Dog_Fight
工場の奥に、事務所か監視所に使われていたのだろうか、金属の外階段をまとった二階建ての小屋があった。
その二階から、あるはずのない人工的な光が漏れている。
外階段に面したドアの真ん中にとりつけられた、厚いガラスでできた小さな丸い窓から、横切る人影が見えた。
先導するボッシュは、足音を消して、小屋に近づき、その表階段の影に身を寄せると、リュウに合図を送る。
リュウはうなづき、ボッシュから離れて、ひとりで小屋の裏側へと回り込んだ。
案の定、割れたガラスの窓がついた裏口のドアが二階にもう1つあり、そこから螺旋階段が下へと伸びている。
リュウは、念のために剣をぬき、右手にぶらさげたまま、さび付いて塗料があちこちふくらんだ階段を慎重に上った。
裏口の割れたガラス窓から、部屋の中にいる人数をまず確認し、状況の判断と応援の要請を、と考えていた。
しかし、リュウが螺旋階段の上にある裏口のドアにたどり着く前に、小屋の中でがたんがたんと大きく人の動く音がした。
あわてて、裏口の窓にとりついたリュウが覗き込むと、暗い明かりに照らされた数メートル四方の部屋の中に5人の男たちが立っているのが目に飛び込んできた。
男たちは皆、リュウの覗き込んでいる裏口に背を向け、ちょうど反対側にあるドアのほうに顔を向けており、先ほどまでそこにあったはずのドアは蹴破られ、ぽっかりと空いたその場所に、オレンジ色の内光に照らされた相棒の姿が見えた。
「レンジャー? サードが何のようだ?」
中にいた連中が、あっけにとられる間に、ボッシュはそのままずんずんと踏み込んで部屋の真ん中に立つと、全員の見守る中で、静かにこう口にした。
「おまえら全員、スマートドラッグ売買の容疑で処断する。」
それを聞き、固まっていた男たちが口々に罵声を浴びせ、急に動いた。
「ボッシュ…!」
リュウは、手にした剣を翻すと、つかの部分を思い切りドアの窓に叩きつけた。
銃を手にした男たちがあわててこちらを振り返るのも気にせず、割れた窓から手をさし入れて、裏口のカギを外す。
ついで、重なる銃声と怒号、そして悲鳴。
リュウが裏口のドアを開けたちょうどそのとき、2人の男がリュウに向かって突進した。
とっさに身を沈め、リュウは最初に駆けてきた男のむこうずねを割る。
もんどりうって倒れこんだ男の体につまづいて、太った2番目の大男が姿勢をくずす。
そのすきを逃さず、リュウが返す刀で、斜め上に切り上げると、男が手にしていた金属のバールが天井へとはじけとんだ。
そのまま身を起こしたリュウが、一歩を踏み込んで腕を伸ばし、剣の先を男の胸倉につきつけようとしたとき、背後から突き飛ばされたように、男の巨体が突然かしいだ。
目の前に立つ大男の肩口から、金属線のような細い切っ先がみるみるうちに生えていくのを、リュウは見た。
己の肩から生えた刃を両手で押さえたまま、男は血を流し、ゆらりと倒れる。
その後ろに、男の背中から刺したレイピアをめんどくさそうに引き抜いたボッシュが、頬に飛んだ返り血を、手の甲で乱暴にぬぐうのが見えた。
「オイ、無事か、リュウ?」
「あぁ。」
「こいつを見ろよ。さぞかし大金が動いたにちがいないぜ。」
ボッシュは、作り付けの金属の机の上に散らばったドラッグの包みを持ち上げ、その重みを測るように上下させると、リュウに投げてよこした。
「ボッシュ! 応援も呼ばずに、こんなこと、無茶だよ…!」
リュウは、いまやうめき声ばかりとなった部屋の惨状を見回した。
ぬぐったつもりの赤は、ぐいと斜めに延びて、ボッシュの頬にあざやかな線を描いていた。
2.
