日本の家に遊びにきました
やはり面倒事でしたか。日本は意識せずとも眉が中央に寄って行くのがわかわかった。だが、いつもなら断りきれずに自分の都合を無視して押しかけられることが常だった日本も数日前からの同居人の存在をやっと思い出し、口端を上げる。今度は断る理由に苦労しなさそうですね。流石のアメリカも中国が同居していると聞けば嫌がって自分勝手なパーティーを取りやめるに違いないと日本は確信していた。
「それがアメリカさん、残念ですが―」
何故かそこから先の言葉は自分が意図したものとは全く違うものとなった。
「―我が家は今物凄く暑くて、夜でも35℃を越しているんですよ。なのでちょっと今は止めた方が宜しいかと思います」
その後アメリカは何と言っていたのか日本の記憶はないがふと携帯電話を見たら通話は終わっていたのだからアメリカなりに納得はしたようだ。そうでなければ彼は未だに吼えているだろう。それより何故自分は彼に中国がいることを話さなかったのだろうか。自分自身のことが良くわからない日本だったが、きっと暑さのせいだろうと言い聞かせると携帯電話を机の上にコトリと置いた。
「ただいま帰ったある」
「お帰りなさいー」
カナカナとヒグラシが鳴き始める夕暮れに中国は帰宅した。ガサガサとビニールがこすれる音がするあたり買い物もしてきてくれたようだと玄関に向かいながら日本は思った。昼間はアメリカとの電話に関してつれつれと思いを馳せていたので中国に送ったメールに返信があったかどうか記憶が定かでなかったのだ。
「お帰りなさい、暑かったでしょう。先にお風呂になさいます?それともご飯にしてしまいますか?」
上がり口に座り靴を脱ぐ中国の脇に置いてあった買い物袋を検分しながら中国に問いた所、取り合えず茶が飲みたいと返ってきた。その言葉に台所へ向かい掛けたが、思い直して日本は聞きなおしてみた。
「ビールも冷えてますけど?」
「む。枝豆もあるか?」
「勿論です」
「・・・急いで着替えてくるね。手伝いはいらないから早く麦酒の準備をしておくある」
そして足早に洗面所に向かった中国に自然と顔がほころぶ日本は肴の用意をすべく、中国のぬくもりが残るビニール袋を手に取り、台所へと向かった。
十数分後、出来上がったおつまみを食卓に運んだところ、漬物を肴にキンキンに冷えた緑のラベルの彼の国のビールを煽っていた中国の表情に驚愕の色が浮かんだ。
「日本、一体どういうつもりある!」
「え、なにがでしょう?」
「このおかず、ニンジンが入っているあるよ!」
「え?」
中国さんが。ニンジン嫌い?そんなまさか!
「え?じゃないあるよ!一体どういうつもりあるか!」
持っていた缶を机にたたきつけた衝撃で中身が跳ね、机を汚す。慌てて台拭きに手を伸ばしてこぼれたビールをふき取ろうとするがその手を中国が掴み取った。
「ちょっと、何を」
「何で出した!」
うわ、本気だこの人…。心なしか心の距離が開いた気がした日本だったがとりあえずは事態を治めようと中国の質問に答えた。
「だってチラシでニンジン安かったですし…帰ってきたときも何も言わなかったじゃないですか」
今日頼んだ買い物リストの中にニンジンもあったのだ。そしてそれを頼んだことに対する文句も全くなかった。それなのにこの激昂の様は一体なんだというのか。日本は訳が解らなかった。
「そりゃ買うことに文句はないあるよ。薬味か彩りに使うだけかと思っただけあるし。まさかこんな風に調理されるとは誰も思わないある!」
そこで日本はようやく得心がいった。彼がこんなにも激昂した理由はいわゆる食文化の違いといったものだったからだ。これまでにもこう言ったやり取りはあった。ビールは常温で飲むべきだと主張する中国に冷えたビールの美味しさを説いたこともあった。最初は疑わしげだった中国も乾いた喉を潤すビールの、冷えたことで一層切れのでた炭酸を味わったことで、素直でないながらも日本の主張を呑んだこともあった。彼が来てから幾度目かの苦笑によるため息を零すと日本は自分の箸で千切りしてゴマと和えられたニンジンを取って中国の口元に運んだ。
「…どういうつもりあるか」
「食の世界一と言われる中国さんが食わず嫌いだなんて恥ずかしいですよ。嫌がるならせめて一口でも召し上がってから嫌いになって下さい」
「…仕方ねーあるな」
嫌々そうに口を開けた中国にニンジンを放り込むと、最初は神妙な顔で口をもごもごさせていたが次第にその表情は明るいものへと変わっていき、今度は中国自身の箸でニンジンへと手を伸ばした。その様子にほっと一息つくと、日本は黒いラベルの缶ビールのプルトックを起こした。
綺麗にさらえられた食器を台所で洗っていると風呂場の方から日本を呼ぶ声がした。もしや石鹸でも切れていたかと洗い物を中断して脱衣所に向かうと更に中国は中に入るよう招き入れる。怪訝に思いつつ一声かけてから扉を開くと、腰にタオルを巻いて中国が洗い場に鎮座していた。
「一体どうかしたのですか?」
相変わらず薄いもやしみたいな体だなーと自分を棚に上げて思った日本だか、その考えはおくびにも出さず中国に問いかけた。
「日本、湯が熱くて漬かれないある。どうにかするあるよ」
「あ、すみません、熱かったですか。水を入れたらどうです?」
「それはダメある。勿体無いあるよ!」
「えぇ!?」
日本は驚いた。ここ最近一番驚いたといっても過言ではない。中国の口から勿体ないという言葉が出るとは!衝撃のあまりその場に膝をついた日本を怪訝そうに中国は見やった。
「何してるあるか」
「いえ、ちょっと・・・・あ。思い出しました」
膝をついたまま洗面台の下の流しの扉を開いて半ば顔を突っ込みながらゴソゴソと探し物をする日本。彼の顔が上がった時には右手に青い粉末が入った袋が握られていた。袋からはうっすら薄荷の匂いが香っている。
「中国さん、これを使ってみてください。きっと涼しくなると思いますよ」
「使うって・・・どうするあるか」
「その中身をお風呂にいれればいいんです。たしか中国さん、肌は弱くなかったですよね?」
うむ、と頷いたのを確認すると「ではごゆっくり」と日本は多くは語らず扉を閉めた。こればかりは何も知らない方が効果は大きいだろうと考えた故の行動だ。さて洗い物を再開しようと台所に戻っている最中、風呂場から「うひぁああ」と奇声が聞こえてきた。足を止めて振り返ってみるが、中国が出てきそうな気配はない。どうやら清涼効果のある入浴剤を気に入ったようだった。また中国に自分のものを気に入ってもらえた、と日本は嬉しく思って胸が温かくなった。
だかそれも、中国が風呂から上がるまでのちょっとした間だった。
「お風呂いかがでした?」
「…悪くはなかったある」
「そうですか。あ、中国さん。貴方またお弁当箱出してないでしょう?いつも言ってるじゃないですか、帰ってきたらすぐ出してくださいって」
作品名:日本の家に遊びにきました 作家名:ban