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狐の婿入り

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 木の板が靴底にあたる不思議な履物に、両足の親指と人差し指を紐で挟み、旅館の扉をスライドして外へ出た。後に弟に下駄だと教えられた履物は、紐の箇所が擦れて慣れぬ俺にしてみれば履き難い物ではあったが、それも直に気にならなくなるだろうと、カランコロンと小気味良く響く音を伴って畦道を歩いた。暗幕を張ったような澄み切った夜空に浮かぶのは綺麗に切り取られた三日月。欠けた箇所を補うかのように馴染む黒と、支え守るかの如く瞬く満点の星々。優しい光が降り注ぐ地上は、確かな恵みを受け取り映えて輝きを増す。戦ぐ夜風は髪を遊ばせ、鳴く虫達の音は大自然が生む即興のオーケストラ。生き物の寝静まる声すら聞こえてくる程の沈黙が周囲を守る中、俺の足音が入り込んでは消えて行く様が面白い。空気を震わす音の連なりを、何者かが夜のしじまに意思を持って吸い込もうとしているかのようだ。昼間は服を着たまま蒸し風呂の中に入れられたかと錯覚出来る程の気候でも、夜になれば流石に涼しい。何も羽織らずに出て来たが、微かに汗ばみ酒気の帯びていた体が、通り抜ける風によって少しずつ昇華されていく。その心地良さに浸りながら、ゆっくりと続く一本道を歩んでいった。

 歩道の両脇が深い緑を湛える(しかし今は闇を食んで取り込む)木々に覆い尽くされた景色に目が慣れてきた頃。変わらぬ光景に鼻歌交じりで歩いていた先に、突如新たなモノが目に飛び込んで来た。それは小さな光。ぼんやりと焦点の定まらぬ灯りが、ほんの先でユラユラと揺らめいている。俺はピタリと足を止め、奇妙な何かを凝視した。正体の知れぬ小さな光は徐々に此方へと近付いてくる。蛍にしては明らかに大きい光源の、その向こう側は闇に飲まれて全く見えない。それが更に寒気を煽る。ふいに、弟の言葉が蘇った。地図によればこの辺りの筈なのだ。『浮かぶ火の玉』、狐火。心霊現象にとんと縁の無い俺だが、流石西の島国と同様、ホラーの国なだけはある、思い返したら一瞬血の気が引いた。硬直してその場から足が動かない俺に一切構う事無く、狐火と仮定するモノが寄って来る。向こうは此方の存在に気付いているのだろうから、この先に起こり得ると想定される事象がより一層の恐怖を俺に齎す。引く事も進む事も出来ず立ち竦む俺は、歩み寄る火の玉を睨みつけた。睨みつけて、決して負けぬよう身を強張らせると、火の玉の向こうに、白い像がぼやりと浮かんだ。

「おや、そこで何をしていらっしゃるのですか?」

 そうして届くのは、決して大きくはないが良く通る、凛としたテノール。露わになる実像は、火の玉かと思われた薄明かりの提灯を手に持つ、人間だった。

「その形・・・この辺りの人ではありませんよね。見掛けた事もありませんし。」

 ことりと首を傾げる仕草は酷くあどけない。さらりと流れる美しい絹のような黒髪が、良闇に溶けて散らばっている。浴衣とはまた違う、見た事の無い白い服を着て、足元は俺の履く下駄に良く似た、しかしそれよりも底の薄い作りをした、木では無く何かの植物を案で出来た草履。首元には大きな玉を連ねたネックレスを掛けており、肌は少し黄味掛かってはいるが標準の日本人に比べて格段に白い、ぞっとする程の透明さを持ち合せる。その雰囲気は幽玄で、半透明の球体の中に薄らと存在を主張する紅のように。総括すると、得体が知れない、だ。

