生き様
だが、それは傍らにその姿がいつでも立っていると信じているからだ。
自分の代わりに死なせるために、身代わりとして側に置いているわけじゃない。
だから実際に負傷する姿を見れば、動揺もするし心配だってするに決まっている。
だというのにこの男は、何もかも平気な顔をして早々に自城に戻りたがったり、養生の床でまであなたのために死ぬなら本懐だなどと言う。
伊達家の当主としてなら、それほどの忠臣を持つことを誇れども、政宗個人としてはそこまで割り切れるものではなく。
ややこしい感情に攻められて、苛立ってしまう。そうして黙ったままでいると。
「政宗様」
小十郎が、ふっと笑った。
それはまるで昔に見たような、大人が子供を諭すときのような情の深い笑みで。
「そう拗ねられますな。たかだか家臣の身ひとつで、奥州筆頭の独眼竜が然様に振り回されてどうするのです。情けない」
「すっ……、誰がだ、小十郎ォッ」
政宗の理知的な頭脳も感情的な心も、いつでも的確に汲み取る小十郎の言葉は、政宗本人でさえ形容し難かった感情をずばり言い当てた。
だが、人は、時としてあまりに正確に図星をつかれると怒る理不尽な生き物ゆえに。
政宗はとっさに小十郎に掴みかかってしまった。shit、こいつは怪我人だった、と我に返り、慌てて衿を掴んだ手を離したものの、中途半端に浮かせた腰を戻すに戻せず。
カッとした勢いのまま動いて、また急にそれを止めたせいで何とも格好の悪い様相になってしまった。
進むも戻るも能わず、行き場のない手をさまよわせていると、小十郎はそっと乱れた衿を直して言った。
狼藉を諌めるためではなく、まるで己に言い聞かせるかのように。
「あなたを守って死ぬと決めている。ですが、死のうと思ったことは一度もありません」
「――――――」
いっそ爽快なほどに言い切られて、力が抜けた。
へたり、と畳の上に政宗が座り込むと、小十郎は続けて諭すように笑む。
「ですからどうぞ、ご心配召されるな。小十郎はどこまでも政宗様のお供をいたしますゆえ」
どんな状態になろうとも、必ず側に戻るのだから気遣い無用、と、暗に言われたわけだ。
政宗は、やっといつもの不敵な笑みを取り戻して応えてやった。
「……Ha、当たり前だ。おまえには俺の背中を預けてんだ、勝手に死なれちゃ困るんだよ」
背中を預けるというのは、それを守って死ねという意味ではない。
終生共に生き続け、守り通せという意味だ。
振り返ったとき、あるいは傍らに、過去現在未来すべてにその身を置き続けろという、それが、
『――――それがきみの生き様かい、片倉君』
笑んだのもつかの間、不意にその"声"が耳朶によみがえって、政宗は表情を強張らせた。
忘れるべくもない――――小十郎にこんな怪我を負わせ、真田との決闘の邪魔をした、"襲撃者"の声だ。
『政宗君がいなければ、縛られるものもないかと思ったけれど、それがきみの返答だと思っていいんだね』
失望したよ、と大仰に肩をすくめて。
『残念だね。秀吉もがっかりするよ。きみも……後悔しなければ、良いのだけれど』
あの時、やたらと硬質な声でそう言い残して、襲撃者は姿を消した。
此度の襲撃者が、常と違った最大の行動がそれだった。
要人暗殺は、狙った相手を討ち取れずと知ればその場から早々に逃走するのが常道であるというのに、"奴"はわざわざ姿を見せ、おまけに先のような捨て台詞を吐いていったのだ。
小十郎の負傷に動揺していたとはいえ、その姿や言葉の端々を洩れこぼす政宗ではない。
面妖な仮面で顔を隠したその男は、ことさら強調して秀吉、と言った。
この乱世に、『秀吉』といえば一人しかいまい。
尾張の豪傑、豊臣秀吉。
その線で探りを入れさせた結果、襲撃者の正体もすぐにつかめた。
奴の名は、竹中半兵衛。豊臣の天才軍師と評される男だった。
『沈黙の半兵衛』などと渾名されている割に、軍師の身でありながら単身で敵将を討ちにくるとは、ずいぶんとactiveなことだ。豊臣が、いよいよ本格的に天下取りへと動き出したということなのだろうか。
その事実も気に入らなかったが、何より政宗の気に障ったのは、この命を狙いにきたはずの竹中半兵衛の意識が、まるで自分に向いていなかったことだった。
奴の意識はたった一人にのみ向けられていた。負傷し、地面に崩れたままの竜の右目、片倉小十郎だけに。
確かめねばなるまい。
どう考えても、"知った"間柄に向けられたとしか思えぬ奴の言葉の意味を。
「……そうだ、小十郎――――決闘を邪魔しやがった野郎の事だがな、素性が割れたぜ」
政宗は軽く身を乗り出して、わざとらしく小十郎の注意を引くように言った。
問い質したい真意を、笑みに隠して。
「竹中ってぇ豊臣の軍師だ」
一段声を潜めてそう言って表情を伺っても、特に変わる様子もない。
ふん、と面白くもない息をついて、ならばと政宗はいきなり核心に切り込んだ。
「"知ってたんだろ"」
「…………」
黙したまま、今度は小十郎がわずかに目を伏せたように見えた。
長年の付き合いで、それだけで政宗には勘にくるものがある。
「……おい、小十郎。てめえ、俺になに隠してやがった……」
声を低くして隻眼を細めると、小十郎は取り繕う様子もなく、躊躇なく口を開いた。
「仰る通り、豊臣の軍師の事は既に知っておりました。何度か接触がありましたので」
「接触ってのは、領内(ウチ)でか」
「まさか。直接姿を見たのは先日が初めてで、これまでは、密偵が竹中からの文を運んできていました。こちらからの返信を一度もしなかったので、一方的な投げ文に近いですな」
「そんなモンが届いてるなんざ知らなかったぜ。何で黙ってやがった」
「大した内容ではありませんでしたので。政宗様にわざわざお聞かせするようなことではないと思ったまでです」
「勝手に決めてんじゃねぇぞ。判断するのは、俺だ」
言え、と迫ると、小十郎はわずかに眉根を寄せて吐き捨てるように言った。
「……豊臣が、私を直臣として迎えたいとか、そんな話で……全く、くだらないたわ言ばかりの内容でしたので、政宗様のお時間を割くまでもない」
「Hum……?」
面白そうに目を細め、政宗は笑みを浮かべた。
その答えは、だいたい予想のついていたものだ。
敵国の、それも要職付きの人間にわざわざ危険を冒して接触を試みるくらいだから、その先には危険(リスク)以上の成果(リターン)を見越していて当然。
この乱世、良き人材はなかなか得難い宝だ。どこでも欲しがる。まして、並以上の智勇を兼ね備えた者であるなら、なおさら。
自軍の強化の為、また、将来台頭してくるやもしれない芽を早々に摘んでおく為、高待遇でもって己が内に取り込んでおこうというのは、定石の策だろう。
早い話が、小十郎の才覚が豊臣方の目に留まり、この独眼竜の目を盗んで粉をかけられていた、と。
色よい返事がないのに焦れて、今の主を屠ってしまえば良かろうと政宗を狙ってきたのが、此度の一件だったというわけだ。
合点のいったところで、政宗は浮かべた笑みに皮肉を込めて言った。