回帰
叫んでから、一気に疲れがきて、シーザーはその場にがっくりとうなだれた。疲労回復のための休日だったのに、いつもの10倍ぐらいの体力と精神力を使い果たした気がする。
一方アルベルトはやはりしれっとした顔のまま、廊下へと姿を消した。厨房に用があったわけではないらしい。ということはシーザーに皮肉を言うだけのために来たということか。性格の悪さも相変わらずだ。
後で執事長をつかまえて問いただしたところによると、アルベルトは昨夜の夜中に、まったく唐突に帰ってきたらしい。いわく、必要な蔵書を取りにきたとかなんとか。
突然家を出奔し、英雄戦争の裏で暗躍したあげく、消息を絶った不逞の兄を、それでも執事や使用人たちは歓迎した。
いろいろと腑に落ちないシーザーだったが、どうせまたすぐにいなくなるんだろうし、あの男と関わるとロクなことがないのを十分承知だったので、放っておくことにした。
夕方前には厨房が騒がしくなり、使用人にどうかしたのかと聞くと、アルベルト様のご帰還祝いですと明るく笑っていたので、シーザーは夕飯は外で食うと言付けて街へ出た。
「どうしたんだよシーザー、今日なんかテンション低くないかおまえ」
「気にしないでくれ、家に厄介な奴がいるんだよ…」
バーの隅っこのテーブルについてからタメ息ばかりのシーザーを見て、大学の友人たちは興味津々といった顔で囲んでくる。
「厄介な奴って?もしかして女が押しかけてきたとか?」
「お腹に私たちの赤ちゃんが!とか言って?」
「なにィー!?おまえ、いつのまに女なんて作ってたんだよ!」
「誰が女なんて言ったよ、誰が」
ノリノリでノッてくる友人たちを、シーザーは半眼で睨みやった。皮肉にもその目つきはあの男とよく似たものだ。
「男だよ。残念ながらな」
「男ォ?」
「なんだ?おまえとどうゆう関係の?」
「もしかしてお前、そっちの趣味が……」
「兄貴だよ」
ボケにツッコむのも面倒で、シーザーはさっさと白状した。
とたんに友人たちは、なぁーんだ兄貴か…といって持ち上げていた腰を落とす。
「わかるぜ、厄介なもんだよな上の兄弟ってよ。俺も2コ上の姉貴にいまだに頭上がらねえし」
「というか、お前に兄なんていたんだな。初耳だ」
「だいぶ前に家を出てったきりだったから。俺だって面と向かってちゃんと話したのは数年ぶり」
果たしてあれが「ちゃんと話した」といえる会話だったかどうかは、意見が分かれるところだが。
「へえ〜どんななんだ?お前の兄貴。似てんの?」
「ぜんっぜん!」
ブンブンと勢いよく首を振るシーザーを、友人のひとりが興味深そうに覗きこんでくる。
「じゃああんまり頭は良くないのか?つっても天下のシルバーバーグの人間だろ?」
「おまえその言い方、嫌味」
「悪気はないって。で、どうなんだよ」
「残念ながらめちゃめちゃ優秀だ。俺なんか比べもんにならないぐらい頭がキレる。キレすぎて危険人物だよあれは」
「そりゃ厄介だな!」
「おまけに口が達者だし性格歪んでるし根性曲がってるし鬼か悪魔みたいだし何考えてるかわかんねぇし頭良いけど使いどころ間違えてるしそのくせ周りに好かれてたりしても本人は我関せずだ。ほんとに厄介だよ」
「なんだ、やっぱ似てるじゃないか」
「ハ?」
「おまえと。兄貴」
シーザーは本気で絶句した。そんな風に思ったこと一度もなかったし、言われたこともなかった。
「そんなはずねえよ…」
運ばれてきたサラダにフォークをぶっ刺す。思考にとらわれてクリームパスタの味はさっぱりわからなかった。金をドブに捨てた。
日にちが変わる頃、家に戻った。執事長に迎えられたが、屋敷はすっかり静まり返っていた。
「…あいつは?」
「夕食の後は書庫にいらっしゃいました」
「ふーん……」
「シーザー様」
「ん?」
執事長は白いヒゲをたくわえた口元にゆるやかな微笑みをのせ、柔和な目でシーザーと向き合った。
「アルベルト様は、貴方様に会いにいらしたのだと思います」
「…まさか、そんなわけないって」
あの男に限って、とシーザーは苦笑してみせる。
けれど執事長は微笑みを浮かべたまま続けた。
「私はアルベルト様がお生まれになった時から、そしてシーザー様がお生まれになった時から、お二人のお世話をさせていただいてきました。シーザー様、貴方様がアルベルト様にいだく想いは複雑ですが、アルベルト様は、ああ見えて意外と単純な方です。貴方様の顔を見たかったのだと思います」
「………」
執事長は正しく腰を折り、ではお休みなさいませと挨拶を残して去っていった。
シーザーは一度自室に戻ったが、なんとなく落ち着かなくて、屋敷の庭園に出た。きもちいい夜風に吹かれながらふと見上げると、屋敷の二階の一室から光が漏れている。
書庫になっている部屋だ。まだ人がいるのか。だとしたらまちがいなくあの男だ。
もはやシーザーは考えることを放棄した。きもちの赴くままに、階段をあがって二階の書庫を目指す。
扉は少し開いていた。夜だし一応気をつかって静かに扉を押す。
中には思った通り、書架の前に立つアルベルトの姿があった。いつもの白と黒のコートを羽織っている。
「…探しもんかよ」
「ああ」
よどみない返事があったが、アルベルトの目は手にした分厚い本に向けられたままだ。
シーザーは今日何度目かわからないタメ息を吐く。わかっている。この男はシーザーを拒否しているわけではないのだ。
むしろ拒否していたのはシーザーの方だった。それがわからないぐらいシーザーは子供でも馬鹿でもなかった。だから余計に胸が痛んだのだ。戦場で、軍師として、この男と対峙したとき。軍師という立場でしか、戦場という場所でしか、正面から向き合えない自分を自覚して。
シーザーは無神経を装って、ずかずかと書庫へ入り込んだ。
窓際の机にはグラスが置いてあって、琥珀色の液体に満たされていた。勝手にそれを手に取って、あおる。スコッチの心地よい酩酊が喉元を通る。
「おい」
「うるさいな、別にいいだろまだあるんだから」
栓の抜かれた瓶を傾け、グラスにスコッチを注ぎ直す。それをずいっと差し出すと、アルベルトはようやく目線をこちらに向けてきた。
暗い翠の目が琥珀のグラスをすべり、それからシーザーを見返す。その顔には、とくに快も不快もない。
シーザーは、少しもアルベルトから視線を外さないまま、それでも心の中で、あと10秒このままだったら俺が飲みほす、と自白していた。無言のままアルベルトに見つめられるのは、なかなか耐えがたかった。おもに恥ずかしさで。
あと10秒のカウントが2まできたとき、アルベルトの手が片方伸ばされて、グラスはゆるやかに奪われた。
あ、と思ってる間に、アルベルトがグラスをあおぐ。琥珀色がアルベルトの喉に滑り込んでいく。
飲み干して、グラスを机に置いてから、アルベルトはシーザーに視線を戻した。
「うまい酒だろう」
「あ、うん、そうだな、うまかった」
「ジジイの部屋から持ち出してきたからな」
思わずシーザーは飲んだ酒を噴き出しそうになった。
「レオンじいちゃんの酒かよ…見つかったら謀殺されるぞ」