だから、側に居て
うんざり、という顔を作って、臨也は言う。
「何で家の子の成績がこんなに低いんですか!とか、高い学費を払っているのになんで購買でまで金を取るんだ、パンなんかただにしろ!とかいうモンスターペアレンツを相手にしなきゃなんないんだよ?拷問に近いよね。まあ俺は担任持ってないからまだいいけどさ、三年の担任とかもっと大変だよ、何卒先生のお力で、とか言って賄賂渡そうとする親とかさあ、馬鹿ばっか」
「・・・先生、その言い草はどうかと・・・」
来週といえば、もう十二月だ。そんな年の瀬にお願いしたところで、進学や就職はどうしようもないだろうに、と帝人は思う。二人分のマグカップをデスクにおいて、臨也は気だるげに備え付けの椅子に座った。
「来週の金曜日。帝人君は先に寝てていいからね」
「あ、はい」
返事をしながら、でもたぶん、待っているだろうなと帝人は考えた。金曜日の夜なら,翌日は休みだし多少の夜更かしは問題ない。ネットビジネスのバイトは夜にやるほうが効率がいいものもあるので、それをこなしていればあっという間に時間は過ぎるだろう。
それに、おそらく臨也も、酔いつぶれてどこかに泊まったりせずに、ちゃんと帰ってくるだろう。同居の初日、「おかえりなさい」と出迎えた帝人に、大層嬉しそうに笑った顔は、決して社交辞令や演技ではなかった。
マグカップを両手で持って、ふうふうと息を吹きかけて冷ます帝人を横目に、臨也は机の引き出しから無造作にプリントの入ったファイルをいくつか取り出す。ばさりと机の上に投げられたのは、二年生への課題らしいが、一番上のプリントにはでかでかと「0」の数字が殴り書きされていた。相変わらず容赦ないな、と帝人は苦笑を零す。
「A組へのプリントはこれね。いつもどおり事前に配っておいて」
「はい」
渡されたのは、相変わらず質問が一つだけ印字されたプリントで、今回のテーマは「自分が親になると仮定して、生まれてくる息子と娘に名前をつけなさい。また、理由も添えなさい」だった。臨也の授業は普段は教科書どおりに進むのだが、月に一度ほどこういったテストが入る。そしてこの点数が成績に非常に大きく左右する。
「先生、今日は帰り早いですか?」
「んー、八時ぐらいかな。これ採点がまだ3クラス分残ってるから」
色違いのカラーファイルに纏められたプリントをぽん、と叩いて、臨也はその眉目秀麗な顔に若干疲れた表情を浮かべた。こういうものは決して家に持ち帰らない主義らしく、臨也は家に帰ると本を読んだりテレビを見たり、ネットサーフィンをしたりして過ごしている。
「じゃあ、夕飯はそのくらいにできるように作っておきますね」
「・・・またカレー?」
「今日はカレーうどんです」
「帝人君、俺達は三日連続でカレーを食すという深刻な事態に陥ることになるわけだけど、もう少しレパートリー増やしてみない?」
「何言ってるんですか。僕一人暮らしの時は一週間は連続で食べましたよ、カレー」
「・・・今俺は、君を引きとって本当によかったと思ってるよ。明日は早く帰れるから、俺が何か作ってあげる」
カレーは今日で消費しようね、とうんざりしたように言われて、帝人は苦笑を返した。あまり食にこだわりのない帝人にしてみれば、初日はカレー、二日目はカレードリア、とバリエーションを変えているのでまだまだカレーでいけるけれど、臨也には辛いらしい。
シチューにしなくてよかったな、と帝人は思う。シチューだったら、付け合せはパンかご飯か、くらいしか変えるところがない。
「わかりました。じゃあ、簡単にできそうな料理のレシピ、ネットで調べておきます」
お世話になっている手前、そのくらいはしなければいけないな、と帝人は素直に臨也の提案を受け入れる。臨也はその言葉に気を良くして、じゃあとっとと採点終わらせるように頑張るよ、と答えた。
「っていっても、ほとんどが五十点以下なんだけどね。採点しがいがないよねえ。ほら、これ見てよ、無人島に持っていく三つのものなんて定番の質問に、マッチとかチョコレートとか着替えとか、本当に馬鹿じゃないの。よくこれで高校二年生に進学できたよねえ」
「・・・えっと、それ、僕に見せていいんですか」
「帝人君は言いふらしたりしないからいいの。っていうかさあ、常識的に考えたら生き残るために一番何が必要かなんて、明白じゃない?なんでそれでこんなくだらない解答でてくるんだか。もう点あげるのもアホらしいよね」
これから採点するのであろうプリントをひらひらさせて、臨也が鮮やかにその中央に大きな0点を書き込む。帝人は少なからずその回答を受取るであろう名も知らぬ先輩に同情したが、このきっぱりとした点のつけ方もまた折原教員の特徴であり、一部に痛烈に嫌われ、同時に一部に熱狂的なファンを生む態度なのだった。
「帝人くんなら何持ってく?一ヶ月の間無人島で生き延びなくてはなりません。しかし持ち込める道具は三つだけです」
「僕ですか?」
「そう、俺帝人君の解答には八十点以下つけたことないなあ。帝人君の答え好きなんだよねえ、面白くて予想外で」
にこにことそんなことを言われて、帝人は答えに窮した。そんな奇抜なことを書いているつもりなど欠片もないのだが、なぜ自分の答えを面白いなんていうのだろうか、この人は。
「・・・先生なら何を持って行きますか?」
「俺?俺ならナイフと醤油と毛布。理由は食事を仕留めるのにナイフ、味付けは醤油があれば八割方なんとかなる。寒いの嫌いだから防寒用、以上」
こう見えてちょっとした武道やってるからナイフで十分でしょ、なんてあっさり言う臨也に、帝人はすごいなあ、と尊敬のまなざしを向ける。正直、無人島で野生の動物と戦えるほどの体力は帝人にはない。
まあ、この質問にはたいした意味が無いことを知っているので、帝人は笑いながら答えた。
「うーん、じゃあ僕は、味噌とジッポと折原先生を持って行きます」
「え?」
「醤油と味噌があれば、きっと十割なんとかなりますよ。火はやっぱり大事ですから、多少の風があっても使えて、マッチみたいに弱くないジッポを。それと、僕は無人島で生き残れるほど強くないので、先生に戦ってもらえればいいかなって」
この答えでどうでしょう、と首をかしげた帝人に、臨也は数秒間沈黙を保ち、さらに二・三度ぱちぱちと瞬きをしてみせた。
「先生?やっぱりこれ、卑怯な答えでしたか?」
あまりに反応が無いので不安になって問いかければ、臨也は小さく唸ったあと、おもむろに降参のポーズをしてみせる。
「・・・驚くなあもう、帝人君には」
それから気が抜けたように、笑った。
「うん、百点」
そしてその手を伸ばし、乱暴にぐしゃりと帝人の頭をなでつける。半分くらい冗談も混ざっていたので、予想外の点数だ。
目を見開いた帝人に、臨也はやっぱり満足そうに笑う。
「じゃあ帝人君は、やっぱりその時のために料理を頼むよ」
「・・・しょ、精進します」