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あなたが銀河に戻るまで

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 何回か踏まれて、煙草の火は消えてしまう。ライルはそれを唖然として、口をぽかんと開けたまま、一部始終を見ていた。
 ティエリアの顔には静かに怒りが滲んでいた。「何故没収したはずの煙草を持ってるんです」、とティエリアはライルに聞いた。
 ライルは口ごもって、それから「夢の中でも駄目なのかよ」、とため息をひとつついた。「わかってるならいい」、とティエリアは答える。
「何を?」
「夢のなかということを」。ティエリアはライルに言った。ふうん、とライルは頷く。
 それでさ、と言葉を続けた。ティエリアは踏みつけていた煙草から視線をあげてライルを見上げた。「あれ、なに」、と、ライルは窓の外を指差す。「土星」、とティエリアはそっけなく答えた。へえ、土星ねえ、とライルはしばらくじっと、窓の外を見つめた後に、「まさか」、そうにっこりと笑った。
「教官さん、冗談もほどほどにしておいてくれよ。地球圏からどれくらい離れてると…」、と言いかけて、「そうだ、夢の中だった」、とため息をつく。
「本当なんだな」、とライルは頷いた。「重力はあるけど」。
 夢ではあるけれど、とティエリアは付け加えた。
 ライルはそうだな、と頷いて、ティエリアから視線をはずして窓の外を見る。ティエリアはライルの背中に話しかけた。「土星は運行が他の太陽系の天体とくらべて遅い。だからクロノスなんて名前がついている」。ライルはん?そうだったか、と首をかしげた。「サターンじゃねえの?」、と。「サターンは英名で農耕神サトゥルヌスに由来する。農耕神サトゥルヌスはギリシャ神話ではクロノスと呼ばれる。だから同じようなものです」。そうティエリアがいうと、ライルはへえ、と頷いた。
 なるほど、と、言って、それから「で、それが何」、とティエリアに続けて聞いた。ティエリアはすこし拍子抜けして、何でもありません、とため息をついた。
 まあそう、ため息ばっかりついてても、体って軽くなるもんじゃないんだが、とライルは苦笑してそれをみる。
 懐から煙草の箱を取り出して、口に一本くわえた。ライターを出してその先端に火をつける。はあ、と苦い煙と一緒にため息も吐き出した。
 ティエリアは、今度はその煙草を取り上げなかった。はあ、と疲れたように、ひとつため息をついただけだった。
「『ロックオン』は煙草なんてすわなかったのに」、と、つぶやくようにそう言う。
 ライルはしばらく無言になり、そうだなあ、と頷いた。「本当なら、やらねえのが一番いいってわかってんだけど」、と、もう一度煙草の煙を吐き出す。不思議と匂いはしなかった。
 少しだけライルと距離がはなれているからかもしれないとティエリアは思った。
「土星は、煙のようだと」、とティエリアはライルに言った。ライルというよりは、窓の方に顔を向けていたけれど。「主成分はガスだから」、か?とライルが聞く。知ってるのか、とティエリアは意外そうな目でライルを見た。おいおい、それくらい習うよ、とライルも言う。
「ガスがどうしてあんな形になってんのかさっぱりわからないけどな。理解の出来ないところで多分決まってるんだろうな、そう言う風に」、と。
 そう言う風に。
 ティエリアはライルのその言葉を繰り返した。
「さっき泣きそうな顔してたの、兄さんかと思ったからだろ」、とライルはティエリアに言った。図星ではあったので、ティエリアはどうしてそう思う、とライルに聞く。「そういう顔してた」、とライルは言う。「なんでだろうなあ、そういうのはすぐにわかっちまうんだ」。
 ティエリアは、それを、そういうものなのか、と思うことにした。そう言う風に?、とつぶやくと、ライルはそうだよ、と頷く。「夢の中でもこうやって会話は出来るんだな。なあ、こんなに話したことあったか?俺たち」、とライルは窓に映りこむティエリアの影にそう問うた。
 さあ、とティエリアは答える。「多分、ない」、と言うと、ほら、やっぱりなあ、とライルはくつくつ笑った。「でも、多分話すの嫌いだろ、俺と」、と今度はティエリアを振り返る。短くなってきた煙草を、携帯灰皿へしまいこんで、なあ?、と聞いた。そして座席へ腰掛ける。
「俺の他に、誰か来たか?」、とライルはティエリアに聞いた。
 腕を頭の後ろで組んで、ライルはシートに深く沈みこむ。ふう、と息を吐きながら少しだけ体を伸ばした。
 ティエリアはそれに「何人」か、と答える。おお、んじゃよかった、とライルは一息ついた。
 何がですか、とティエリアは尋ねるべきか迷ったが、聞いてみることにした。んー、とライルは考えるように、そう唸って、「ここでたった一人は寂しいだろ」、と、恥ずかしがりもせず、そういってのけた。
 ティエリアは驚いて、返事が出来ずに固まる。肯定も、否定も出来なかった。
 それがどういった感情なのかをティエリアは考えあぐねた。
 それから、自分ではなく彼や彼のことが頭に浮かんだ。彼は孤独だったろうか。孤独でない、孤独でなかったという証拠などどこにもなかったのではないか。一人だっただろうか。二人だっただろうか。あの時は確かに二人だったが、あの後はきっと一人きりなのだろう。
 そこまで考えたところで、「お、おい?」、とライルがあわてた声を出した。ティエリアははっとして我に返る。
「なんで泣いてんだ?」、とライルはひどく驚いた顔で尋ねた。
 まるで泣き出した子供の前で、どうすればいいかよく分からないような顔をしていた。ぼろぼろと涙がこぼれて来るので、ティエリアはどうすればいいのかわからないまま、ライルがすっと、手を伸ばしてくるのをただじっとみていた。
 くしゃり、と、髪が音をたてた。何やってんだろうな、俺、と思いながらライルはそうするのを止められなかった。「昔、兄さんもよくこうしてくれたなあ」、と言うと、何故だかライルも目の奥が重くなって、「教官さん」、と呼ぶ声がすこし重くなった。
「あんま根つめんなよ、アンタ、無理しそうな顔してるや。…兄さんのことも」、と、ライルが言う。
 一番、彼の影を追っているのは貴方だろう、とティエリアが言うのを、そうだな、そうかもしれないな、とライルはただ頷いて聞いていた。

***

 彼はこうしてくれたことがあっただろうか、とティエリアは思う。
 ライルはしばらくして、ちょっと歩いてくるな、と、展望室を出て行ったきり帰ってこなかった。多分、目が覚めてしまったのだろうと思った。
 まだ窓の外、ティエリアの目の前にある土星は、羊のように群れを成している衛星を従えてそこに佇んでいた。
 どうして彼は、自分の頭をなでるなどしたのだろう、とティエリアはふと思った。子供が泣いてしまったときのあやし方に似ていた。ただ、すこしぎこちなくはあったが。
 ライルの、兄さんもしてくれたっけな、から察するに、おそらく、自分ではあまりしたことがなかったのだろうとティエリアは思った。
 兄がそうしていたのを、そうしてくれたのを覚えていただけなのだな、とティエリアは納得した。彼は誰かにああしたかったのだろうか、と、ティエリアはふと思った。兄がしてくれたように、誰かを慰めたいと、思ったことがあるのだろうかと。
作品名:あなたが銀河に戻るまで 作家名:みかげ