猫は眠る
「…おい?」
突然動かなくなった少年に、正直静雄は慌てていた。
さっき倒れそうになった時に、ひょっとして頭でも打ったのだろうか。机ではなく、静雄の腕や胸で。
そのくらい、帝人の倒れ方は不自然だった。つい今普通に話をしていたのだから。
自分では意識すらしていないちょっとした事が他人に被害をもたらした経験が、静雄には嫌という程あった。殊に、今静雄に寄りかかったまま動かない少年は彼が知る『高校生』から程遠く、細い手足は引き剥がそうとすれば簡単に折れてしまいそうにも思える。
「新羅!」
「あれ? 寝ちゃったんだね、帝人くん」
慌ててこの場にいる医者を呼べば、静雄にしがみついて眠っている少年に新羅が笑みを見せる。
「急に――今まで話してたのに、急にぶっ倒れたんだ」
「うん? ちょっと見せて」
静雄に抱えられたままの帝人の腕を取り、頬に触れまぶたを持ち上げる。
「本当に寝てるだけみたいだよ。アルコール臭もしないし。まさかと思うけど君、未成年に一服盛ったりしたの?」
抱えた帝人を揺らさないよう、静雄は肩から先だけを動かして新羅の額を叩いた。軽いものだが、吹っ飛んだ新羅が扉にぶつかって苦鳴を上げる。
その遣り取りで、事態に気付いた門田たちが驚いた顔で2人を見ていた。中でも正臣は、静雄に抱きかかえられている親友に蒼白になっている。
「みみみみみかどおおお!!? おまっ、おまなにお茶目な真似してんだあああああ!!!」
穏やかな寝息を立てている帝人の身体を、正臣はこれでもかというくらいガクガク揺さぶった。幼な馴染みの容赦ない攻撃に、少年が重いまぶたを持ち上げる。
「帝人おおお!」
「う、んん…、…正臣うるさい…」
「まさかのツッコミ!?」
なかなか目が開かず、ふるふると小さく首を振るがその手は静雄のシャツを掴んだままだ。
「ほら、起きろって! 後で後悔すんのはお前なんだぞ!? しず、…平和島さんにだって迷惑だろ、起きろって帝人!!」
「う…、ん、…ん…?」
半ば強引に引き上げられて、帝人が寝呆け眼のまま顔を上げた。こっちこいカモン!と両手を広げる正臣をぼんやりと見つめ、ついで静雄を振り返る。
「まさおみ…」
「おう。ほら、こっち来いって」
「し、ずお…さん…?」
「んあ?」
眠そうに眼を擦りながら正臣と静雄を交互に見つめる帝人の顔が、ふと柔らかな笑みを形づくる。へにゃ、と見る者の気を抜くような笑顔のまま、よいしょと少年が姿勢を変えた。胡坐を掻いて座っていた静雄の足によじ登ると、その間にきれいに納まり、肩の辺りに額を寄せてくうくうと寝息を立て始める。
「うあああああああああ!!! み、みかどおおおおおお!!!!!」
「あっはははははは!!! みかぷーやるぅ~」
「猫みたいですねぇ」
そう、確かに飼い主の膝で眠る猫のような体勢だ。これが猫なら何の問題もないが、この場合、乗せてる側も眠っている側も人間の男だというのが大問題だろう。
一方、巨大な猫に擦り寄られた静雄はと言えば、特に不快感はなかった。相手に全く悪気がない所為もあるのだろうが、気持ち良さそうに眠る顔が静雄に毒気を与えないのだ。
「ああああ、あの!」
一瞬和んだ空気の中で、1人緊迫した声を上げたのは正臣だった。
「コイツ、ホントに悪気はないんすよ。そういう奴じゃないし、えっとコイツの性格の好さは門田さんも保証してくれるんで、だから、その…ですね! デコピンでも、静…平和島さんだとその、…帝人死んじまうかもしれないんで! 弱いんですよ、ヒョロいんすよ、池袋最弱なんすよ!! だから、」
「あー…、わかったから、わかってっから落ち着け」
友人を気遣って必死に自分に噛み付いてくる少年に、静雄は苦笑を返した。まともな友人のいなかった自分にしてみれば、彼らの関係は非常に微笑ましい。
「怒ってねぇしな。…こんな無邪気に懐かれたんじゃ、怒りたくても怒れねぇだろ」
「はあ…」
怒ってなくても、いつ怒り出すのかわからないのが池袋の喧嘩人形だ。
が、疑わし気に帝人と静雄を交互に見遣った正臣は、諦めも込めて溜め息を飲み込んだ。眠る帝人が静雄を怒らせる要因足り得ないというのなら、余計な事は言わない方が帝人の身の為、そして自分の安寧の為だ。