moria
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大きく開いた窓はしん、として外では何の騒ぎも起きていないことを示している。
それが妙に帝人の不安を掻き立てる。当事者であるのに、除け者にされているような感覚。最後のメールから何の反応も示さない携帯のせいもあるかもしれない。青葉は無事だろうか、ヨシキリは逃げ切れただろうか、他の皆はどうなのだろうか。臨也はメッセージを受け取ってくれただろうか。
焦れる。
無意味に携帯のボタンを弄ると、電池のアイコンが減っていることに気がついて充電機に繋ぐ。点滅を開始したアイコンを確認しては息を吐く。そうして窓の外を見た。変わらず薄靄のフィルターを被せたような空である。月ばかり無暗に明るい。
唸るPCに向き合って何がしかの情報はないかざわつくダラーズを監視する。あちこちの場所で一斉に起きたらしいブルースクウェアと何がしかの集団との諍いはダラーズ内でも噂になっており、いつもならばだらだら動く掲示板は久しぶりにフル稼働していた。
ふと、音のない部屋に携帯電話の着信音が大音量で響き渡った。
息を呑んで、慌てて通話ボタンを押しこむ。相手を見ている余裕はない。
「も、もしもし?」
『あれっ、サトミ……じゃないよね、ごめんなさーい、間違えたみたい』
明るい女性の声が電話の向うから響いて、帝人は顔を顰める。間違い電話に付き合っている時間も余裕もないのだ。こうしている間にも状況は刻一刻と変わりつつある。
電話口から聞こえる声を無視して通話を切った。頭を抱えてぎゅうと目を閉じる。なにかひとつ、なにか一つ新しい情報を。
じりじり時間が過ぎていく。
1分、5分、10分、ちょうど秒針が13回まわりきったところで、今度は賑やかなメールの着信音が耳に飛び込んできた。
今度こそ、という思いを抱きつつ開いたメールは、
「なんだ、これ……」
まったくの白紙だった。
題名はない。本文もない。差出人はヨシキリ。確にかヨシキリには逃げ切ったらメールを、と言っておいた筈だったし、本人はまだ余裕のある様子だった。しかしメールを送るにしても一言二言は添えるだろう。これは送り間違いだろうか?それとも彼からの何がしかのメッセージだろうか。
暫く迷った挙句帝人は番号を呼び出した携帯を耳に当てた。コール音が頭蓋に響く。出てくれ、と祈るように目を瞑った。『はい』聞こえた声に安堵する。しかし安心している場合ではない。
「青葉君、現状は?」
『こっちは無事っす。廃ビルも抜けました。ただ……』
言葉尻を濁らせる青葉に嫌な予感がして、帝人はその言葉の先を促すように「ただ?」と言葉を重ねた。一拍置いて答えが返って来る。
『相手の数が増えてます』
【こっちは】無事、【追い詰められていた】廃ビルは抜けた、しかし【相手の数が増えている】……状況を把握するためのピースが明らかに足りない。
「待って、順を追って説明してくれる?」
しばし迷うような素振りを見せた青葉は、しかし『はい』と答えた。
『俺らの追っ手は廃ビルで全員ぶっ倒してやりました。その後ヨシキリと合流しようと向かったんですが、見つけた時には既に交戦中で、しかも相手の人数がかなり増えてました。ざっと見、15くらいっす』
「そんなに……!」
恐らく青葉らは近くの建物の影から様子を窺っているのだろう。
『今他の奴ら呼びに行かせてますけど、ちょっと……いや、かなりまずいです』
声には余裕がない。
青葉の眼前では取り囲まれ、苦戦を強いられているヨシキリら五人がいる。一人に蹴りを拳を食らわせている間に横から後ろから攻撃が飛んでくるのだ、むしろよく持ちこたえている方だろう。
蹴る、殴る、突く、薙ぐ、踏みつぶす、蹴り上げ、振り下ろし、怒声は叫ぶというより吠えるに近い。
死ね、だとか往生際わりぃなだとかの声が携帯を通じて青葉の背後から漏れ聞こえる。全て聞いたことのない声だった。
『俺の予想ですが、多分他の奴らも……』
「うん、同じだろうね」
恐らく今現在、全てのブルースクウェア構成員が同じように孤立、そして多勢からの急襲という状況に追い込まれていることだろう。どうすればいい、帝人は爪を噛んだ。どうすれば、どうすればこの状況を収められる。他に使える人員は、頼める人は。
数名の名前が脳裏に浮かんでは消える。セルティさん、門田さん、正臣……そうして駄目だと首を振る。ダラーズをブルースクウェアのために使うのは本末転倒だ。残るは自分自身しかなかった。
「僕もすぐ向かうよ、今どこ?」
『先輩は来ちゃダメです!』
即座に返って来た答えに負けじと帝人は言い返す。
「こんな緊急事態に僕一人のうのうとしてろって言うの、青葉君」
『帝人先輩がここにいて、何になります』
言葉が詰まった。
『先輩はとにかく、他のメンバーを……』
途端、声が遠くなった。耳障りながりがりという音。アスファルトが近い音だ。石粒とプラスチックが擦れる音。踏みしだかれる音。小さく聞こえる怒声は先程も青葉の背後で聞こえていたものと同じではないだろうか。
「あ、青葉君、青葉君!?」
ぶつ、と無情にも通話の切れる音がして、それきり。
帝人は呆然として暗くなった画面を見つめる。ひゅう、と喉が鳴った。開きっぱなしの掲示板はひっきりなしに流れていく。携帯を持つ手が震えた。狩られる恐怖。
ぱっと明るくなった携帯に、ひ、と軽い悲鳴をあげて帝人は携帯を取り落としかけた。
それでもなんとか震える手を押さえて画面に表示された名前を見る。通話を知らせる音がけたたましく部屋に響く。相手の名は、
『帝人君!? ああ、無事でよかった』
「い、ざや、さ……」
『大変なことになってるみたいだね』
ごめんね、さっきまで取引してて確認が遅れたんだ、そう言う臨也の声は常より茶化したような様子がない。
「……助けて、ください」
『帝人君?』
縋るものはもう臨也しかなかった。頼れる人は臨也以外いなかった。
「助けてください……! 臨也さん」
血を吐くような声だった。
もしここに紀田正臣がいたならば、黒沼青葉がいたならば、もしくは折原臨也という人物を知る人間がいたならば、それだけは止めろと帝人に言っただろう。しかし不幸なことにこの場所には竜ヶ峰帝人ただ一人しかおらず、この会話を聞いている人間もいなかったのだ。
沈黙が落ちる。帝人は自分の無力さに恐怖に顔を歪ませている。
『いいよ』
電話口の向うで空気が揺れたような、気がした。
『俺が君を助けてあげよう、帝人君』
夜風が通る廃ビルの屋上で臨也は唇を愉悦に歪めながら「いいよ」と電話口に向かって囁いた。
「俺が君を助けてあげよう、帝人君」
言いながらノートPCを操作し、軽快な動作でキーボードを叩く。液晶に表示された地図とビーコンから発信される情報を次々表示させ、そうしてにやにや笑みを浮かべている。
三日月は池袋の喧騒を見下ろしては引き攣ったように笑っている。
「だから帝人君は何も心配しなくていいんだよ」
通話をしながらもう一台携帯を取り出して手早く本文を入力していく。
「俺が君の不安を何もかも取り除いてあげるんだから」