暦巡り
清明 4月4日
「今年はワシントンの桜を見に行ってもよろしいでしょうか?」
日本から連絡をもらったとき、こっちからサプライズで招待しようと思っていたから、ちょっと残念だったけどそれ以上にすごく嬉しかった。
「もちろんだよ!」と即答し、「どうせなら一月くらいゆっくりしていくといいんだぞ。俺んち中の桜の名所を一緒に巡ろう!」と提案したのに、「それはとても魅力的なお誘いなのですが、さすがに一月は無理ですねえ」返ってきたのは困ったように笑う声音だった。
せっかくの記念なのに、残念。ああ、でも、すごく楽しみだ!
どこか野外ステージでコンサートをやっているのか、楽しげなメロディラインが笑いさざめく人々の声の間にかすかに紛れて賑やかな雰囲気をさらに盛り上げている。もちろん俺の気分も最高潮さ。
行きかう皆が皆、ベビーピンクの花を仰ぎ笑顔を零す。
うんうん、君たちもそう思うだろ? ここの桜は本当にとびっきりだ。……今年は特にね。
じんわりと心を満たしていく誇らしさと、少しの感慨に目を眇め、汗ばむくらいキラキラした陽光を浴びてそよぐ桜の木を見上げる。
「貴方のうちの桜は、とても華やかですね」
並んで隣を歩いていた日本が、同じように桜を見ながら感じ入るように言った。
「そうかい? 君のところと同じ桜だぞ?」
カジュアルな格好の俺と違ってボトルグリーンの着物を着た彼はびっくりするほど桜の景色に溶け込んでいる。この花はやっぱり君の花なんだなって思っていたところなんだけど。
「ええ、でも、やはりどこかふわふわと柔らかくて、それでいて艶やかで可愛らしい……まるで薄紅色のマシュマロが枝に鈴なりになっているみたいです」
「俺はコットンキャンディに見えるな」
「ああ、それもいいですね」
「もしかして、お腹空いているの?」
「……そういうわけではないのですが」
てっきり桜の甘い匂いのせいで空腹が刺激されたのかと思ったら、違うらしい。日本は微苦笑を浮かべてかぶりを振る。
「ああ、けれど、こんなに素晴らしい桜の下で傾ける杯はきっと絶品でしょうね」
呆れた返答に肩を軽くすくめた。まだずいぶん日は高いのに、そんなことを考えていたのかい?
「俺んちじゃ公共の場での飲酒は禁止なんだぞ。それに、昼間っから飲むのもどうかと思う」
「ちゃんと分かってますよ」
そう言いながら日本は笑うけど、その声にはどこか残念そうな、拗ねたような響きがあった。
「お花見は君んちでやろうよ。お弁当持ってさ。お酒は程々に」
普段そんなに飲むわけじゃないのに、桜の花が咲き始めると彼はそわそわと浮き足立つ。桜に誘われるんですというのが日本の言い分だ。アルコールに頬を染めた日本は艶やかさを増して綺麗だし、いつもよりちょっとだけ陽気で積極的になるから、嫌じゃないんだけどね。
「そうですね。今は我慢です」
「そうそう、今日はちゃんと桜を見てあげようよ」
「ええ」
笑いあって再び桜を見上げる。
青空の下、満開の桜は、今ではうちでも、疑いようもない春の象徴だ。
「空の色は百年の時を経ても何一つ変わりませんね」
「ああ、そうだね」
「百年先の未来もこの景色は変らずにいてくれるでしょうか」
「うん、変らないさ。変らせない。百年なんてケチくさいこと言わないで、二百年、三百年、いいや、千年先だって空は青いし、桜は咲くよ。皆が笑顔でお祭りを楽しんで、俺は今日と同じように君と並んで歩きながら、桜を見上げて綺麗だねって笑い合うんだ」
「千年先ですか……!」
ぱちくりと日本の大きな目が瞬く。
「私はしわしわの爺さんになってますよ」
「俺はダンディでクールなナイスミドルになってるはずさ!」
「それはそれは。きっと惚れなおしちゃいますね」
そう言って日本はクスクスと笑った。
END