夜の獣 サンプル
綱吉は、獄寺の作った書類にサラサラとサインをして山本にひとつひとつ返していく。綱吉の手前で処理できる案件は獄寺と彼の所属するチームが一手に引き受けていた。明晰な頭脳を持っていた獄寺は物事を複雑に考える上に視野が狭かったが、綱吉を通したリボーンによって広い視野と考え方ができるようになっていた。獄寺もまた複雑な気質は五種類の波動に、そして彼の根底に流れる「綱吉のために」というシンプルな気持ちは、強力なディフェンス能力を持った嵐の属性に現れていた。嵐のリングの意味はは“常に攻撃の核となり、休むことのない怒濤の嵐”と銘打たれているが、攻撃が最大の防御という言葉の通り、獄寺は綱吉の直前で陣を守る布陣が一番向いていた。
「ハハハッ」
何のための資料かわからないまま受け取って、獄寺へと運ぶ山本にそういえば、と綱吉が顔を上げる。
「さっきの女の人、どうしたの?」
「お茶飲んで引き取ってもらったよ」
「獄寺君怒ってた?」
「いや、自分でケリつけろって裏のキッチンに追い出された」
山本の言う“裏のキッチン”は、ボンゴレ総本部の山本の居場所の一つで、確かに台所機能も持っているのだが、山本率いる実働隊のたまり場でもあった。頭より腕っぷしという連中をまとめているのが雨のボンゴレリングの守護者の山本で、その裏表のない開けっぴろげな性格が荒くれ達の信奉を集めていた。何万もの言葉よりも、刀の一降りで信頼を得た山本の裏のキッチンには一癖も二癖もあるヤクザ者達が昼日中から集まっていた。酒如きでは腕が鈍らない強者は酒を呑み、葉巻をくゆらし、左右に女をはべらして遊戯に興じている。そんな中に、マフィアのマの字も知らない一般女性が放り込まれたらたまったものじゃないだろう。いくら山本が輝く笑顔でエスコートをしたところで、後腐れ無く帰っていく。山本も完全にわかっているからこそ、楽しんでいる節があった。
「いつか刺されないようにね」
「誓っても誘ってないからな」
「うん、わかってる。だから始末に負えないんじゃないかなぁ。山本だからね」
中学生の時分よりシャープになった頬のラインを緩ませて綱吉は笑った。
山本の部下の事達は綱吉だってよく知ってる。
全員、イタリアン・マフィアらしく女性に対して礼儀は尽くすし、乱暴者ではないのだが、切り傷だらけの顔や愛想笑いができない彼らの外見が怖すぎるだけで損をしていることも。いざという時には山本と一緒にボンゴレを守ってくれる忠義者なのだ。いくら女性を片手に抱いても人前で淫らなことはしないし、その彼女達だって同じように武器を手にすれば、リングが無くったって相当強い。
「はい、おしまい。獄寺君にいつもありがとう。って伝えておいてくれる?」
「あぁ、でもまぁ来てるし」
山本がドアへと振り返ると、ノックしながら獄寺が顔を覗かせるた。
「10代目。お茶をお持ちしました」
綱吉がチラと卓上の腕時計を見ると十五時だった。こうでもしないと、顔を合わさない日が続くため三人でなんとなく決めたルールだった。獄寺より先に届いたエスプレッソの香りにリボーンは身を起こす。獄寺は慎重にカップが並ぶ銀のトレイをソファセットのテーブルの上に置く。各自、カップを取り綱吉はミルクで渦をつくり、山本はとびきり冷えた牛乳の入ったグラスを取る。小さなエスプレッソカップにリボーンが手を伸ばして、獄寺は自分のコーヒーカップを手にする。
「帰ったのか?」
「おう」
一気飲みして空けたグラスをトレイに戻した山本は、頷きながらミルクの残滓を手の甲で拭う。
「獄寺、変わったことはねぇか?」
