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だから、側に居て

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そして、突風





「帰んなかったの?」
がらりと扉が開いたとき、帝人はうたた寝をしかけていた。はっと我に帰って慌てて立ち上がれば、ホチキスで留めたプリントの山が雪崩を起こしてどさどさと崩れる。
「わ!」
慌ててそれを抑えて、必死になって元通り積み上げようとする帝人に、臨也は扉をしめながら声を上げて笑った。
「電気ついてるからまだいるのかなって思ったら・・・。何してるのさ」
「あ、なんか、暖房気持ちよくて、その」
「寝てた?・・・俺の分も終わってるじゃない、悪いね」
時計を見れば、臨也が資料室を出ていってからだいぶたっていて、外もすでに真っ暗だ。その暗い空に、ところどころ白いものが交じる。
「あ・・・雪!」
テレビではホワイトクリスマスになるかもしれません、なんて言っていたけれど、本当になるとは思わなかった。資料室は縦に長い作りになっていて、デスクが窓に面しているので、窓を直接覗き込もうと思ったらデスクの右側の、三・四十センチほどの隙間に入るしか無い。帝人はそこに難なく滑りこんで、窓に手をついて空を見上げた。ふわふわと宙を舞う雪に、物珍しさからついはしゃいでしまう。
「先生、ホワイトクリスマスですよ!」
「中のほうが明るいから見え辛くない?電気消したほうがよく見えるよ」
「じゃ、消してください」
「はいはい」
パチ、とスイッチを押して室内の電気が消える。確かに、外の明かりがあるから、仲が暗いほうがよく見えるな、と思いながら、帝人は感嘆の息を漏らした。よくよく見れば、うっすらと積もっているらしい。
「・・・先生、明日、」
雪遊びしましょう、と提案しかけて、振り返った帝人はそれ以上言えずに口をつぐんだ。デスク横の狭い隙間、帝人のすぐ後ろに臨也がいたからだ。
「っ、足音を立てずに移動しないでください」
驚いて早鐘をうつ心臓をごまかそうと、そんな悪態をついてみるが、臨也はうん、と曖昧に返事をして眼鏡をはずし、帝人を見下ろす。至近距離で目があったのは、あの、臨也が酔っ払って帰ってきた日以来のような気がする。
なにこれ、緊張する。
熱を持つ頬をおさえようとしたところで、臨也が動いた。窓に手をついて、抱き合うほど近くに寄る。自分の頬に当てようとした手を慌てて臨也の肩に置き、押し返すように軽く力を込めるが、そんなものは無力だ。
数センチの距離で目が合う。
その、瞳に宿る色合いに、めまいがしそうだ。


「・・・整理、ついたかな」


静かな問いかけの意味も、よく分からない。帝人はただ困って、どんどん赤くなっていくだけの顔を隠したかったけれど、うつむこうとした顔に臨也の手がかかった。
最初にこの部屋に踏み入れた時も、こういうことをされたな、と思う。まるでキスする前のように、顎を掴んで顔をあげられて。
目が、そらせなくなる。
「どう?帝人君」
「っ、先生、放して」
「もう、分かった?理解した?」
間近で聞こえる声に、体中がぞわぞわする。何を分かったのかと問うているのか、それさえわからないのに返事だってできない。
答えられないまま、それでも視線は絡みついたままはなせず、その瞳に自分が映っているのかどうか、確認したくて少し背伸びをした。よく漫画でも小説でも「瞳に映った自分」という表現があるけれど、そんなのは嘘だな、とか、そんなどうでもいいことを思う。実際にはこれほど近づいたって、相手の目に移った自分なんか確認できない。
それとも、もっと近づいたら、距離がゼロなら。
映るのだろうか?
「・・・せん、せ」
呼んだ声は、自分でもはっきりと分かるくらいに甘えた響きがした。押し返すために肩に置いたはずの手は、臨也のスーツを握りしめている。
察して欲しくて見つめれば、驚いたように息を飲んだ臨也が、次の瞬間小さく笑って。
「・・・先生じゃ、ないでしょ」
窓についていた手が、帝人の頭と腰に回された。
「臨也って、呼んで」
間近で響く声が、そんなことを言う。
「先生のままじゃ、キスできないよ」
掠れた声でそう言われて、ただでさえ熱い頬がさらに沸騰しそうなほど熱を持った。ああもう、頭が真っ白になりそうだ。


