Sweet kiss
ようやく痛みが治まって同じようにその紙切れの束を拾おうと床に自分の膝をつけしゃがみこむと、やっとのことでその言葉を絞り出す。
「小さい頃の話ですけどね。近所の男の子だったかなぁ…もしくはフランスさん?」
「…そんなの時効だろ。ガキの時のやつなんか」
自然と腕に力が入って、持っていた書類の端に皺が寄る。くしゃっと胸の奥で鈍い音を立てる。
「そういうもんですかね。まぁ味なんて覚えてないですし…」
…こいつは気付いてないのだろうか。
そんな軽い口づけでは味が感じ取れるほどの味覚への刺激など与えられないということに。そんな唇と唇を重ね合わせただけのものなどノーカウントだ。
もやもやとしたどす黒い感情を抱えながら、何も言えずに俺はただ大量の紙束を拾い上げていく。
「…して…みましょうか?」
黙々と手を動かし続けていると、セーシェルの唇からそんな言葉がこぼれ落ちた。
一瞬何を言われたのか分からなくてその顔を思わず凝視すれば、これまた至って真面目な表情でセーシェルは俺の顔を見ていた。しんと静まった室内に雨音だけが響いており、頭の中をぐるぐるとその言葉が回っていく。
「な…っ」
何言ってんだよ、ばか…そう続けようとしたのだけれど、その表情に思わず小さく息を呑む。室内に効いている暖房による暖かさのせいか、ほんのりと色づいた頬。紅茶を飲んでいたためか潤んだ唇、微かに漂う甘い香り。その薄く開いた可愛らしい唇から小さく漏れる吐息の音が、聞こえるはずもないのにこの耳をくすぐる。…体の奥に静かに熱が灯る。
「…して…みるか?」
その場の空気がぴんと張り詰めたものへと変わって、セーシェルの動揺が空気を伝って俺へと届いた。その瞳がゆらりと揺らめく。
「はい?……じょ、冗談に決まってるじゃないですか、何言ってんですか、もー…」
無意識に伸ばしかけていた俺の手をするりとかわして、セーシェルは止まっていたその手をまた動かし始めると、急に変わってしまった互いの間に流れる空気を誤魔化すように言葉を続けていく。
「だいたいなんでイギリスさんなんかと…、やっぱりこういうのは好きな…っ」
セーシェルの口がその言葉を最後まで言い切る前に彼女の肩を強く引き寄せて、気付いた時には強引にその唇を奪っていた。
その先など…聞きたくもない。
作品名:Sweet kiss 作家名:もいっこ