秋闌
着流しの肩に腕を通していない羽織をかけた姿で、主がやって来るのが見えた。
少し気だるげなゆっくりとした歩みにあわせて、肩掛けにされた派手な濃紫の羽織がゆらめいている。その鮮やかさは、舞い落ちる紅葉もかくやの風情。
普段の強気を引っ込めて、珍しくのんびりとした空気をまとっている政宗の姿が近づいてくるのを、小十郎は微笑ましく待った。
さて今日は一体、何をなさっていたのやら。城の露台に出て、高い秋空でも眺めながら取りとめの無い思案にでも暮れていたのかもしれぬ――――。
奥州筆頭はここニ、三日ほど、大森へ羽を伸ばしにきているのだった。
本格的な冬に入る前に政のあれこれを取り纏めるため、参謀である小十郎に相談を、というのが口実。
政宗が自分からそう言ったわけではないが、そういうことなら小十郎が参りますと返したところ俺がいくから待ってろと制されたので、これは城外に出たいのだろうと察した小十郎が引いたのだ。
実際、二人が真剣に国政について言葉を交わしたのは政宗が大森城に入った初日くらいのもので、あとは互いがそれぞれに過ごしていた。
小十郎は声をかけられない限り、政宗のいない平素と変わりなく振舞うことに努めている。
つかの間の竜の休息を赦したのだ、あとはどう過ごされていようとつまらぬ小言など口にせぬように、と。
政宗も大人しいもので、城外に出ようとする素振りはみせず、ただのんびりと爪も牙もしまい込んで城中の部屋や庭で過ごしているようだった。
戦の季節を駆け抜け、数多の血と怒号にまみれた後は、さすがの独眼竜とて自身をいたわる時間が必要なのだろう。
この様子ならば無茶や奔放はするまいと、小十郎は城を空けたのだが、どうやらそれは見込みが甘かったらしい。
「政宗様――――供をつけずにいらしたのですか」
すぐ目の前まで来た彼がたった一人であったことに、小十郎は自然と表情を険しくした。
だが、政宗は悪びれもせず。
「小言はNo, thanksだぜ、小十郎。……おっ、すげぇな」
うずたかく積まれたごぼうに目を留め、早速しゃがみこんで検分をはじめる。
こっちが長いだの太いだの、山の一角を崩して両手に持ち替えては、ためつすがめつして見ている政宗に、はぐらかされてはならぬと小十郎は強めに呼びかけた。
「政宗様っ」
「強いていえば、おまえの所為だぜ。だから小言は聞かねぇ」
「……な、……」
身の覚えのない故にされ、小十郎が一瞬押し黙ると、政宗は手にしたごぼうの先端を突きつけてきた。
「"大森城主を供にして"城下を散歩しようと思ったら、いなかったんじゃねぇか。だから、小十郎、おまえが悪い」
「――――……また、そのような……」
取ってつけたような詭弁を。
悪戯ぽく見上げてくるそのこころは、はたして嘘か真か。
まったく、と息をついていると、政宗は、目ざとく小十郎の手にある袋を見つけたようだ。
「……何だ、それ」
興味津々な視線に応え、
「は――――今しがた、武田の忍が来ておりまして」
小十郎がみなまで言う前に、政宗はにやりと不敵な笑みを浮かべていた。
それまでのゆったりした雰囲気を一気に霧散させ、勢いよく立ち上がるなり、精彩を放つ目で言う。
「Ha! 久しぶりに来やがったか……OK、いつでも相手になるぜ。そう伝えろ、小十郎ッ」
「御意」
武田の忍が来た、という言葉だけですべてを了解した政宗に、小十郎は深く頷き返してから、件の袋を差し出す。
「――――して、これを政宗様に、とお預かり致しました」
すでに真田との決闘に思いを馳せていたのだろう、その緊張感を崩すような小十郎の言動に、政宗は一瞬面食らったように隻眼を見開いた。
怪訝そうに受け取った袋の中をさぐり、それを見出して声を上げる。
「へぇ、栗じゃねえか。粒揃いだな」
「政宗様への甲斐土産だそうです。忍が気遣い、お渡ししましたぞ」
「Humm……忍が手土産ねぇ。あいかわらずつかめねェな、武田の連中ってのは」
ま、そこが面白い所なんだが、と笑って、政宗は小十郎を見上げてきた。
「で、おまえは何か持たせてやったのか」
「いいえ」
小十郎の即答に、政宗はわずかに眉を寄せる。
「土産持ってきた奴を手ぶらで帰したのか。――――これ持たせてやればよかったじゃねえか。こんなにあるんだからよ」
ごぼうを手に取る政宗に、小十郎は再びきっぱりと否を応えた。
「ご冗談を。……小十郎は政宗様の為だけに野菜をお作り致しておりますれば、これらはすべて政宗様のもの、政宗様の断りなくして他者(ひと)にやれるものなど、小十郎の畑には根っ子ひとつありはしません」
真顔でそう言い切ると、政宗は目をしばたいた。
やがて小さく笑みを浮かべる。
「……そうだったな、これは、俺のモンだ」
「ですからどうしてもと仰るなら、政宗様から下賜なさればよろしい」
「Ah、そういわれると、何か、途端に惜しい気がしてきた……誰にもやりたくねえ」
おどけたような口調とは裏腹の視線が、小十郎とごぼうとを行き来した。
「すげぇ出来がいいしな。さすがだぜ、小十郎」
「――――恐れ入ります」
その一言の称揚に、小十郎は全て報われる。
作物の出来栄え以上に、政宗様に喜んで頂けることこそが、本望なのだ。
そうして片手にごぼう、片手に栗と、秋の味覚を手に手に眺めている政宗を穏やかな心地で見つめていると、彼は不意にはっと顔を上げた。
続けて、異国の言葉で早口に、どこか興奮したように呟く。
「……I just had a great idea(いいこと考えた)……!」
主ほどそちらの言葉に通じていない小十郎には、その正確な意味はわからなかった。
だが、何か、嫌な予感がした。
こういう予感は良く当たる。
はたして、政宗は含みのある笑みを浮かべて言った。
「なあ、小十郎。今度の決闘は、真田幸村を一杯食わせてやることにしようぜ」
「――――――……と、申されますと」
小十郎はおくびにも出さず、けれど内心では恐々として聞き返す。
この人がこんな顔をする時は、何事かたくらんでいる時だ。まったく梵天丸さまの時分から、こういうお顔つきは変わらない。
そしてたいがい、突拍子も無いことを言い出して、周囲を振り回してくれるのだ。
虎の若子を一杯食わせてやる、とは、またどんな悪戯を思いついたのやら……。
小十郎の不安をよそに、政宗は得意げにあごをしゃくって言った。
「膳を作って待っててやるのよ。で、あの野郎が真っ向突っ込んで来やがったら、こっちはcoolに『まずは召し上がれ』ってな。……出鼻を挫かれてどんな阿呆面になるか、見物だと思わねぇか」
「……。……――――膳、ですか……」
すでに己の仕掛けの結末を想像しているのか、政宗は肩を小さく震わせて笑っている。
小十郎はといえば、主の言葉の意味を反芻して、頭の中を疑問符に埋め尽くされていた。
……それはもてなしというのであって、少しも悪い事ではなく、むしろ客人としての相手に礼を尽くす立派な行いだと思うが――――。
一杯食わせてやるなどと言うから、どんな悪事で奴を貶めようというのかと身構えていた小十郎は、呆気にとられて反応が遅れた。