「もし?もしや言葉が通じてないのですか?」

 殊更に迫り寄って俺の顔を下から覗き込む誰かに思わず仰け反り、漸く固まった足が後ろへ後ずさると言う動きを見せた。

「あっ、あぁ、いや、分かる、ちゃんと、聴こえてる。」

「そうですか。して、この時分に如何用で?」

 適正な距離を保ち相手を観察しながら、灯りを取り込み陽炎の様に揺らめく黒曜石をジッと見入る。

「この辺りに秘湯?、だかがあるって聞いたもんだからな。興味が湧いて。」

「左様で。その様な格好のまま辺りをうろついていたのはその為ですか。」

 浴衣がいけなかったのだろうか、上がった片眉を見たのだろう。特に表情も変えずに誰かは言った。

「何も無い変哲もない田舎道とは言えど、人通りの無いこの道で斯様な軽装なのは、聊か不用心と言うものです。この辺りは夜、誰も来ませんから。見た所、この先の旅館のお客様ですか?」

 ならばお前はどうなんだと問い詰めたくなったが、初見の名も知らぬ誰かに苛立ちをぶつけても仕様が無い。漏らしたい文句を呑みこんで「そうだけど。」、と返せば、やはり、とありありと顔に浮かべて頷いた。

「秘湯の話は、女将さんにお聞きしたのですか?」

「一緒に来た弟が、な。」

「弟さん、ですか。御一緒では無いのですか?」

「酔い潰れてる。」

 初対面相手に何を喋っているのか、自身でも今一つ分からぬまま、放置してきた弟は大丈夫だろうか、と後方を振り向いて見れば、前方からクスクス、と言う声が聞こえた。視線を前へ戻すと、一貫して無表情を浮かべていた童顔に、微々ながらも笑みが浮かんでいる。その密やかな様が妙に目に付いて、心臓が1つ、高く跳ねた。その変化に自身の手を胸に当てるが理由は知れぬまま、今度は俺が首を傾げる番となった。


「良いでしょう。秘湯に御案内致します。」

 白いゆったりとした袖を流れるように動かして、誰かが俺を先へと誘った。やはり提灯は薄明りのまま。しかし、その色味の、オレンジから赤味へと若干の移ろいを見たのは気のせいだろうか。目を瞠る俺に口角を少し上げ、大きく潤む瞳が半円を描き、楽しげに笑む。

「何を躊躇っておられます。行かれるのでしょう?」

 先へと進む一歩に蹈鞴を踏む俺の無骨な手を優しく取り、誰かは先への一歩を踏み出した。上体が傾いてつんのめりそうになるのを必死で立て直し、その流れに乗って動こうとする理性を凌駕した本能に待ったを掛けた。

「いや、ちょっ、待てよ!お前、場所知ってんのか・・・?」

「でなければ案内などと言う言葉は出てこないと思いますが。」

 俺に合わせて歩みを止めた誰かが俺を見上げる。近付いてみると明らかに俺より一回り程小さいと見える誰かは中性的な容姿をしていたがどうやら男らしかった。

「秘湯、ってからには隠された場所にあんだろ?なんでお前が知ってんだよ。」

「それは一応、地元民ですから?」

 訊きたい事はそれだけかと、目で語り掛けてくる男に根負けした俺は、「じゃあ頼む。」と疲れたように漏らし、手を取る男に身を任せた。白く小さく、華奢な手は、やはり指先まで美しかった。警戒だけは怠らぬよう、何かあれば伸して逃げるべく、心構えだけは整えた。


「此方です。足元にお気を付け下さいませ。」

 生い茂る森の中を進む事数分、突如開けた場所にひっそりと構えるソレは、白濁色をしていた。周りを囲むのはやはり木々、夜を吸い込んで反映する黒が照る。しかし頭上は大きく開かれ、注がれる月光が情景の美しさを際立てる。月明かりを受け反射する水面は煌めき、導かれて宙へと還って行くような錯覚さえ覚える。恐る恐る水面に手を浸すと、先に浸かった露天よりも気持ち高めの温度。しかし外気が涼しげな分、±0と言った所だ。

「はぁ~・・・やっぱりそれなりの趣があるな。」
作品名:狐の婿入り 作家名:Kake-rA