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フランケンシュタインの怪物

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「…本当にいいのか、ルートヴィヒ」
「ああ、アーサー、お前のお陰で気が付いた。俺は…間違っていた。兄さんを蘇らせたりしてはいけなかったんだ。どんなに辛くとも。死者を蘇らせるなんて、倫理に反している神は俺の罪をお許しにならなかった、そういうことだろう」
「でもあいつは生きてる。それはどうするんだ?」
「…俺の勝手で蘇らせてしまった命だが、それでも兄さんの命は兄さんのものだ。あの人らしく、生きて欲しい…それこそ、勝手な話だが」
「…そうか」
「そのためにも、俺たちは一緒にいない方がいいだろう。お互いに別の人生を歩んでいくべきなんだ…そうだろう?」
「…ああ、そう思うよ」
ルートヴィヒがアーサーの元を訪れた日から三日。二人は夕暮れのホームに佇んでいた。
旅立つ人々と帰り着いた人々でごった返す中、アーサーとルートヴィヒはそれらの喧騒から孤立したような静謐な空気を纏っていた。二人ともにトレンチコートに身を包み、小さくはあるが旅行バックを携えている。
あの日、ルートヴィヒは目を覚ますと、アーサーと再び話をした。
そして得た結論が、今この場に二人がいる理由だった。
「アーサー、お前に会いに来て良かった。学生の頃はあまり話したことも無かったが…今からでも友人になれるだろうか」
「あ、ああ、それは、…もちろん」
アーサーの言葉に、ルートヴィヒはにこりと笑みを返した。
その笑顔はやつれてはいたが、アーサーと再会したときよりも幾分かすっきりとした表情をしていた。
「兄さんには、さっき別れを告げてきたんだ。俺のことは忘れて自由になって欲しいと…今思えばおかしいな、あの人はおれのことなんて覚えてやしないのに」
「…ルートヴィヒ」
「…すまない。それよりアーサー、本当にいいのか?お前まで一緒に来る必要は無いんだぞ?」
「いや、いいんだ。俺も少し息抜きに旅行でもしたかったところだったんだ。一人旅もいいが、二人なら楽しみも二倍っていうだろ」
「そうか…ありがとう、アーサー」
「別にお前のためじゃ…ルートヴィヒ、」
アーサーは翠緑の瞳を歪ませて、夕日を背負い、逆光の中に立つその影を見据えた。
「…あれは」
ルートヴィヒもその影を見た。
その瞳に歓喜が浮かぶのを、アーサーは見逃さなかった。
「ルートヴィヒ、離れていろ」
「アーサー、何を」
気が付けばいつの間にか汽車はホームを出ており、駅から人気は失せていた。オレンジと黒に彩られた逢魔ヶ時、影の中、きらりと紅く二つの光が灯った。
「…どこに行くんだ?ルートヴィヒ」
地を這うような低い声が、ルートヴィヒの身体を縛り付ける。
「ルートヴィヒ、声を聞くな」
「兄さん…」
「ルートヴィヒ、俺の愛しい弟、可愛いルッツ、なあ、どこへ行くんだ?そんな男と」
闇の中から姿を現したのは兄、その人。
白銀の髪を夕日に染めて、強い風に嬲られて佇むその姿はまるで一個の炎のようだ。
燃え盛る炎の熱さを、ルートヴィヒは肌で感じる。それは、ずっと求めていた、兄の情熱だった。
「兄さん、兄さん、思い出してくれたのか」
「ああ、けれどあと一つ、一つだけ足りないんだよ。なあ、ルッツ、ルートヴィヒ」
「いけない、ルートヴィヒ」
アーサーは二人の間に立ち塞がった。その姿を、紅い二つの目がぎろりと見据える。
「お前か、アーサー・カークランド。お前が俺からルッツを奪おうっていうのか?小賢しいやつだぜ」
