目を塞ぐ卑怯者
「菊、」
長い廊下を一人早足で歩いていると、少し前にあるドアの前で誰かが自分を呼んだ。声の主は、今先ほど喧嘩した相手の次に会いたくないと思っていた人。面倒なことになりそうだ、と思いつつ無視をするわけにも行かず立ち止まった。
「勇洙さん、どうしたのですか。会議は随分前に終わったでしょう」
「おまえを待っていたんだ」
「何か御用でしょうか、出来れば後日にしていただきたいのですが」
私これから忙しいので、と付け足すが、彼はそれに構う様子もない。
「今でないと駄目だから待っていたんだぜ」
「そうですか、それならば手短にお願いします」
「早く兄貴の処に行け」
有無を言わせない口調で彼が言う。また私は思わず目を逸らした。
顔がうまく取り繕えない。
「どうしてそれを」
「最初は何かおかしいと思った程度だったんだ。それで、会議終わってから兄貴を問いつめた。ちょっと言い合いしただけだって言ってたけど、それにしては会議中目も合わそうとしない、発言も交わさなかった。」
「それだけで私が悪いと?」
「ああ」
「理不尽すぎではないですか、大体その様子じゃ原因も聞いてないでしょう」
プライドの高いあの人が、そう簡単に話すとも思えない。況や仮にも弟分相手に泣きそうになっていたのだ。実際泣いたのかもしれない。多少軽蔑の意味も込めて言い返す。そうすれば、この鬱憤したものが晴れるような気がした。自分を睨みつけていた相手の顔が悔しそうに歪み、さらに表情が険しくなった。
「お前の、その、何もかもを知ったかのような顔が腹立つんだぜ」
予想していたのより遙かに小さい声。
いつもの彼ならばそろそろ怒鳴り出すと思ったのに。
そして一瞬、何を言われたのかわからなかった。
何もかも知っている?何を馬鹿なことを。