調査室の硬いスツールに腰掛けた管轄長から、手渡されたボッシュの報告書に、リュウはざっと目を通した。
「…付け加えることは何かあるか、リュウ1/8192。」
「……いいえ。」
「武器保管所で、あずかった武器を返却する。今日は上がってよし。」
ぴしり、とかかとを揃え、調査室を出ると、リュウは、暗い廊下を足早に歩いていく。
「あ、やっといた! ねぇ、リュウ、ちょっと!」
午前中、基地の前に集まっていた連中、同僚のターニャとマックス、それからハントがずらずらと廊下の向こうから姿を現した。
「聞いて!」
「…悪いんだけど、ターニャ。後にできない?」
いつもとは少し違うリュウの雰囲気に、マックスとハントはすぐ気づき、ばつが悪そうに廊下の天井あたりに視線を漂わせたが、ターニャだけはめげることもなく、リュウの手を引いた。
「違うの、今日のお手柄のことだとか、そういうんじゃないのよ?」
「今日の…手柄…?」
「ううーん、そうじゃないの! ほら、あんたたちも何とか言いなさいよ!」
ターニャの剣幕におされて、マックスが口を開いた。
「リュウ、その、相談したいことがあるんだ、俺たち全員で…、」 ほら、とばかりにつつかれてハントが後をつぐ。
「リュウに話さないと、って、俺たちもう…。」
「何…?」 さすがにリュウも同僚の方へと向き直った。
「ここではちょっと。今夜マックスの部屋で、全員集まるから…。」
そのとき、廊下のむこうを通り過ぎる人影を目にして、リュウはしかたなく口にした。
「わかった。今夜マックスの部屋だね。じゃあ、後で。」
マックスとハントは息を吐き、ターニャだけは、リュウの視線の先の人物に気づき、不満げに眉をひそめた。
3人と別れ、人影を追って入った次の通路の終端で、ようやくリュウは、あれからずっとすれ違っていた相棒を捕まえることに成功した。
「…ボッシュ、話があるんだ。」
「なんだよ、いきなり。」
通路には自分たちのほかは誰もいないことを確認して、リュウは声をかけた。
午後のあの一件以来、ずっとわだかまっていたことを確かめたかったのだ。
ボッシュは、リュウの横を通り過ぎようとしたが、その前にリュウが立ちふさがる。
「ボッシュ、今日のこと…どうして、俺が裏口に配置につくまで、待たなかったんだ?」
「はぁ?」
「もっとほかにやり方があったはずだろ。応援を待つことだって、できたはずだし、
あんなにけが人を出さなくても、確保できた…」
だが、手を上げてリュウの言葉をさえぎり、ボッシュは声を低めた。
「…まさかお前も、あの連中を逃がす気だったのかよ?」
ボッシュの冷たい口調に、リュウの心臓がどきんと鳴る。
「なんだよそれは…!」
想像もしていなかった侮辱に、かっとしたリュウがボッシュの手首をきつく掴み、振り返らせる。
「言い直せボッシュ。…俺の援護を、信じなかったってことか?」
「手を離せ。」
「そういうことなんだな?」
間近でリュウとボッシュの視線がぶつかった。
「調子に乗るなよ、リュウ。いったい、自分がどれほどの腕だと思ってる…?」
ボッシュは、リュウの手を振りほどき、立ちすくむリュウを置いて、振り返りもせずに立ち去った。
1人残されたリュウの胸に、あのときの熱さが蘇る。
ゼノに教えを受けたとき、自分の力が及ばなかったときの、あのちりちりと焼けるような、胸の痛み。
見上げた通路の天井の無機質な白い灯りが、視界いっぱいに広がった。
やがて、リュウはニ、三度大きく頭を振った。
…同僚の部屋を訪ねる前に、帰って宿舎で熱いシャワーでも浴びた方がよさそうだ。