのか、もはやわからなくなっていたが。
ただ、彼女の手のひらには、暖かな温度があった。誰かが握ってくれているのかと、彼女は錯覚する。そんな気がした。
光はなかった。彼女はただその中を、泳ぐでもなく、歩くでもなく、浮いていた。心は静かだ。
だから、ふっと目の前の景色が、見たことのないものに変わったあとも、彼女は落ち着いていた。
生まれたときからソレスタルビーイングにずっといた彼女は、機会がなければ、地上へ降りて休暇をとることも、あまりなかった。
重力は確かに、地に足がついている安心感はあったが、どうしても、輝かしいばかりの日々を思い出してしまう。
ショーウィンドウの中の洋服を、きっと似合うよと言ってくれた姉はもういないことが嫌でも分かって、彼女は街を歩くたびに、幻に立ち止まってしまうのだった。
ただ、嫌いではない、と思う。
地上でいう、水の中のような、宇宙での浮遊感も。
彼女は座り込んだコンパートメントの座席からゆっくり立ち上がった。通路に出る。
他のコンパートメントに、自分以外の人間がいないのは分かりきっていた。人の声が、まったくなかったから。
ガタタン、ゴトトン、と汽車は鈍い振動を立て続けた。彼女はそれを当たり前のように受け入れて、少しバランスを崩しながらも、通路をただまっすぐに進んでいく。
いくつか、車両の連結部分を越えた。蛇腹のようなもののお陰で、連結部分は閉じてある。窓の外を見ていた限り、どうしたって、ありえないことなのだろうけれど、彼女は誰かの夢の中をさまよっているのだとすぐに結論付けることが出来た。「だって、私、こんなの知らないから」。夢であるならば、自分のみた記憶だけで、出来ているはずだと。
「間違ってはいないが」、と、彼女の背中にティエリアは告げる。フェルトは振り返った。
***
しばらく通路で、互いに視線を交わした後に、フェルトはすこし、微笑んだ。「どこか、座って離せる場所、ないかな」、とティエリアに聞く。ティエリアはしばらく考えた後、「回りにいくらでも」、と答えた。
コンパートメントはどれも空っぽだ。どれに入っても、二人ともが座れたし、話すことができた。フェルトも、ああ、そうだね、と頷いて、「じゃあ、ここにしよう」、とティエリアを手招いた。すぐ右隣にあったコンパートメントの扉を開ける。
ティエリアは、フェルトに続いてコンパートメントに体をもぐりこませた。
コンパートメントの中で二人はぽつぽつと話した。フェルトが窓の外に気が付いて、「あれ、地球だよね」、とティエリアに話しかける。「そうだ」、とティエリアは頷いた。
フェルトは「青いね」、とティエリアに言った。「それに、綺麗」、と、ため息と一緒に続ける。その星に、フェルトやティエリアが知っている、地球から、長く伸びた、脆いあの橋はなかった。
周りの衛星や小惑星もテラフォーミングされておらず、そこにあるのはただ静かな球だったように、思う。「軌道エレベーターは、ないのね」、とフェルトは問うた。ティエリアは答えを返さない。これが何時の頃なのかは、自分でも分かりかねていたからだった。今いる時間軸から、前なのか後なのか。
フェルトは答えのないティエリアを、さらに問い詰めはしなかった。「少し、寒いね」、と彼女は言う。
ティエリアは着ていた外套をすぐに脱いで、彼女の肩にかけた。「別によかったのに」、とフェルトははにかみながら「ありがとう」、という。「風邪をひいたら、困るだろう」、?とティエリアも少し笑った。
「どうして私、ここに来たのかな」、とフェルトはティエリアに問うた。「わからない」、とティエリアは答える。彼女は寂しそうに微笑んだ。
「そう?」、と、窓から視線を離して、フェルトはティエリアを振り返る。「呼ばれた気がしたのに」。
「そんな覚えはないが」、とティエリアは答えて、それから「…いや、分からない」、と曖昧に、それを打ち消した。何がどうなって、こうなっているのかは、よく分からなかった。
ただ、自分はずっと、この夢の中にいる。「まだ、一度も目が覚めていないんだ」。そう告げると、フェルトはそうなの、と頷いた。「じゃあ、ティエリアの体感時間と、私の体感時間は、違うのかもしれない。私は今日、現実の方でティエリアにあったし」
「僕も、フェルトにあった」。ティエリアが頷く。「じゃあ、きっと何か、ティエリアが待っているものがくれば、夢は終わると思う」、とフェルトは言った。確信はないけど、と困ったように、首を傾げる。
ティエリアはそうかもしれないな、と思った。
気が付くと、来た仲間が消えて、また他の誰から入れ替わりに現れている。どうやって来たかは、よく分からなかった。彼等は瞬きの間の僅かな時間にも、すぐにふいと消えてしまう。
夢の中だ、どうにでもなると、ティエリアは変に納得していた。
すこし沈黙を湛えた空気は、フェルトが先に揺らした。「私の他に、誰か来たの?」、と。ティエリアは、「君の前に、五年前の刹那。それから、アレルヤ」、と答える。フェルトは五年前の、というところにすこし驚いたようだったが、二人とも、きたのね、と頷く。「どんなこと、話したの」。続けて聞いた。
泣いていた、五年前の僕を、なんとか慰めようとして、いつもの通り。それから、星のはなしをした。月に似ている、あの、水星の話を。ティエリアがぽつぽつと話すのを、フェルトは黙って聞いている。うん、とひとつ頷いた。
作品名:あなたが銀河に戻るまで 作家名:みかげ