「・・・いざ、や、さん」


全部言い切るか言い切らないか、のうちに。
待ち望んだ唇が、声をさらってゆく。
はじめは軽く、二度、三度と触れるだけ。唇を舐めた舌が強請っているようで、薄く唇を開けば、一層強く抱き寄せられて遠慮無く舌が入り込む。
口内を動きまわる、自分の物ではない温かさ。静かな部屋に満ちる水音と、息の、音。
「っは、」
互いの熱が感覚を蝕む。溢れそうな唾液を飲み込んで、舌に絡むざらついた感触に震えが走る。臨也が軽く息を付く音が帝人の鼓膜を揺らして、ああ、このまま溺れてしまいそうだと思った。色めく、その臨也の瞳に。
「んぁ、っ」
角度を変えて、何度も何度も繰り返し、唇が触れ合う。息苦しいほどのその口づけに、帝人も必死で臨也の舌を追った。知識としては知っていたけれど、キスするのだって初めてなのに、こんな上級者向けのキス、うまく出来るはずがない。
しまいには、ただ翻弄されるだけになって、それでも離れたくなくて臨也の首に腕を回した。空気の足りない脳裏では、まともな思考能力さえ残らない。ただもっと触れていたいと、そればっかりだ。
もっと。
触れていたい。
「ん、ぅ」
やがてちゅ、と大きな音を立てて唇が離れたときには、帝人はすっかり力が入らず、ただ臨也にもたれかかっていることしかできなかった。空気を求める体の要求に従い、大きく息を吸う。その必死な様子の帝人を見下ろして、臨也が小さく笑った。
「はは、すごい背徳感だな」
それは、本来なら笑い事ではないような気もするが。
「っ、せん、せ?」
抱き込まれた腕の中で、ぼんやりと臨也を見上げる。そんな帝人の唇をぺろりと舐めて、臨也は腕の中の小さな少年の体を抱え直した。
「学校で、まして帝人君は制服だもんねえ、俺すごく今、犯罪者の気分だよ」
でも離したくないな、と、囁く声は熱がこもって、酷く掠れている。そう言われてようやく、帝人もここが学校だということを思い出した。
背徳感。確かに、溢れて余りあるほどの。
何をしているんだ、一体。そう思う微かな良心が、帝人の中にも湧き上がるけれど、この空気を変えるほど強い意志ではなかった。いけないことをしているのは分かっていて、それでもやめたくない。ほんの少しだけ、ニコチン中毒に陥る喫煙者や、アルコール中毒を患うジャンカーたちの気持ちが分かった気がする。
いけないと分かっているのに手を伸ばしたくなる衝動とか、何度与えられても満たされることのない、飢えとか乾きとか、そういうものを、知ってしまった。
さっきの、もう一回して欲しいな。
帝人は徐々に落ち着きを取り戻すと同時に、寄りかかっている臨也の心音をようやく聞いた。その、刻む鼓動の速さは自分と等しく高速で、そんな小さなことにますます、臨也を愛しく思う。
「せん・・・、臨也、さん」
うまく言葉にできなくて、ただ、少し高いところにあるその顔をぼんやりと見上げた帝人に、臨也は少しだけ眉を寄せて、小さく笑った。
「そんな顔、しないでよ。困るんだ」
その言葉はいつか言われた言葉と同じものだ。
「そんな、顔?」
作品名:だから、側に居て 作家名:夏野