separation
何度も触れたはずのその手は、まるで今日初めて触れたみたいな感覚だった。
「…俺はずっとこのままでいたかったよ」
絞り出すような声は彼に伝わっただろうか。
触れ合う手からは何も伝わっては来ないけれど。
「楽しかった。ずっと一人だったから、誰かといるのがこんなに楽しいなんて思ってなかったんだ」
自ら孤独になることを選んだくせに、結局誰かをまた求めてしまった。
幼いころから育ててきた弟のような存在は手を離れ、独立を選び、いつしかいがみあうようになって。
もうずっと腐れ縁のような隣国の男とも会っていない。
彼だけが、彼の存在だけが、癒しだった。
人の身でない自分がさみしいと思うこと自体が不思議だが、彼と出会ってますます一人でいたくないと思うようになった。
彼は優しい。砂糖を入れすぎた紅茶よりも甘く、アーサーが弟を甘やかしていたよりもずっと甘やかしてくれる。
ぬるま湯に浸っているような柔かな幸せだった。
そんな日々がずっと続くんだと思っていた。心のどこかで否定しながらも。
「私もですよ。200年鎖国してましたし…外の人と触れ合うのは新鮮でした」
おっとりと、こんなときでもいつものように微笑む彼の心はやはり今もまだ、見えなくて。
たった40年の間じゃ何も分かり合えないのかと思うと無性にやるせない思いになった。
ねぇ、君は長い長い終わりのない生の中で、何を見てきたの?
そのまっすぐな瞳にどんな世界を映してきたの?
「…名前で呼び合うのって、いいものですね」
「……そっちが名前を聞いてきたんだろう」
「国名も大事ですけど、あなたについた名前が知りたかったから」
「そうか」
「ええ」
この手を放したら明日からはもうきっと会うこともない。
少しだけ握りしめた手を、彼は握り返してはこなかった。
水面に映る月が、風で揺れた。
「…なぁ」
「はい」
「………ずっと言いたかったことがあるんだ」
緩く握る細い手。少し冷えたその温度は本当に彼らしい。
ああ。こんなにも。
「俺は君が」
「…それ以上言ってはいけません」
細い指がアーサーの唇をふさいだ。
「…どうして」
「終わらないものなんてありません。冬の後には必ず春がくるように、いつかきっとまた会える日が来ます」
彼の清廉な黒い瞳は、どこまでもただまっすぐだった。
揺らぎなどなく、ひたすらにただ前だけをみている。
作品名:separation 作家名:湯の人