あなたが銀河に戻るまで
ティエリアは「まあ、そうだろうな」、と頷き、「じゃあこれは何だとおもう」、と、目の前に佇む赤い星を少年に示した。少年は、その星をみたことがなかったようで、「なんだ」、と、ティエリアにまた尋ねる。ティエリアは、子供はそうだな、質問ばかりだ、とすこし気疲れして、「火星さ」、と答えた。少年はまた、首を傾げる。わからないか、とティエリアは曖昧に頷く少年を哂った。
「ここは夢の中だから、そんなものはどこかへ捨てておけ。持っていても意味がない」、と、いまだ抱えたままの銃を捨てるように促す。少年はそれでも頑なに銃を放さなかった。「嫌だ」、と、首を振る。
どうしてそこまで、とティエリアは席をたって少年へ近づいた。「意味がないと言っているだろう」、と再三そう言う。
少年はそれでも首を振った。
「く、来るな!来たら、打つぞ!」、と、仕舞いにはティエリアへむけて銃を構えてしまう。ティエリアはどうしたものか、とその場で足を止めた。
それから、「撃ってみればいい」、と、少年を促した。少年はいったい何をいっているんだと、目を見開いてティエリアを注視する。ティエリアは「意味がないのだから、撃ってみても何も変わらない」、と言った。
「それとも、撃つのが怖いのか」。少年はそう尋ねられ、かっとして「怖くなんか!」、とティエリアに牙を向く。ティエリアは、本当に面影だけだな、と思った。
消えてしまわないように、明日を迎えるためになんとか地にしがみ付いているようだ。彼の神はまだ「彼等」ではないのだろうな、とティエリアは納得した。絶望にすがって生きている顔だ、と、ティエリアは悲しくなった。
とめていた歩みを少年に向けて動かし始める。少年は逆にティエリアから距離をとった。しかし窓に背がついてしまい逃げられなくなる。
ティエリアは少年のかかえた銃をもてるくらいまで近づき、そしてその銃口を自身の腹につけた。少年はティエリアの行動に困惑しきって、銃口とティエリアを交互に見ているだけだった。「トリガーを引けばいい」、目を閉じてティエリアが言う。「誰も、何も恨まない」、と、ティエリアが言うのと同時に、少年はきつく目を瞑った。
カチン、と軽い音がしてトリガーが奥まで引かれる。
ティエリアはゆっくりと目を開け、「意味がないと言っただろう」、と少年にもう一度言った。
少年はどうして、と、信じられない様子で、握った銃のトリガーを何度も引いた。けれど、薬莢は一向に転がってこない。銃声もなければ、硝煙の匂いもしなかった。
ただそこにあるのは手にのこる銃の重さと、どこでついたか解らない鉄の匂いだけだった。
ティエリアはふと、少年の手が震えているのに気がついた。その手を握ると、ガシャン、と耳障りな音をたてて銃が床へ落ちる。
ティエリアは、自分の胸の高さよりも小さい少年を抱きこんだ。少年はそれを、ぎゅうと目を閉じて受け入れる。「夢だ」、と少年はつぶやいた。心の底からほっとしたような、そんな声だった。
***
火星の赤は戦火と血の色で、あれには戦いの神の名前がつけられているんだと、ティエリアがそう伝えると、少年はそうなのか、と頷いて、窓に張り付いたまま、それを聞いていた。「なんていうんだ」、と少年はティエリアに尋ねる。
「マルスやマーズ、他にグラディウス、アレス、ネルガル。全部戦いの神の名前だ」、とティエリアは答えた。
「星にはよく神話から名前がつけられる。どうしてそうなったのか僕は知らないが。赤は昔の神や人間にとって戦争や血を連想させるもので、戦火の中で勇敢に戦った神の名前がつけられた、たったそれだけのことだ」、神なんてものは、思っているよりずっと尊くなくて、人間じみているんだとティエリアは言った。「…そう考えている国もある」、と付け加える。
少年は多分、居もしないとわかっていながら神のために戦地に赴いているはずだった。自身の親を殺してまで生き延びているはずだった。そういうことに何の疑問も抱かない、抱いていても神のためとごまかされ、ゲリラ兵に仕立てられているはずだった。
ティエリアは、少年の反応がないのですこし不安になる。
少年はただひたすらに、窓の外の星を眺めていた。「死んだ人間の血は黒い」、ふと、少年が言う。ティエリアは顔を上げた。黒い?、と問い返す。ああ、「黒いんだ」、と少年はもう一度言った。
「でも、あの星は赤いな。赤は火の色で陽の色で、生きている血の色だ」、だから、あの星は死んでいないんだな、と。
ティエリアは言葉をなくして、そうだな、とつぶやくことしか出来なかった。
「綺麗だ」、と少年は言った。それから、「どうすれば忘れずにいられる」、と、ティエリアを振り返った。ティエリアは何故、と少年にまた、逆に問うた。少年はこれは夢なんだろう、と言う。
「夢ならば、きっと覚めてしまえば何もかも消えてしまうんだろう。銃には弾が入っているし、血の匂いがまとわりついてはなれない。仲間は死んでいくし、神はまだ現れない」。忘れずにいたいと思ったんだ、と少年は言った。ティエリアはそうか、と頷いて、その小さな背中をもう一度抱きしめた。
「もうすこしまっててくれ。すぐに迎えに行く」、と、少年に伝える。少年は、「そのときは、また見せてくれるのか」、とティエリアに問うた。ああ、とティエリアは短く頷いて、少年を抱きしめる力を強めた。「いくらでも」。
少年の表情は、生憎わからなかった。手の中に確かにあったはずの少年の存在はふっときえて、手が空をつかむ。せつな、とつぶやくと、なぜか涙があふれてきた。
ティエリアはその涙の理由がわからないまま、ただ彼の幸福を願った。
それがただ、何事もなく朝を迎える、たったそれだけのことでも、それは彼にとっての幸福に違いないと、ティエリアはそう信じていた。わかってしまった。
5. たましいのふたご
あーあー、なんだ、てめえかよ、メガネ。「なんか知らねえとこにでてきたと思ったら」。
ティエリアは静かだったコンパートメントに耳障りが声が聞こえて、何事かと伏せていた顔を上げた。
うえ、とその顔が驚きに歪んで、「なんだ、また泣いてやがったのか」、と呆れたようにそう言う。「そんなぴーぴーないてっといつか目から溶けてなくなるぜ」、そういいながら、コンパートメントの中にはいってくる。
ティエリアの前の席の中心に、ハレルヤは腰を下ろした。
どうして来たんだ、とティエリアはまず聞いた。ティエリアには、先ほどまだ何も知らないはずの刹那に会って、そして分かれてからほんのすこしの時間しか経っていないような気がしていた。
ティエリアはアレルヤが監禁されていたあの場所から帰ってきたというのものの、会うことのなかったハレルヤがなぜこんなところにいるのか不思議でならなかった。
「俺様も知らねえよ、さっき言ったろ、お前メガネかけてるくせに頭わりーのな」、人の言ったことくらい覚えとけよ。そういわれて、ティエリアはむっとする。怒りがふつふつとわいてきたが、様子を伺うような、そんな目をしているハレルヤに気がついて、そのままそれをため息で吐き出した。
作品名:あなたが銀河に戻るまで 作家名:みかげ