宴の前に
船がこの島に到着したのは、朝食の後片付けも終え、一息ついた頃だった。港から離れた入り江に停泊し、年少組は我先にと上陸した。
船にはナミとロビンが残ってくれるという。女性二人を残して行くのは心配だったが、だからといって、船を任せられないというのは彼女たちに失礼だ。船番をしてくれるレディ方々のために愛情込めて昼食の準備をし、格納庫の備蓄がどれくらいあるか確認しようとキッチンを出たところで、これから船を降りようとしているゾロに会った。
「なにおめェ、まだいたの」
「うるせェ、ちょっと転寝してたら出遅れただけだ」
朝メシのあとにまた寝るってガキかてめェは、と思いながら、それとは別の言葉をサンジは口にした。
「いまてめェの弁当も用意してやっから、待ってろ」
「いらねェ」
「いいから待ってろ!」
そう言って、ゾロの次の返事も待たずに、再びキッチンへと駆け込む。そうしてしまえば、結局は優しいゾロは、サンジを待たずに行ってしまう、などという薄情なことはしない。
(腹立てながら、付き合ってくれるんだよなァ)
そんなゾロの律儀さが微笑ましくて、つい笑みがこぼれてしまう。気づけば大き目の握り飯を5つも作ってやっていた。具にゾロの好物ばかりを選んだのは、料理人として喜んでもらいたからだ、ただそれだけだ。誰に何を言われたわけでもないのに、心のうちで言い訳をしながら水筒に熱い焙じ茶を入れる。きっとゾロが飲む昼ごろには、ほどよく冷めて飲みやすい温度になっているだろう。
最近はいつもそうだった。ゾロのために何かをしてやるとき、サンジは「ゾロのためにわざわざやっているわけではない」と、誰に主張するでもなく内心で弁明している。顔を突き合せれば喧嘩ばかりの相手に優しくしているのが照れくさいからだと、サンジは思っている。
「ホラよ」
思ったとおり、ゾロは船も降りずに待っていた。リュックに詰め込んでやると、
「余計なことしやがって」
と悪態をついてきたが、それも本心ではないと分かっているサンジは、ただ笑って受け流すだけにとどめた。
「迷ったと思ったらすぐにもと来た道を引き返せよ」
「うるせェ!」
いつもどおりのやり取りを交わしてゾロを見送る。あの奇跡的な方向音痴は心配の種ではあったが、戻ってこなければ自分が探しに行けばいいだけだ。まったく手のかかるやつだと思いながらも、口元が緩む。自覚のないまま機嫌よく格納庫へ向かい、サンジは備蓄の確認と買い物リストの作成に勤しんだ。
「じゃあ夕方までには戻るから!」
二人とも気をつけて、と船を降りて市場に向かおうとしたとき、
「あ、サンジくん!」
と、船の上からナミに呼ばれた。言い忘れてたわ、と声を張っている。
「なに? ナミさん」
「たぶん近いうちに宴をやるから、食料は多めに調達してきてね!」
「? 宴って、なんの?」
「ゾロの誕生日が近いのよ!」
「え……」
それを聞いたとき、一瞬、サンジは自分がどうなってしまったのか分からなくなった。ナミの言うことを理解できずに思考が停止するならともかく、頭の中があっという間にゾロで埋め尽くされてしまったからだ。
「分かった? サンジくん!」
「……あ、あァ、了解だよナミさん! 教えてくれてありがとう!」
なぜゾロのことがこんなに気になるのか、などと理由を考えたところですぐに答えは出そうにない。ナミに手を振りながら、サンジの足は、無意識のうちに島の中心部に向かって走り出していた。
ぜえぜえと息の荒いサンジの勢いに呑まれながらも、ゾロは律儀にその質問に答えてやった。
「今日は何日だ」
「え……11月、10日、だけど」
サンジの返答に、ゾロは驚いたように目をぱちりと見開いた。
「……あしただ」
「へ」
「あした、11月11日がおれの誕生日だ」
几帳面に答えてやってから、いい加減離れろ、とサンジを押しのける。走ってきたばかりで脱力していたサンジは、押されるままにゾロから離れた。
「あ、あした!?」
サンジは今さらのように驚いている。ゾロにはわけが分からないが、とにかく船に何かあったわけではない、ということだけは悟った。だがサンジの行動は不可解すぎる。
「おれの誕生日が知りたくて、そんなに必死になってたのかてめェ」
意味分からねェ、なんでだ、とゾロはサンジに詰め寄る。だが、サンジがどうしてそこまでして自分の誕生日を知りたがったのか、ゾロにはそれが、とても重大な意味を持つように思えた。
「なんでって、そんなの」
そこでサンジは息を呑む。ゾロは続く言葉を黙って待った。
「お前のことが好きだからに、決まってるだろ」
その言葉を舌に乗せ音にした瞬間、サンジは一気に視界が開けた気がした。
いちいちゾロに構ってしまうのも、ゾロに優しくしてしまうのも、ゾロを喜ばせたいと思うのも、迷ったゾロを探しに行くのに心が浮き足立ってしまうのも。
それはぜんぶ、ゾロを愛しいと―――恋人のように甘やかしたいと思っての行動だったのだと、たったいま、サンジは自覚したのだ。
「おれは、お前が、好きだ……」
いま気づいたばかりの恋心を、改めて目の前の想い人に告げる。
サンジの突然の告白に、ゾロは激しく動揺した。だが同時に、これまでのサンジの行動に納得もした。やたら突っかかってくるくせに、まめに世話を焼いてくる、その理由が「自分に惚れている」からだとわかって、むしろなぜだか安堵もしていた。
「……分かった」
「え」
「てめェの気持ちは、ちゃんと分かった」
「………」
サンジはその先も何か言ってくれるのではと待ったが、ゾロはそれ以上、何も言わずに黙ってしまった。だが「分かった」と、ゾロははっきり言ってくれた。それだけでも、サンジにはじゅうぶんだった。なにしろサンジ自身も、ついさっき自覚したばかりで、これからどうしたらいいのか分かっていないのだ。
「と、とりあえず」
もうサンジの息はだいぶ整っていた。気恥ずかしそうに笑いながら、行こうぜ、と手を差し出す。
「これから買い出しするから付き合えよ、お前の好物も酒もたくさん買ってやっから」
手を伸ばしてきたのは無意識のようだった。ゾロが何も考えずにその手を取ると、サンジは途端に真っ赤になって解こうとしたが、
「……はぐれたら困んだろ」
と、ゾロはその手を離そうとはしなかった。