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すみびすみ
すみびすみ
novelistID. 17622
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長い話

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 一定間隔の金属音が遠くで響き続ける。ふと気を抜けば存在がなくなってしまいそうなほど弱く小さな音しか、いまの世界にはなかった。幼馴染が、かしげていた首を戻し、体を少し引いて、緊張を解いてすとんと、座った姿勢におさまると、もうここから先動くものは、何もなかった。
 空気の流れが滞る。泥のようにゆっくりと部屋の底に沈み、うねうねと鈍く渦を巻いて、ふたりを冷気のなかにひたした。ケイスケはなにも尋ねてはこず、アキラも問いかけず、互いの息すら忘れて、長いこと、そのままでいた。工場の音が幾度となく響き、すこしずつ、うずもれていった。
 もうどれくらいの時間が刻まれたのかもわからなくなるほど静止しつづけて、窓の外のごく近いところからばさばさという羽音が鳴るのと、幼馴染がすっ、と短く息をのむのは同時だった。次に聞こえるのは鳴き声である。低くかすれた色をもち、ゆったりと直線的に、繰り返し吐き出されるそれは、烏の声だった。暗い部屋のその外の、さらに深い夜のなか、烏が鳴き、すこし経って、やんだ。一瞬の静寂ののち、呼吸を戻して、ケイスケがゆらり、と体を傾ける。思わずわずかに引いた身に、降ってくるものはなにもなく、かわりにまたひとつ、アキラ、と呼ばれるのだった。
「おやすみ」
 ぽつりとそう呟いて、注がれ続けていた視線がそらされる。そのときはじめてアキラは幼馴染の眼が薄闇の中でよどみなく自分に向けられていたことに気づいた。ふっと緊張が解けて、心の働きが戻ってくる。安心したような、今すぐに動き出したい焦りのような感情で、一瞬まごついた。その隙に、床においた右手に、小さな重さがかけられる。不意のことだったので避けることもできず、アキラはそれが、ほとんど同じ大きさの、幼馴染の掌なのだと、認識せざるを得なかった。なにが起きたのかはわからない、考えることから脳が逃げる。ただなすすべなく、すべての感覚が手の甲とその先へ急速に集まっていくのを止められずに、外から眺めているような心持ちであった。熱さはない、重みもない、ただかたくて少しかさついた皮膚の感触があるのみだった。ただ重ねられるだけのそれから、しかし、アキラは、自分の手が大変に冷えていたことを知る。厚い皮膚のむこうに、たしかに感じられる、温かさがあることを知る。
 それが、じわり、と染み込みはじめた瞬間、心はしずかに乱れはじめる。強い力もことばもかけられていないのに、もう抗えなかった。幼馴染はもうそれ以上進んでこない、なぜかそうわかっていたが、じわじわと、着実なる速度をもって浸透してくる熱を、止めることができなかった。胸から腹にかけてまた、煙のように泥のように渦が溜まる。振り払おうとして思わずばっ、ともう一方の腕を振りかぶるが、つぎの瞬間にはもう、幼馴染はごそごそと、手を握ったまま布団にもぐりこみはじめていた。
「…つないでていい?」
 暗い中でもよくわかるほどに輝かしく、きらきらしい笑顔で言われ、アキラはもう何をしても状況が変わらないような気がした。殴る気力も失われ、なすすべなく自分も寝る姿勢に戻ることにする。
「…勝手にしろ」
 そう言うほかにことばはなく、なるべくなにも考えないようにして寝床におさまった。つめたい闇の中で熱に染まっていく手のことは意識しない。布団の中に入れてしまえば、もう境がわからなかった。明日もまた朝が早いからすぐに寝なければならない、そのことだけを繰り返し自分の心の中で言い聞かせながら横になる。幼馴染がまたこちらを向いているのを知っていて、それを真正面からできるだけ見ないですむように、すぐさま目を閉じた。
意外にも急な速度で眠りに落ちていくあいだ、アキラはもう、何も考えなかった。



*****



「トシマの夢のこと、話しただろ、前」
「ああ」
「実はあれ、毎日見るんだ」
 言った瞬間の幼馴染の顔は、これまでの話の流れとはまるで変わったところがなく、けろりと明るかった。アキラはいつものように調子を崩される。ふとした瞬間、ふとしたタイミングでさらっと予想外のことばを言う彼に、どんな反応を返したらいいのか未だによくわからない。暮らし始めてもう二年になろうとしている部屋の寝床は相変わらず狭く、向かい合って座るにも、姿勢に気を遣わなければすぐに冷えた床に足がついてしまいそうだった。近付きすぎないように離れすぎないように苦しい座り方を保ったまま、アキラはやっとことばを出す。
「…おまえ、でも、最近はうなされなくなってただろ」
「うん、もう夜中には見ない。でも起きる前には必ず見てた」
「…そう、だったのか」
「うん。寝るといつも、真っ暗でなにも見えないところにいつの間にかいて、わけもわからないままふらふらしてるうちに足が重くなってきて、そのうち手とか、声とか、色々まとわりついてきて、どうにか歩いて暗闇を抜けるところまで行って、そこで、目が覚める」
「…」
 しばらく声も出せなかった。彼が自分の隣で、まだ自分の知らない彼を抱え続けていたということが、なんとなく予想してはいたが、こうして明かされてみるとやはり相当の衝撃を与えられた。目の前の彼の心を推し量るのは多分に難しかったが、このまま話を途切れさせてはいけないような気がして、どうにか、向き直る。
「全然、気づかなかった」
「負担かけるかなって思って、申し訳なかったから。ここに来たばっかりのころはうなされるのもほとんど毎日だったし、これ以上甘えちゃいけないかな、って」
 幼馴染の目が下に向く。穏やかなままのそれは、細々と紡がれることばの横で、静かにす、と細められた。
「だからほんとは、一緒に寝るの、怖かった」
思い切るような笑顔で、少し早口に言った。この先を続けることに心が乱れないように、努めて落ち着いたトーンを保って、アキラは返す。
「…なんで」
「…また酷いことするかもしれないって、思って」
「…」
「一回は、その、実際そういうことしちゃったわけだし。…トシマを出る前の、あのときは、大丈夫だったけど、…うん」
 実際そんなに大丈夫でもなかったのだが、と冷静にも考えてしまえる自分に驚いた。うつむいてごにょごにょと、よくわからない独り言に陥り始めた幼馴染はこのままだと戻ってきそうにない。なんとなくこの話題を延々と続けるのも自分にはやりづらい気がして、アキラはまた問いかけようとした。
 なんで今まで言わなかった、そう聞こうとして、とっさに思いとどまった。聞いたところで幼馴染は本当のことを言ってくれるだろうか。迷惑になりたくなかったんだと、またいつもの困ったような笑い方で、会話を終わらせてしまう彼の姿が思い浮かんだ。そしてまた自分は正体のわからない、やりきれない思いを抱えたまま立ち尽くすしかできない。なぜ打ち明けてくれなかったと、問うたところで、ではまさにその時打ち明けられたとして、自分はなにかできただろうか。心の内をてらいもなくさらけだす彼に、耐えることができただろうか。
「俺に、気を遣ってたのか」
「…うん」
 下を向いたまま幼馴染は黙る。軽く笑った表情に、覆い隠されたなにかは、いまは見当たらなかった。
「声が、さ」
「…」
作品名:長い話 作家名:すみびすみ