暦巡り
穀雨 4月25日
いつものように突然押し掛けてきた恋人の様子は、とてもじゃないが「いつものこと」と嘆息混じりにぼやいて、はい、おしまいとするわけにはいかないものだった。
花冷えと呼ぶには桜はとうに散ってしまったけれど、朝からしとしとと細やかな雨が静かに降る、肌寒い日。アメリカさんは傘も差さずに濡れるにまかせたままの姿で我が家の庭先を訪れた。
「濡れ鼠ではありませんか。早く中にお入りください」
いったいどうしたのかと言い募りたいのをぐっと我慢し、そう言い残してタオルを取りに走る。
実際のところただびしょ濡れなだけだったら、ここまで驚きはしなかった。彼は良く突拍子もないことをする方だ。いつものように悪びれのない笑顔だったなら小言の一つ二つで済んだ筈だ。しかし、先ほどのアメリカさんは明らかに憔悴した様子で口数も少なく、うつむいて表情がよく見えないのも相まって、私の目にはあの大きな体がひどく弱々しく映った。
金糸の髪を濡らし、滑り落ちた雨の雫が彼の頬を伝う様は涙に似ていて、泣いているようにも思えたのだ。
ぽたり、ぽたりと縁側こぼれる水滴。ジャケットもたっぷりと水分を含んでしまっているのだろう。そんな物をずっと着ていて体に良いわけがない。脱ぐように促して、それを受け取りひじにかけた。ずしりと重い。
うなだれたままの彼の頭をふわりと柔らかなタオルで包み込み、見上げるように手を伸ばしてごしごしと拭く。アメリカさんは一言も発せず、されるがままだった。
無言に包まれた空気が重苦しく、先に口を開いたのは私のほうだ。
「……粋を気取るには、いささか時期が早いのではありませんか?」
「うん……」
「こんなに冷たくなって……風邪を引いてしまいますよ」
ひやリとした感触に眉を寄せた。
指先に触れる彼の頬はまるで氷のよう。白い肌は透き通るほどに蒼白で、いったいどれほど前から雨に打たれていたのだろうかと心痛が首をもたげる。
「……何かあったんですか?」
そうたずねると、アメリカさんは力なく首を横に振った。
「では、何か悩み事でも?」
「ううん、そんなんじゃないんだ」
至近距離で見上げた空色が瞬く。長いまつげがふるりと震えた。
「ただ、ちょっと疲れちゃってね」
口の端をかすかに持ち上げアメリカさんが見せた笑みは、普段の姿からは想像できないほどはかなげで。色気すら感じられる憂い顔に私は息を飲む。
……そうですよね。世界を牽引するヒーローだって、走り続けたら燃料切れも起こすでしょう。
彼の両頬を包み込み自分に引き寄せて、寒さのせいか血の気の失せた恋人の唇に口付けた。思ったとおり、氷菓子のように冷たくて、甘い。
私の行動は完全に予想外だったのか、アメリカさんは虚を突かれたように目を丸くする。
「そういうときは、わがままを言ってくださって構わないんですよ」
普段は子供のように無邪気に傍若無人なのに、こんなときは殊勝になるなんて。
思わず苦笑いが零れた。
落ち込んだときに恋人に甘えても、誰も責める人なんかいやしません。もし、そんな無粋な人がいたら、この爺が説教いたしますから。
「でも、まずはお風呂で冷えた体を温めてください。すぐ用意しましょう」
「……なあ、一緒に入ってくれるかい?」
「ええ」
私が首肯すると、アメリカさんはようやく安堵したように表情を和らげた。
気弱な顔も大変可愛らしいが、やはりアメリカさんには笑顔が一番似合います。
さて、それでは、アメリカさんが明日からまた笑顔が素敵なヒーローになれるように、私は少しだけお手伝いをしましょう。貴方に天真爛漫な笑みが戻るまで、今日はとびっきり甘やかして差し上げましょうか。
END