晴天の霹靂
「……――――い、いや、その、なんだ……――――久しぶりだな、息災か、喜多……」
「おかげさまで。米沢から大森まで"遠回りしてでも"殿をお訪ねできるほどには、まだまだこの喜多、衰えてなどおりませぬ」
にっこりと慈母の如く微笑む喜多に、政宗は明らかに怯んでいた。
何をも臆することなく戦場を駆け巡る青き竜は、すっかり常の怖いもの知らずな猛々しさを引っ込めて、身を縮ませてしまっているかのようだ。
動揺を隠し切れない様子で、呟く。
「……まさか、こんなところで会っちまうなんて……」
「ほんに、不思議なこと。喜多は、『米沢の殿をお訪ねする』とお伝えしていたはず。それが、実際に殿にお会いしたのは大森……不思議でございますな」
「…………」
涼しい顔をして言ってのける喜多とたじたじな政宗を交互に見やって、なるほど、と小十郎は納得した。
姉上は、城から出奔した政宗様がここに来ると踏んでいた、だから城ではなく俺の傍にいたのだ。
その予想は見事に的中し、鉢合わせになった分の悪さと不意打ちに、政宗はしどろもどろだった。
「別に、不思議じゃねえよ。小十郎の野菜を取りに来たんだから、……なァ」
「それは結構。して、供の者はどうなされた」
「……いや、供っつったって領内だし……いろいろ面倒くせぇから……――――一応、書置きはしてきた、ぜ……」
「っ政宗様、何という無茶をなさるのかッ」
助け舟を求めるように弱った視線を向けてきた政宗を、小十郎は一喝した。
書置きの有無など、問題ではない。
いかに自国領内とはいえこの乱世、どこに不逞の輩が潜んでいるとも限らぬというのに。
迂闊にも程があります、ご自重なされよ。一体、あなたは御自分の立場をわかっておいでか。
目を剥いた小十郎が続けてそう言う前に、すっと碧の着物が滑るように二人の間に割って入ってきた。
「随分とやんちゃが過ぎまするな。殿が飛び出してしまったせいで、米沢が今どれほどに紛糾しているか、家臣一同がどれほどに気を揉まされているか、判らぬとは言わせませぬぞ。……どうやらこの喜多が、少々、御灸をすえて差し上げねばならぬようです」
喜多は、己の頭一つ分以上も上にある若き主君の顔を見上げて、きっぱりと言い放った。
「殿、そこへお座りなさいませ」
「――――。……What(何だって)?」
喜多が指しているのは、どう見ても畑の土手だった。
そんなところに己の主君を、しかも座れなどとは迷い言もいい所だが、喜多は本気だ。
「異国の言葉は、喜多には何のことやらさっぱり通じませぬぞ。さ、そこに座って、喜多の話をお聞きいただこう」
微笑する喜多に、政宗は思いきり嫌そうに表情をしかめて声を上げた。
「hate(冗談じゃねぇ)! 俺はもう餓鬼じゃねえって――――」
「お座りなさい、"梵天丸さま"」
「……っ」
喜多は決して声を荒げたわけではない。
むしろ静かな物言いだったが、今となってはもうついぞ呼ばれることなどない幼名で名指しされた政宗は、見ている方が哀れになるほど、びくりと大きく身をすくませた。
心身に刻み込まれた記憶と習慣というのは、恐ろしいものだ。
すっかり『梵天丸』の時分に気持ちが戻ってしまったのだろう。かつての幼き日にそうしていたように、よろよろと力が抜けたようにして、政宗は喜多の言葉に従った。
無理もない。
彼女が何事か説き教えようとしている際に、逆らったり逃げたりしようものなら大惨事だと、何より身をもって知っているのは政宗本人なのだから。
喜多は女だてらに非常に気性の荒い行動派で、一度など、説教を嫌がって逃げた梵天丸を、それはそれは恐ろしい形相で本気で泣くまで追い回したことがあり、以来、政宗は決して喜多には逆らわない(それが結構な心的外傷となっていて"逆らえない"というのが真実かもしれない)。
若かりし頃の彼女の、そういった『武勇伝』には大小事欠かず、例えば、小十郎が近侍として政宗に従うずっと以前のこと。
赤子の梵天丸を連れての散歩中に不逞の輩に襲われた喜多は、身を呈して腕の中の若君を守ったばかりか、相手から得物を奪って返り討ちにしてやったことがあると、小十郎はいつだったか耳にしたことがある。
跡継ぎの乳母という大役に抜擢されたとはいえ、一介の神職家である片倉の娘ということでそれまでは何かと謗られ不遇の身だったらしいが、以来、喜多と片倉家にとやかく言う者はいなくなり、同時の当主にも片倉が厚く評価されるようになったのだとか。とにかく、只者ではない。
そういう剛毅な逸話を数々持つ苛烈な女(ひと)だが、冷酷ではなく、むしろ情に厚く面倒見が良いので、小十郎の部下たちには『姐さん』と呼ばれて慕われている。
もっとも、筆頭の兄貴分の姐御は怒らせると竜より鬼より怖い、と囁かれてもいるが。
年齢を重ねても気力体力ともに衰えを知らず、時々、年若い兵たちの武稽古まで面倒を見てやっているというのだから恐れ入る。
そういう烈火のごとき女傑も、それでも最近はようよう丸くなって落ち着いてきたと思っていたが、甘かったようだ。
喜多は政宗が座り込むのを見届けると、その視線を今度は小十郎に向けてきた。
「何をしておるか景綱、そなたもだ。座した主君の側で、のうのうと立っている家臣があるかい」
「はっ、」
慌てて小十郎もまた、政宗の隣に膝を折る。
……こうして見上げると、なんと大きな姉上であることか。体躯の問題ではなく、その、圧倒的な存在感の大きさが。
座した二人の前に立った喜多は、一度大きく深呼吸してから、淡々と、整然と言葉を並べ立てた。
「殿、大した用向きもなく城主がふらふら出歩くなど、見苦しい事をなさいますな。奥州筆頭を名乗る貴方のお側には、領内でのお使いも出来ぬ小物しかおらぬのか。おまけに、城主の姿が少し見えないくらいで、あれほどに城中が浮ついてしまうとは、全体、いつから家中は腑抜けだらけになったのです。出迎えも満足に出来ぬとは、訪ねたのが喜多でよかったが、国事に関わるようなお偉いさんだったらどうする気だったのやら。それもこれも、殿がしっかり城に居座らぬからですぞ。城主が然るべきところで構えておらぬから、皆の足取りも浮つくのです。十九にもなって、家督も継がれた男子が、そのように落ち着きのない童(わっぱ)のような振る舞いを続けるなど武門の恥と心得なされよ。――――景綱、だいたい、そなたが殿のお側についておきながら、これはなんたることだい。殿の御身を護り、家中の若い者をまとめ育てて、御家を盛りたてるのがそなたの大事な務めではないのか。己の目の届かぬところに居る部下まで威武が行き届かずして、何が竜の右目か。大層な名が泣いておるぞ。まったく、嘆かわしいったらないねぇ」
「…………申し訳ございませぬ……」
「…………sorry……」
「そうやって、すぐに謝れば良いというものではない。そもそも男子たるもの、簡単に侘びるものではないわ。それではまるっきり己に非があると始めからわかっていて行動しているようではないか。そなたらは、そんな無責任が許される立場ではないだろう。そんなことでは下の者への示しがつかぬ。情けないことをするんじゃないよ」