Dog_Fight
とコントロール・ルームのガラス越しに声をかけた。
昆虫の低い羽音のような振動音とともに、再び戦闘シミュレーションが、始まった。
しかし、ボッシュが新たにプログラムしたそれは、既存のパターンを繰り返す訓練ではなかった。
ボッシュの手から新たに生まれた敵は、執拗にリュウを追い回し、待ち伏せし、リュウを欺いた。
攻撃の技能もスピードも、桁違いの敵に、リュウは翻弄された。
刺されても、斬られても、ゲームオーバーにはならず、敵の攻撃が続行されてゆく。
最初は気にしていた赤いランプも、途中から何度点灯したか、もうわからない。
そんなものを、確認している、余裕さえない。
訓練場の真ん中に位置する、一番高い建物の屋上で何回目かの止めを刺され、とうとうリュウは仰向けにぶっ倒れ、唐突に戦闘は終わった。
「はぁはぁ。」
自分の体よりもはみ出しているかのように心臓が高く打ち、こめかみを血が流れる音で、周囲の音さえ聞こえない。
肺がからっぽになるかと思うほど息を吐き出し、汗でかすむ目をようやく開くと、ほの赤い視界の中に、自分の傍らにそびえ立つブーツと、その上にいるボッシュが見えた。
ボッシュは、すらりとした右腕をまっすぐのばし、倒れたリュウの胸元に、レイピアの先をつきつけていた。
少しも揺れていないそのとがった切っ先を、荒い息を吐きながら、リュウは見つめた。
「どんな気分だ、リュウ。」
「…さぁね。」
「わかったよな、いまの自分の実力が。」
(己を知れ、リュウ。)、ゼノの言葉が脳裏をよぎる。
「…どうかな。」
リュウは、地面に投げていた右手で、すぐそばにあったボッシュのブーツをすばやく掴み、外される前に胸の前に抱え込んで強く引いた。
「!」
あわてたボッシュが、レイピアの先を地面に突き刺し、受身をとって倒れこんだところに、リュウが飛び掛り、その腹の上に乗って、ボッシュの体を押さえつけた。
リュウの動悸が、触れた部分から、うすいレザーのスーツを通して、ボッシュに伝わる。
鼓動が、交じり合った。
リュウは、息を呑んで、乱れた息を整えた。
互いの髪に触れながら、ひととき、影が重なる。
目を閉じても、リュウが巻き起こした土ぼこりの匂いが、する。
戦闘で高まったリュウの熱がボッシュへと伝わり、ボッシュからまたリュウへと、返された。
触れあった部分から、熱を共有したころ、リュウが、手をボッシュの顔の両脇の地面につけたまま、ボッシュに問う。
「どんな気持ちがした?」
「べつに。」
「…ひどいな、それ。」
リュウは、苦笑した。
ボッシュはリュウの体を押しのけると、ぱんぱんと塵を払い、そばにあった小さなブロックの上に腰掛けた。
そのまま、誰に言うともなくつぶやく。
「なぁ、いくら訓練したって、お前の能力じゃ、たかがしれてる…」
「相棒に「任務中信頼できない」って言われて、あきらめろって? 馬鹿言うな。」
ボッシュの横顔に、語気荒くリュウが言い返す。
リュウの中で、飲み下せないかたまりが、また熱くうずいた。
上半身を起こしたリュウは、ボッシュの隣の冷たいコンクリの壁に身を持たせかけた。
リュウの奥底に芽生えたものに、いまはまだ、リュウは気づいていない。
「そんなことじゃない、リュウ。俺が言っているのは、もっと先の話だ…。
目を見ればわかるさ。
お前は、もっと強くなりたい、
誰よりも強くなりたい、と思ってる、だろ?
だけど、お前と俺じゃ、はなからD値が違うんだ。」
「そんなこと、わかってるさ!」
けれど、顔をふり向けてみたボッシュの横顔が、いつもとは少し違って見えることに、ようやくリュウは気づいた。
ボッシュのまなざしは、リュウを捉えずに、とても遠くを見ていた。
ボッシュの耳に、青いピアスがきらり、と光る。
「―そりゃあ、ボッシュと才能が違うのは認めるよ。
…きっと、たどり着く場所だって違うだろう。
けど、いまはここでいっしょに働いてる。
相棒の足をひっぱりたくないって思って、何が悪い?」
「……。」
「いい加減、怒るぞ、ボッシュ!
無駄だと思うなら、
じゃあ、なぜお前、こんな夜中に、俺の訓練に付き合ってる?」
「敗者への同情、興味、哀れみ…。」
「好きに言ってろよ。」
「くだらない…。」
「え?」
「見てろ、全部…ぶっつぶしてやる…。」
リュウも、ボッシュの見ている、闇の先をすかして見た。
小さな街を模した、四角いコンクリートの塊が林立する隙間を、わずかに風が抜けてきて、頬にかかるボッシュの細い髪を揺らす。
ボッシュのピアスと同じ色をした、ほの青く光る燐虫が、その風にあおられて、いくつもいくつも昇っていき、見えない天井の闇へと吸い込まれていく。
訓練所の一番高いところに腰掛けて、2人は黙ったまま、壊れた玩具のような、廃墟を見つめた。
ボッシュが指摘した不足の意味が、リュウの中にももう落ちてきていた。
ボッシュが教えたかったこと、――自分に足りないのは、型にはまった訓練ではなく、予測できない実戦の経験だ――ということを、リュウは深くかみしめた。
翌朝、リュウとボッシュは、特別な会話を交わすこともなく、淡々と職務をこなした。
早番のパトロールを追え、2人が基地へ戻ってきたころには、階段前の壁の落書きもいつのまにか消されていて、こすられたような真新しい細かな傷だけが光っており、その前を通り過ぎるときにも、どちらも何も言わなかった。
ボッシュが先に、休憩室の中を通り過ぎ、つづいてリュウが入室するやいなや、待ち構えていたターニャやマックスたち同僚に腕を引かれ、壁際のスツールのところに連れて行かれた。
「な、何だよ、これ…?」
リュウは、そこに山と積み上げられた、食べ物や医薬品に目を留めた。中には、爆薬やおやつと思しきものや、形からどうみても毒キノコとしか思えない紙のつつみもある。
だが、スツールに座らされたリュウを取り囲む、同僚たちの表情は真剣だ。
「新入りの皆からの差し入れだよ。
ある物をかき集めたんだ。俺たち、気持ちだけでも応援したいんだよ。わかってよ…。」
ハントが、困ったような、でもどこか泣き出しそうにも見える笑顔を見せる。
「それから、これも。」
ターニャが、手書きのメモの束を差し出した。チケットサイズの紙切れに、走り書きのようにリュウの名前が書いてある。
全部で数十枚は、あるだろうか。
「なんだよこれは! お前ら、賭けは、もうしないって…!」
リュウが声を荒げて、マックスとハントの方を鋭くふり向いたので、2人は目をそらすこともできずにすくみあがった。
ターニャが顔を近づける。
「しーっ! 落ち着いてリュウ。
これは、新入り全員で、有り金をはたいて買ったのよ。全員、あんたに賭けた。」
「いい加減にしろ。なんでそんな馬鹿なこと!」
「いい? この賭けだって、あいつらがやってるの。
胴元は、あんたに目をつけたファースト、スポーテッドなんだよ。
新入りのほうに賭けるファーストやセカンドはいないから、普通ならこんな賭けは成立しない。
それで、サードの新入り皆んなに、あんたのチケットをふっかけたの。
この全額は、はなからスポーテッドの総取りってわけ。
こんなのは、ただの紙くずだけど、これであいつらが満足して、