秋闌
ただ今は戦乱の世であるがゆえ、関わりはしても深入りはしないと互いに暗黙の了解を持っている。
明日には戦場で殺し合っているかもしれない相手と、気安く会合する者などいまい。世知辛いが、それが戦の世の常だ。
もっとも、その微妙な付かず離れずな距離感が、結果的に付き合い易いという空気を作り出しているのかもしれないが――――。
再び息をついて、小十郎は言った。
「……政宗様に、伺いを立てる。返事はそれからだ」
答えがわかっていても、自らの返答はこれのみ。主をないがしろにするような勝手はしない。
佐助は、やれやれと肩をすくめた。
「姿に似合わず律儀だねぇ、右目の旦那」
やっぱり一発殴っておくか、と小十郎が短気を起こしかけたその時、
「んじゃ、これ」
と、絶妙な間で佐助が懐からなにやら巾着を取り出し、差し出してきた。
口のところを結ばれたそれは、大きくふくらんでいる。
「…………何だ、それは」
「裏山で採った栗。いつも手ぶらじゃ悪いと思ってさー、少しだけど、竜の旦那にあげてよ」
味はウチの大将のお墨付きだから、と佐助は裏のない笑顔をみせる。
「――――」
それはまったく他意のない表情と言葉で、思いもかけないことに面食らった小十郎は、しばらく言葉を失ってしまう。
やがて、半ばあきれた苦笑を返した。
「……手土産持ってくる忍なんざ、天下広しといえどてめえくらいだろうな」
「ウチの旦那がいつもお世話になってるからね、これくらいはさ」
さ、どーぞ、と押し付けられたそれを受け取り、小十郎は結ばれた緒を解いてみる。
中には言葉通り大粒の栗が、暗い艶のある光沢を放っていくつも詰められていた。
武田の大将のお墨付きとのことだが、そんなものなくとも、ふっくら丸いその外見を見ればわかる。これは極上。
甲斐は、果実が豊かな国だ。葡萄をはじめ、梨、桃、柿、栗、林檎に石榴、胡桃、銀杏……数え上げればきりがなく、四季折々に楽しめると聞く。
奥州とは気候風土が根本から異なり、甘い実をつける作物が良く育つのだ。
小十郎は栗の実をひとつ、爪で割って見た。
渋皮の下からのぞく濃い黄色は鮮やかで、その甘みを容易に想像できる。
「ほう。見事じゃねぇか」
偽りなくそう評してやると、佐助は相貌を崩して、照れたように言う。
「あっ、気にいってくれたー。いやあ嬉しいな、右目の旦那に褒められるなんて。朝一で採りにいったかいがあったよ」
"朝一"。
その言葉に、小十郎は手元の栗と佐助とを交互に見た。少し同情的な気持ちと視線を、目の前の忍頭に向ける。
「……武田の忍ってのは、よっぽど仕事がねぇんだな」
「ち、ッちょっとちょっと、何よ、その哀れみの目っ。忍ぶ国への心遣いも、立派な仕事のひとつなんだって」
慌てる佐助に、小十郎は苦笑いを返した。
「ちいッとも"忍んで"ねえだろうが」
「毎度、丁重に忍び参ってますってば。だいたいねぇ、双竜の旦那方が異常なの、普通、忍の気配なんて気づくはずないってのに……ま、奥州(ここ)に来るとすぐ見つかっちゃうから、こっちも少し開き直ってるとこあるけど」
「てめえが忍のくせに目立ちすぎなんじゃねぇのか。前に上杉の忍が来た時は、俺も政宗様も気がつかなかったぜ。後から軍神に聞いて知った」
「うっそ、そうなの。うわー、かすがちゃんてばすごいね~、さっすが~――――……って、俺様ちょっと自信喪失しそうなんだけど…………」
軽口から一転、本気でがっくりとうなだれた佐助の様はさすがに哀れで、小十郎は笑って取り成してやる。
「少なくともくのいちの方は、手土産なんざ持ってこなかったからな」
持ってきたところで、受け取りはしねぇが。
忍の手を介した物など、まともに受け取るべくもない。過分に危険な謀略が仕込まれていると用心するのが普通だからだ。
けれど小十郎は、佐助が差し出した"手土産"を受け取っている。
それは、加工品なら毒を混入されるなど恐れもあるが、大地から取った素のままの状態ならばまず大丈夫だろう、この瑞々しい光沢がそんな無粋なものなど含んではいないことを如実に示している、と判断したのがひとつ。
何より、相手がこの男だ。
猿飛佐助は、『卑怯といわれようとどんな手段だって使う』、と公言してはばからないが、それは忍が身上ゆえの戦場での話。
実際は卑劣な謀略の類をあまり好まない気質であるらしいことは、一度刃を交えればわかる。忍のくせに、妙に義理堅く、律儀で、好戦的な男なのだ。
平穏時に敵の大将を謀殺しようなどどは、たとえそうできる機会があったとしても、自らは少しも考えないような。
妙な野郎だ。しかし、一番妙なのは、己であるとも小十郎は思う。
敵国の忍に信用を置いちまうとは、まったく、ヤキが回ったもんだ。
「いつまでも鬱陶しい面してるんじゃねえよ。いいじゃねぇか、これで政宗様の機嫌が取れれば、さっきの話は二つ返事で了解してくださるぜ、そうすりゃてめえの主も喜ぶんだろうが」
小十郎が栗の入った巾着を手の上で数回放ってみせると、佐助はようやく顔を上げて息をついた。
「……そりゃま、そーだけどね」
「そのための"気遣い"も立派な仕事の内、てめえが言ったんだ、納得づくなんだろ。何にせよ、これで任務完了、お役御免ってこった。さっさと帰んな」
さらりとなだめてあっさり突き放すと、佐助は一瞬目を見開いた後、やれやれと苦笑した。
「…………あのー、一応これでも傷心なんですけどねー……。つれないなぁ、右目の旦那」
「てめえの傷心なんざ、知ったことじゃねぇ」
そこまで慰めてやる義理はない。必要も。
この忍(おとこ)が、そんな繊細な柄か。
案の定、佐助は肩をすくめると、すぐにいつもの調子を取り戻して言った。
「ま、いいや。でも次に来る時は、双竜の旦那方に気づかれないように、ちょーっと本気で忍び参るからね~」
「――――そいつはやめとけ」
立ち直った佐助の本気予告を、小十郎は真顔で牽制した。
「何でさ。俺様だってその気になれば、旦那方の目を盗むくらいどうってことな――――」
「気配殺して忍んできやがったら、速攻で斬り捨てちまうが、文句ねぇんだな」
いくら馴染みがあるとて、それは脆い仮初めに過ぎない。どちらかが"本気"を見せれば、その瞬間で終いになるような。
小十郎の淡々とした言葉に、
「…………。……あー……、右目の旦那、冗談通じないもんねぇ……」
斬られるのは御免、と佐助は肩をすくめて笑った。
やれやれ、と吐かれた息は、残念そうでもあり、諦めたようでもあり。
「それじゃ、ま、ご忠告どうも。――――今日はさっさと退散するわ、じゃね~」
その、真意を見せぬままの軽薄な物言いが終わると同時に、佐助の姿は文字通り忽然と消えていた。
去り際は、忍が本領。見事の一言に尽きる。
小十郎は再び静けさを取り戻した山あいを見渡し、彼の気配がすでに無いことを確認した。
息をつきかけ、ふと――――また違う足音が近づいてきていることに気づく。
振り返ってみると、少し離れた林道に動く人影が、片手と声を上げた。
「――――Hey、はかどってるか、小十郎ー」
「……政宗様」