融解と明滅
ざり、と砂を踏んだ革靴が、軋む音がして隣に座る兄の姿。その衣服は紛うことなく自分が昔彼に贈ったバーテン服で、このどこぞと知らぬ川岸にはてんでそぐわぬものであったのだけれども、先ほど口にしたようにどうあったって幽は幽だし静雄は静雄だ。どんな格好をしていたって、どんな歪み方をしたって。まさか哲学じゃないがそれは絶対に、彼らから剥離されないただの自意識という本質なので。
ほら、と隣に座った兄から渡されたのは見覚えのないロゴの入ったベーカリーの袋で、幽が反応に困っていると、「自販機見つからなかったからついでに店入って飯も買ってきた」、と、彼自身は欲しくもなさそうにテイクアウトのコーヒーの蓋部分を開けはじめる。薄くて白いプラスチックの蓋の封が解かれると、安っぽいがそれでもあたたかさを感じる、コーヒーのにおいが鼻をついた。たしかに、考えてみればそろそろ夕食の時間かもしれない。
何とはなしに空腹のようなものを感じて、兄の購ってきた紙袋から適当なサンドウィッチを取りだしてパッケージを開ける。チラ、とだけ目線を寄越した彼がなにも言ってこなかったことを見ると、このサンドウィッチは幽用でよかったらしい。総菜は海老のフリッター。もうひとつ入っていたケースは、見ていないけれどたぶん玉子とツナのサンドウィッチ。互いの食の好みくらい、何年も一緒に暮らしていたら少しは覚える。
「あの、向こう岸に繋がれてる、犬さ」
「……犬?」
「毛足長くて白いやつ。あれ、あの犬の犬種って何だったっけ、って考えてたら、寝てた」
「……しょーもな」
「うん」
「ポメラニアンだろ」
「……違くないかな。白いし」
「いや、ポメラニアンだろ」
「……」
妙に断言的に言う兄に、やっぱり違うんじゃないかな、と、言う代わりに飲みこんだサンドウィッチの、タルタルソースが幽の舌先に絡みつく。何かの呪文のように「や、でもポメラニアンよりプードルの方が形状的に似てるか?」とどうでもよいことを呟きだした彼の、色のついたサングラスに橋を横切る車の群れのバックライトが反射して明滅している。