融解と明滅
――くらがりはますますとその容積を増やし、まだ桜の芽吹かない春の宵の、心をそっと愛撫する手つきみたいなざわざわした感覚ばかりが羽ばたくように去来するので忍びない。水面に灯ったさかさまの街灯は点々と円を描き、連鎖し、近くの橋からまた次の橋のたもとへと、吸い込まれるように伸びている。幽はもういちど隣に位置する兄の、顔だけ見ればそこそこ端正な造作を見やり――
「ねえ」
今日ずっと、聞いてみたかった言葉を無造作に、タルタルソースの甘みの向こうから投げかけた。
「そのサングラス、外さないの」
風ばかりが、まだ冬が終わっていないことを示すみたいに少しつめたい。
完全に融解し切る前の冬のざわめきが、空気を切る風の音に乗って叫びみたいに鳴り響いていた。
幽は今しがた聞いた台詞も忘れたみたいに、横に避けていた自身のコートを羽織る動作を無造作に行う。腕のところについた枯れた細かい草をはたはたと払い、少しだけ固まってしまった兄の、返ってくるともしれない返事を緩慢に待った。
静雄の服装のうち、昔幽のあげたのは、【バーテン服の上下と、それから靴と蝶ネクタイ】、それだけだった。
次に出会ったときにいつのまにか加わっていたサングラスというオプションは目に慣れぬものでもあったし、また、兄がお洒落としてそれをかけているとは考え難い。
たぶん、これはたぶんだけれど、と幽は自己認識をする。自分はもしかしたら、寂しいのかもしれない。あるいは余計な詮索感情を、既に一緒に暮さなくなった肉親に対して抱いているのかもしれない。何にせよそれはあくまでも無意識の下の下の深奥にくすぶる感情で、今日だって、彼らは偶然オフが一緒で道で出会って散歩に出かけてみただけで、目的があってこんな河原で暇を潰しているわけでもない。ないのだ。
「……似合わないと思う、あんまり」
「そうか?」
「うん」
静雄はたぶん、困っている。幽の無表情と無感動は、それでもまださざめかない。