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それを通り過ぎれば神社の境内らしき場所に野菜が広げられていて、どうやら売っているらしい。スーパー以外で野菜を売っている(というかやはり並べているという印象)を見たのが初めての健二は、行列よりむしろそちらに驚いた。そういえばスターと地点にもテントがあって、野菜やそばや豆が並んでいたような気もする。あれも実はちょっと驚いた。テントは、学校行事でしかお目にかかったことがない健二である。体育祭の放送席とかそういう類の。
「なんだか、楽しいですね」
健二は少し幼い表情ではにかんだ。楽しそうな彼を見るのは、夏希も嬉しい。無理やりに引っ張ってきたから余計に。佳主馬だって嬉しいが、夏希の場合はそこに責任というものも多少あるから、ほっとして嬉しい、というのもある。安心したというか。
「でしょ!」
照れ隠しで強気に答えてみても、顔には安堵がにじみ出てしまうのが夏希の夏希らしいところかもしれない。健二は「はい」とだけ答えて、嬉しそうに笑った。
「……」
しかしそこには三人目もいた。当然無視されれば面白くない。
「道、渡るよ」
「わっ、う、うん」
少々強引に健二の腕を引いた佳主馬に、「もう!」と夏希が眉を吊り上げるが、佳主馬は無視だ。健二も別に怒らないので、「もう健二くんは」と夏希もそれくらいしかいえなかった。
映画館自体が映画に出てきそうな可愛い外観の映画館を抜け、趣のある瀟洒な庇をもつ民家の脇を通り抜けてコースは駅へと向かう。
ロータリーには次の給水所があって、最初と同じように麦茶が置かれていた。そして、やはり産地ということで林檎がむかれていた。
「そういえば、健二くん、最初麦茶わからなかったよね」
「先輩、それは言わないでください…」
照れくさそうに健二は頭をかく。
――当初陣内家にやってきた頃。健二は、「豆から沸かして作る麦茶」というものを、見たことがなかった。その辺で売っているペットボトルの麦茶しか見たことがなかった彼は、黒々としたその液体を、当初麦茶とは思わなかったらしい。きっとコーヒーなんだな、と思った彼は、口にした瞬間なんだか香ばしい感じの味に、これはなんだろうかと内心首を捻ったそうだ。
ただ、何しろ訪れて最初はそんなことを口に出すほど打ち解けていなかったので、それが語られたのは上田から帰った後のことだったけれど。
「健二さん、りんご」
夏希の反対側から、健二の口に軽く押し当てるように林檎が差し出された。条件反射で口を開いた健二の手に、佳主馬が楊枝を握らせる。なにその妻的仕種、と夏希はまたしてもジェラシーを感じた。ジェラシーというか、なんというかだが。
「駅前って、こういう風だったんですね」
この前やってきた時はそんなにゆっくり駅前を見たわけではなかった。新幹線を降りた後は、特に駅の外に出るでもなく、典子たちと別所線に乗りバスに乗りして陣内家に向かったからだ。
物珍しげにあたりを見回す健二に、あっちが何で、こっちが何で、と夏希がわかる限りで教えてやれば、そうなんですか、と健二は嬉しそうだ。勿論夏希に教えてもらっているからだが、常に微妙にすれ違っている二人は互いに対してずれた照れ方と喜び方をするのみである。
「あれ? なんだろう…」
不意に健二が駅の一角に目を止めた。え? と夏希がそちらを見るより早く、健二の視界を定めた佳主馬が答える。
「コンサートじゃない? 昨日ポスターが貼ってあったから」
佳主馬はひとりで電車で来た。そのため、途中で駅構内も見たようだ。少年は返答も待たず、というか問いかけ自体をせず、健二の手を再びとった。
「こっち」
「え」
「ちょっ、佳主馬ぁ!」
健二を引っ張ってずんずん歩いていく佳主馬と、引っ張られて歩く健二の後を夏希が慌てて追いかける。確かに近づいてみれば、ガラス戸の向こうには楽器を構えた女性たちがパイプ椅子に座るところだった。バイオリンくらいしか健二には名前が思いつかなかったけれど、大きさが違うから、バイオリンの他の楽器もあるのだろう。
「聞いてみる? お兄さん」
「え、あ、うん」
思わず釣られて頷いた健二に佳主馬は頷いて、とりあえず手は離し、一部の窓に「閉切り」の表示を貼る駅員を横に見ながら開いているドアから中へ入った。半扇型にパイプ椅子がいくつか置かれ、対称位置に四人の女性がそれぞれ弦楽器を構えていた。バイオリン、ビオラ、チェロ?
勢いで並んで座って。少しの緊張と、体を休めてほっとした気持ちとを半々で抱えて、演奏を待つ。
ほどなくして耳に馴染みのある曲が流れてきた。ただ、確かに聞いたことはあるのに、なんという曲かはわからない。だけれども確かに知っている旋律だものだから、何となく嬉しくなってしまう。
アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク。曲名を知るのは、ウォーキングの目的を思い出して中座するときの話。
結局健二を挟んで両側に夏希と佳主馬が座って。佳主馬は途中、殊勝な心がけというべきかお年寄りに席を譲ったが、健二の真後ろに立ったので、どちらが主目的かは不明である。
隣で聞いている健二を、夏希はちらりと覗き見た。拍手をする健二は穏やかで優しげ。ちょっと丸くなった背中は気弱そうなんてものじゃない。でも、夏希は彼の芯の強さを知っている。こんな風でも、一番負けず嫌いで粘り強いのは健二なのだ。
学校で合唱したなあ、というパッヘルベルのカノンを聴いてから、三人は立ち上がった。単純にまだゴールしていなかったから。
駅に沿って歩きながら、不意に夏希が佳主馬を振り向いた。
「そういえば、この辺にうさぎのお饅頭があったじゃない。お餅の」
佳主馬は一瞬表情を消した。何か、触れられたくない話なのだろうか。
「うさぎ?」
健二は繰り返して首を傾げる。夏希が、そう、と頷く。
「おいしいよ。クリームとチョコがあるの。白いうさぎと黒いうさぎ」
「はあ…」
いまひとつ要領を得ない。そんな不思議そうな顔をしている健二の手を、今度は夏希がとった。そしてそのまま、みやげ物を売っているらしき一角に入っていく。そしてつれていかれたコーナーには、プラスチックの折詰に入った饅頭の類が売られていて、その中には確かに彼女がいったものもあった。
「…うさぎだ」
楕円というか…雪ウサギのような形のまんじゅうには、茶色く焼きがはいっていて、二本のそれは、うさぎの耳に見立てられているらしい。本当だ、と健二は頷いた。
「あんたのアバターってさ、これからとったの?」
夏希の台詞に、佳主馬は鼻の頭に皺を寄せた。それを言われるのはあまり好きではないらしい。
「本当?」
「違う」
健二も重ねて問えば、佳主馬はふいっと横を向いた。ぱちりと瞬きしてから、健二は折詰を手に取る。クリーム、チョコの二種と、クリーム、チョコ、チーズの三種バージョンがあった。とりあえず三人で二個ずつ分けるなら二種の方がいいかな、と健二はそちらを選んだ。
「え、健二くん、買うの?」
「はい。おやつに食べましょう」
「キングを?」
「だから違うってば」