暦巡り
夏至 6月21日
いきなり、真っ暗になった。
そのとき俺と日本は早めの夕飯をとったあと、彼ご自慢のサラウンドシステムのホームシアターで俺が持参したホラームービーを見ていたところで。
しかも背後の不穏な気配に気付いたヒロインが振り返ろうとした瞬間だった。
「みぎゃあああぁぁあっ!?」
恐怖と緊張の絶頂で突然光が奪われ、ソファーの上でパニックを起こした俺は、抱き締めていた大きなビーズクッションを投げ捨てて、隣に座っていた日本に飛び付く。
暗闇の中、ちゃんとそこにいてくれた恋人は「ふぐぅ!?」と潰れたカエルみたいな声を出した。
「h,help! help me!」
「ぐっ……、あ、アメリカさん……! おち、落ち着いて、くだ……さいぃ!」
いつもは穏やかで落ち着きのある日本の低い声が、焦りを滲ませて上ずる。まさか彼の身に何かあったのかと不安が募るが、すぐ原因に思いあたった。
そうか! 君も怖いんだね!
大丈夫! 幽霊は怖いけど、二人でならきっとこの恐怖を乗り越えられるんだぞ!
その思いを君に伝えたくて、腕により一層力を込めた。すると、俺の腕の中でくたりと日本が力を抜く。
良かった! 安心してくれたんだ!
抱き締めた日本の体から薄いTシャツ布越しに俺に伝わる体温が心地いい。
大きく息をはきだす。強張っていた体を弛緩させた。
顔を埋めた胸からは彼の鼓動が……する。うん、するね。一瞬、心音がしなかったような気がするのは何かの聞き間違いだろう。
まだ恐怖心は拭い去れないけど、日本にぴったりくっつくとなんだか少し安心する。やっぱり、二人なら恐いのも半分になるんだぞ。
「……お、落ち着き、まっ……したか?」
「日本?」
なぜか息のあがった日本の声が頭上から落ちてきて顔をそちらに向ける。キスできるほど俺達は密着してるのに、暗がりの中では彼がどんな表情をしているのかよく分からなかった。
どうしたのかとたずねれば、「いえ、ちょっと……彼岸への河岸で、純白のナース服を手にした奪衣婆に追いかけられて全力疾走したものですから……」と、日本はげっそりとした様子でぽつりともらした。……彼の言うことは時々よくわからない。
「もう大丈夫ですから、いったん起き上がりましょう」
という日本の言葉に従って、俺達はソファーの上に座り直す。
「ブレーカーが落ちたんですかねえ?」
ようやく落ち着いた様子の日本が「ちょっと見てきますね」と、立ち上がる気配をみせる。え、ちょっと待ってくれよ……!
「だ、ダメなんだぞ!?」
「うわっ!?」
あわてて伸ばした手が幸運にも彼のTシャツをつかむ。両手でしっかりと握りしめた。
「こんな真っ暗な所に俺をひとり置いていくきかい!?」
「ちょ、生地がのびてよれよれになっちゃいますよ! 離してください!」
「いやだ!」
冗談じゃない、絶対離すもんか。
「ああ、もう……では、暗くなければいいんですね?」
「え……?」
呆れるような日本の声音がしたと思ったら、つかんでいた布がぐぐっと引っ張られる。それから、すぐにシャッというレールを走るカーテンの音がした。
「あ」
「ね、これなら良いでしょう?」
暗闇に慣れていた目が、弱々しいけれど確かな光にびっくりする。
窓の外、薄曇りの空はまだぼんやりとほの明るかった。
握りしめていた手を離す。『塩鮭命』という漢字が書かれた日本のTシャツは、すっかりシワシワのユルユルになってしまっていた。
時計で時間を確認して、首をかしげる。
「なんで? もう七時過ぎてるのに……」
「今日は一年で一番陽が長い日ですから。……もう恐くないですよね?」
「……うん」
着ているTシャツの裾をつまんで持ち上げながら苦笑いをする日本に、こくんと頷き返す。
「……でも、ひとりはいやなんだぞ」
「では、一緒に行きましょうか?」
「……! うん!」
なぜか上機嫌そうに目を細める日本。その差し出された手を取って俺は立ち上がった。
END