こちらも馥郁とした香りを楽しんでエスプレッソを空けたリボーンがソーサーごとトレイに戻した。
「リング関係が結構キナ臭くなっていますね。あちこちのファミリーから報告が上がってきます。まだ小競り合い程度ですが」
「ボンゴレリング、どうしようかなぁ」
綱吉は左手にコーヒーカップを持ちながら、右手を握りしめてリングをみつめる。獄寺の山本の指にもある歴史を感じさせる重々しいボンゴレリングはそれぞれの顔を歪めて反射する。
「ま、もうちょっと考えようか」
それが全員揃った最後のティータイムだった。
◆◆◆
ザ・リッツカールトン・ホテルのドアマンは奇妙な二人組を中に通すかどうか迷っていた。旧正月前とはいえ年が改まったばかりの朝に血まみれの男二人組はどう見ても歓迎すべき客では無かった。
「大丈夫だ。タイレーンには連絡済だ」
スーツ姿の男は総支配人の愛称を軽々と口にした。であれば、速やかに通さねばならないがしかし。逡巡する彼を助けるように、当の総支配人が富を象徴する立派な腹をゆすりながら現れた。
「ムッシュ!聞いていたより酷い格好ですな。新年から映画の撮影ですか?」
豪快に笑いながらリボーンの姿に構わず抱擁しようとするから、リボーンが止めた。
「裏口でいいぞ」
「ご配慮痛み入ります。どうぞ、こちらへ」
リボーンはドアマンへ新年おめでとうと倍以上のチップを握らせる。
「あ、いえ、これは」
タイレーンが人差し指をたててドアマンの言葉を遮る。
バスルームは蘭の香りで溢れていた。山本は先に乳白色の湯の中で体を伸ばし、その水面では紫めいた大きな花びらの蘭花がいくつも浮いていた。
リボーンも山本の反対側に入り、冷え切った体をゆっくりと温める。
ふと、自分の身体の横にある山本のたくましい足首を掴んで掲げた。
足裏は細かい疵だらけで、つい、と口づけをする。
「ん、」
痛みとこそばゆさで山本は足を引く。が、リボーンが許すわけなく、舌先で舐め上げる。
「ちょ、小僧、くすぐったい」
フフと笑いながら嫌がらせのように山本の足の指に丹念に舌を這わせて柔らかい土踏まずを舐めた。
「…ちょっと、あ、…やばいって…」
「勃ってきたか?」
「な!もうちょっと、こう、さぁ」
「今更だ」
見せつけるようにくるぶしを丸く舐めると山本は明らかに感じたように体を震わせた。バスタブの縁に頭を載せてのけぞる。リボーンは足首を自分へと引いて山本を湯の中に引き込む。
「油断するな」
ぶくぶくと沈む山本が浮かび上がってきて、恨めしげに睨むがそんな視線もリボーンにとっては心地よくて目にかかる前髪を両手で後ろになでつけて、引き寄せてキスをした。からかうためでも癒すためでもない愛情の伝えるくちづけは山本を酩酊させる。唇が重なって熱い舌がすべりこんできて、絡み合う。くちゅと濡れた音で伏せていた目を上げるとリボーンが自分をじっと見ていた。
「いつもそうなのか?」
山本はキスをしたまま尋ねる。
「どんな顔をしているか興味がある」
「それ嫌われない?」
「は?」
「小僧はさ、自信があるかもだけどさ、やっぱそういうのは日本人には恥ずかしいと思うのな」
急に何を言い出すのか、リボーンは興味深く山本の意見を拝聴することにした。
「キスってさ、手を繋ぐのと同じぐらいこうドキドキするものだと思うんだけど、それを小僧だけ堂々としてるってイタリア人だからかもしんないけど、日本人相手だとドン引きされると思うぜ。もしかして今までそういうことなかった?気付かなかっただけとかない?いや、小僧が間違うとは思っていないけどさ」