「…それがかつてお前に手を貸しちまった俺の役目だろ」
「は!それで言い訳のつもりか?結局はお前もルッツが欲しいだけなんじゃねえか?なあ、ひとりぼっちのアーサー」
「…うるせぇ」
「けど、残念だったな、ルッツを蘇らせたのはこの俺だ、ルッツは俺のもんだ。さあ、ルッツ、こっちへ来な」
「…兄さん?」
差し出された白い手を、ルートヴィヒはじっと見つめた。
ずっとその手を望んでいたはずだった。
心は歓喜の声を上げている。
しかし、その手を取るために動いたはずの右手は硬く握り締められてぱたりと落ちた。
「ルッツ?」
「…兄さん、兄さんすまない、俺は、俺の我儘であなたを蘇らせてしまったのに、あなたが俺を覚えていないというだけで、あなたを、自分の気持ちを持て余してしまった」
「ルッツ…」
「俺は、あなたとは行けない…」
細い風が二人の間を吹き抜ける。沈黙を埋めるかのように。
呆然と見開かれた紅い瞳を、ルートヴィヒは悲しく見つめた。
「俺はあなたから与えられる愛に頼っていただけだった。それだけしか知らなかったから…でも、でも俺はあなたのものじゃない…俺は、」
「…ルートヴィヒ」
零れ落ちた低い声に、ルートヴィヒはびくりと身体を奮わせる。
その声に名前を呼ばれると、否応無しに心臓が高鳴ってしまう。
手を、とりたくなってしまう。
ルートヴィヒは小さく首を振った。
「兄さん、俺は、」
「止めろ、こいつはお前のもんじゃない。こいつの命はこいつのもんなんだ。お前の命がお前のもんであるように」
「アーサー?」
「ルートヴィヒ、黙っていて悪かった、お前は、グッ」
「アーサー!」
アーサーの言葉は途中で遮られた。ルートヴィヒに差し出されていたはずの手が、アーサーの首をぎりぎりと締め上げていた。
「兄さん!!止めてくれ!何故…!?」
「何故?何故だって?ルートヴィヒ」
白い手には幾筋もの血管が浮かび上がり、アーサーの顔は赤黒く染まっていく。
「だってこいつのせいなんだろ?お前がそんなことを言い出したのは」
細く締め上げられた喉の隙間から必死に息を紡ぎながら、アーサーはルートヴィヒを見つめる。見返した翠緑の瞳が白く濁っていた。
「…ルート、ヴィ、ヒ…俺は、ただ…お前、と友達に、なりたかった…ん…」
鈍い音が響いて、アーサーの腕がだらりと垂れた。
どさりと放り出された、最早ただの肉体と化したそれをルートヴィヒは微動だにせずに見つめた。目が離せず、身体は動かなかった。
ただ、脳裏に過ぎっていたのは、兄の遺体を切り刻んだ時の感触、手順。そして眩い一瞬の閃光。
「アーサー…」
ルートヴィヒは硬く手を握り締めた。
「兄さん…」
「ルッツ、お前が何を考えているかわかるぜ。こいつを蘇らせようとしているんだろう?お前が俺にしたように」
「っ!」
図星を差されてルートヴィヒは臍を噛んだ。
その顔をにたりとした笑みが見つめる。鋭い犬歯が薄い唇の端から覗いていた。
「ダメだな、ルートヴィヒ、お前はダメだ」
「兄さん」
「どこで間違っちまったんだろうなあ?お前は俺の、俺だけの可愛い可愛い弟だったのに」
迫り来る笑みに、ルートヴィヒはたたらを踏んで後退る。
「兄さん」
「ルートヴィヒ、お前は俺のものだ。けど、俺はまだお前のものじゃない。なあ、足りないんだよ、ルートヴィヒ」
「何を…」
白い手が、己の頬を撫でる。その感覚を愛おしいとも嬉しいとも思うのに、同時に酷く厭わしい。
「なあ、俺の名前を呼んでくれよ、ルッツ…」
紅い瞳が、熟れた果実のように蕩けてルートヴィヒを映す。
その瞳の中に映る自身をしかと見つめながら、ルートヴィヒは言った。
「化け物」