だから、側に居て
頭痛い、と、さっきまでの陽気さが嘘のように頭を抱えてみせる。ナチュラルハイからローダウンまで、お酒というのは効力が計り知れない飲み物のようだ。
「薬とか、飲みますか?」
「・・・ごめん、そっちのキャビネット」
「・・・なみえって、誰ですか?」
「波江は波江だよ、矢霧波江、あのブラコン!」
最後は吐き捨てるような言葉だった。ブラコン。ぶらこん?
「あ!矢霧先生のことですか、何だ、誰かと思った」
普段、教職員の下の名前など呼ぶ機会がないので、突然名前など出されてもわからないのだ。そりゃあ、職員同士なら仲良く名前で呼び合うこともあるだろう、と納得を仕掛けて、帝人の脳裏を噂話がかすめる。
「・・・先生って、矢霧先生と付き合ってるんですか?」
ずっと気になっていたことを、ついでのように聞いてみる。今この場でなら、許される気がした。
「・・・は?俺と、誰?」
「矢霧先生ですよ。名前で呼び合うってことは、親しいのかなって。その、生徒たちの噂で、あるんです。折原先生と矢霧先生が付き合ってるって。だから・・・」
「無理」
帝人が思っていたよりきっぱりと、臨也は首を横に振った。ついでにそれで余計頭痛がひどくなったらしく、軽くうめく。
「あ、ごめんなさい、すぐ薬・・・」
「生徒ってそういうの、好きだよねえ・・・誰と誰がくっついてるとか、ある事ない事、さあ・・・」
キャビネットの上の方にあった頭痛薬を背伸びしてとった帝人が、それを差し出せば、臨也は大きく息を吐いてその箱を受け取った。錠剤を取り出しながら、
「ほんっとありえないよね、なんでよりによって波江かなあ」
とぶつぶつと。
「・・・折原先生、モテるから。生徒も興味があるんですよ」
「俺モテないよ」
「嘘。だって今日も噂になってましたよ、三年生のクリスマスのお誘い断ったって」
「あー・・・。ああ、ねえ」
「・・・あの」
臨也が酔っ払っている今言うのは、どうかとも思ったが、丁度クリスマスの話題が出たところで聞いておくのがいいかも知れない。
帝人はゆっくりと深呼吸して、それから、思い切って尋ねた。
「クリスマス、どうするんですか?」
それから、臨也がその言葉の意味を理解して答える前に、慌てて付け足す。
「っほら!折原先生モテるから、その、恋人さんとかと過ごすのかなって!それなら僕邪魔ですし、どこか、友達のところとか・・・」
しどろもどろになりながら続けた言葉に、臨也は、酔っぱらいとは思えないほどの鋭さで、一言綺麗に切り替えした。
「居て」
それは帝人がここに住むことになった時と、全く同じ響きと速さで。
「っ、えっと・・・」
何かとても重いものを含んでいそうなその響きに、帝人は声を失う。そんな帝人にまっすぐ目を合わせ、臨也は微笑んだ。
「ケーキ買って来るから。ホールで買うの夢だったんだ。居て」
そんな子供じた言い訳で、どうして帝人を引き止めるのだろう。こんな面白みのない男子高校生を引き止めなくても、臨也にはいくらでも、その隣を望んでいる人間がいるのに。
どうして。
「帝人君」
上手く返事ができず、うつむく帝人に、臨也はもう一度繰り返す。
「居てよ」
どうしたって、その言葉には逆らえる気がしない。だって心底本音だと、痛いほど伝わってくるから。返事を返そうとして、やっぱり出来なくて、帝人はただ小さく頷いた。緊張感をはらんだ沈黙が、重く臨也と帝人の間に横たわる。
言葉をさがすように、臨也は頭痛薬を口の中に放り込んだ。そのまま静かな室内に、ごくりと水を飲む音が響く。
「その、噂の三年生女子。初恋なんだって、俺が」
唐突に、話題は巻き戻った。普通それは口を閉ざすべきことだと思うのだが、臨也はあっさりと言う。帝人は思わず息を飲んで、その先を聞くべきか、耳をふさぐべきなのかを考えた。女子生徒のプライバシーを考えれば、これは聞いてはいけないことのような気がする。でも。
「真剣に、俺が好きでたまらないから、お願いしますって頭下げるからさ。先生としてのNOじゃだめだって。俺個人として納得のいく理由付きの、お断りの返事がほしいってさ」
「・・・最初から諦めてたんですか、彼女」
「だって脈が無いもんね」
特別扱いなんか一度もしたこと無いからね、無理だってことくらい、分かってたんでしょ。
こともなげに臨也は言うが、それは少し、帝人には耳が痛い言葉だった。だって自分は今現在進行形で、思いっきり特別扱いをされている人間だから。
「先生は、なんて?」
「聞きたい?」
訪ね返されて、少し困った。
本音を言うなら聞きたい。でも、それを聞いてどうするというのだろう。むしろ断りの文句を聞かせろなんて、振られた女子生徒に失礼なことではないだろうか。
そんなことわかっているのにそれでも帝人はその言葉が聞きたいと思った。思ってしまった自分に、ますます戸惑う。どうしてそんなものが聞きたいんだろう。
わからない、なぜ?
「・・・好きな人が居るって答えたよ」
「え、」
「っさて、寝ようか、もう」
誤魔化すように、今までの会話を押し流すように、勝手に答えを告げた臨也がソファから立ち上がる。言われた言葉の意味をいまいち上手くつかめず混乱する帝人は、その体がぐらりと傾いだとき、何も考えずに支えようと手を伸ばしていた。
その手をとって、臨也がふらりと、帝人に軽く抱きつく。
肩に額を押し付けられて、酒の匂いとさらりとした臨也の髪が頬に当たる感触が、帝人の心を泡立たせる。
「っ先生、しっかり・・・」
「・・・うん、帝人君は、俺の生徒でよかったねえ」
「・・・先生?」
「生徒じゃなかったら、手、出してたかも・・・」
「っせ、先生!?」
突然言われた言葉に酷く狼狽して、帝人は思わず臨也を振り払おうとした。けれども臨也がそんな帝人の動きを封じるようにぎゅっと抱きしめてきたので、遠ざかるどころかこれ以上無いほど近づいてしまう。
頬が、アルコールのせいか体温の高い臨也の首筋に、触れる。
ただそれだけの接触に、帝人は自分の体温も急激に上がっていくのを感じた。心臓の音が酷く煩い。むせ返るような酒の匂いに混じって、微かに香る、臨也の愛用の香水の残りがと、汗の・・・。
「っ放して、先生」
なぜだかたえきれないほどの羞恥が帝人を襲って、声が震えた。くらくらする。臨也の意図がわからない、うまく、汲み取れない。
おかしい、頭がくらくらする。息が、うまくできない。体をこわばらせる帝人に、いつかのように臨也の手が触れて、顔を無理やり上に向けられた。
目と目が、合う。
交差というよりは、絡まるような視線の先で、臨也が小さく息を飲んだ。
「ごめん、そんな顔しないでよ。聞かなかったことにして。その顔されると・・・困る」
そんな顔って。
どんな顔だ。