生き様
養生の床に、左前の着物で伏せるなんて縁起でもない。
……もっとも、片倉小十郎は縁起などに殺される命(たま)でもあるまいが。
「OK、OK、どうせ言っても直さねぇんだろうから、好きにしろよ」
「政宗様」
ひらひらと手を振ってやると、飲み干した茶碗を置き、今度は小十郎から声が上がる。
その、やけに神妙な声に、次に続く言葉をだいたい予感しつつ。
「何だ」
「そろそろ大森の城へ戻りたく、お許しを頂きたい。養生はあちらでも出来ますゆえ、何とぞ――――」
「No!」
政宗は小十郎の言葉が終わらぬうちに即答した。
やっぱりそれか、と予想通りだったが、そればっかりは好きにさせるわけにはいかない。
「何度も言ってんだろ、おまえが大森(あっち)に戻っておとなしく養生なんざ、出来るわけがねぇんだって」
まったくしつけぇな、と政宗は息をついた。
米沢城に連れて帰ったその日から、顔を合わせれば二言めにはそればかり。
先だって落とした大森の城を小十郎に与えたばかりの時分であり、南奥制覇の要だからとそちらに戻りたがっている彼を政宗が許さないからだとはいえ、なかなかどうして小十郎も諦めが悪い。
十日前のあの日も、大怪我なのだからすぐにも侍医に見せろと言っているのに大森に帰ると言ってきかない小十郎と、城の大手門前ですったもんだの押し問答をしたものだ。
『Hey、馬鹿言うんじゃないぜ小十郎。城よりまずてめぇの怪我どうにかすんのが先だろうが』
『私の体より大森の城です。落としたばかりで体制も地盤も整わぬ城を空けるなど、どうしてできましょう。あれを私にお与えになったのは政宗様、あなたですぞ』
『城なんざ放っておいたって腐りゃしねえよ。だがその傷は、膿んで腹ン中から腐るかもしれねぇ。物事の順番を間違えんな』
『いいえ、順序を間違えておられるのは政宗様の方です。城は国の要、まして今の大森は、南奥平定の重要な拠点であると同時に最も危うい状況にあることをお忘れか。地固めもせずに放っておけば、やがてそこから国全体が揺らぐことがないと言い切れぬのですぞ。物事には万事、優先順位というものがあるのです。今最も優先されるべきは大森の早急な体制の確立であって、それを疎かにしたばかりに、以後、政宗様の天下取りに支障をきたすようなことになれば、小十郎はこの身を腐らせても悔やみきれませぬ』
『Ah……、わかった、城を空けんのが不満だってんなら、大森へはシゲに行ってもらう。それなら文句ねえんだろ』
『そういうわけにはいきますまい。成実殿には二本松の城が、』
『shut up(うるせえ)!! ……四の五の言ってんじゃねぇぞ。てめーは怪我人なんだ、大人しく俺の言うこと聞いてりゃいいんだよ、You got that(わかったか)!?』
終いにはあまり堪え性のない政宗がブチキレて、"怪我人"の胸倉を掴んで怒鳴りつけながら押し切り、米沢の元の屋敷で(無理やりに)小十郎を養生させているわけだが、その突拍子もない人事采配に家臣一同が大いに振り回されたのは言うまでもない。
そういうわけで、政宗自身は最善の譲歩をした気でいるので、何度も懲りずに帰りの許しを乞うてくる小十郎には辟易していた。
「大森(あっち)はシゲに任せたと言っただろ。何事もなく、つつがなく、平穏そのものだとよ。しばらくは領地内での戦はねぇ。他所に仕掛ける気もねえしな。おまえが心配することはnothingだぜ小十郎」
「ですが政宗様、それでは成実殿に多大な負担をおかけしているのが現状でしょう。成実殿の二本松城は大森よりさらに遠い、御自分の居城と留守番の城と、往復だけでも――――」
言い募る小十郎に、政宗はまたしても軽くキレかかる。
「ぐだぐだうるせぇっつってんだよ。それとも何か、そんなに俺の側にいたくねぇ理由でもあんのか、Ah?」
「滅相もない」
きっぱりと言い切って、しかし、小十郎は強い視線のまま眉根を寄せた。
「ただ、やはり要の重要性を侮ってはならぬと。この大事な時に動けぬ、己が身が不甲斐なく、情けない思いで口惜しいのです」
主君に賜った城を何が何でも己が手で守り固めたい、その気概や良し。
小十郎のその思いが誰より強いであろうことは、他でもない政宗自身が一番良く知っていることだが、それでも答えは変わらない。
「――――いいか、小十郎。おまえがどんなに治ったと言おうが、大丈夫だと言おうが、俺が良しと言うまでおまえを大森に帰すことはねぇ」
「政宗様」
「おまえの言う通り、城は確かに国の要だ。何を置いても守るべき要所で、そこを失(な)くすなんざ有り得ねえ。だがな、それ以上に、俺は俺の要を失うわけにはいかねぇんだよ。この判断がmistakeで、たとえ城がひとつ潰れたとしてもな」
「政宗様っ、」
「黙って聞け」
まだ話は終わってねぇ、と政宗は血相を変えて身を乗り出してきた小十郎を制した。
言いたいことはわかってる。どうせまた、一家臣と城を天秤にかけるなんて国主にあるまじき愚考、とか何とか、お定まりの小言に決まっている。だが。
「誰が何と言おうと、これだけは譲らねぇ。だから、おまえが完治するまで、完治したと判断するまで、俺は良しを口にしねえ。いま大森に帰したら、養生しねぇで無理するに決まってるからな。俺の目の届くところで存分に休ませると決めた――――もうこの話はこれで終いだ、You see(わかったな)?」
一気にそう言って、有無を言わせず問答を打ち切る。
それでも今にも何か言いたげな小十郎には、追加で駄目押しをくれてやった。
「俺が良しを言わねえうちにまた同じこと言いやがったら、大森の城を取り上げんぞ」
「政宗様……」
一瞬、目を見開いた小十郎は、やがて、何を言ってももはや無駄だと悟ってようやく折れたのか、やれやれと苦笑交じりに息をつく。
「……勝手な方だ。無体な事ばかり仰って、小十郎を困らせるのはそんなに楽しいですか」
「あぁ、楽しいねェ。おまえを困らせて振り回せんのは、俺だけなんだろ」
「悪趣味ですぞ、政宗様」
「うるせぇな。言えた側かよ」
おまえのがたいがいだろ、小十郎。と。
左の半眼で、政宗は小十郎を睨むようにした。
「無茶しやがって。もっとうまく避けられなかったのかよ。モロに腹で受けて倒れやがったから、死んだかと思ったぜ」
言葉はせいぜい悪く出来ても心情までは覆い隠せず、詰るようになったその問いかけにも、彼の答えはよどみなく。
「なにぶんとっさの事でしたので。まだまだ精進が足りぬようです」
「……Hum」
どうだかな。こちらを突き飛ばすなり、抱えるように倒れるなりすれば、自分の身も守れるように避けることはできたはずなのだ。
小十郎がしなかっただけだ。政宗を守りつつ少しも巻き込まぬように、代わりに自身が手酷いdamageを受けようとも。
「しかし、政宗様を守って死ぬなら、小十郎の本懐というもの」
おまけにそんなことを言いながら笑ってみせるものだから、政宗は押し黙った。
そういうことじゃ、ねぇ。
戦場で敵を前に、あなたを守って死ぬと、その意気で背を守るから存分になされよと、そう言われるのは自身を鼓舞されるようで悪い気はしない。