食卓の幽霊たち
こういうふうにふらっと立ち寄って飯を食わせてもらうようになったのは、ここ最近の話しだ。
高校を卒業して都内の大学に合格した俺は、親元を離れてひとりでこっちに戻ってきた。出てくる前に、高校二年のとき一年間だけ稲羽にいて都会へ帰っていったあいつに、月森に新居の住所と大学の場所をメールで送った。あいつからは、俺の通う大学と住む住所から近くはないが一時間はかからない、微妙な距離にある別の大学名と一人暮らしの新しい住所が返ってきた。
いなくなるときにあれだけ連絡はマメにしろだの、長期休みには帰って来いだのと残された仲間ぐるみでうるさくせっついたくせ、後追いで都会へ帰ってきてみると、じゃあすぐ会おうというふうにはならなかった。引越した後のダンボールがなかなか全部開けられない程度には新生活が忙しかったし、むこうも忙しいだろうと思っていた。メールの返事がちゃんと返ってきて、住所も電話番号もわかるというだけで別によかった。
駅のホームで偶然会ったのは、こっちに出てきて一年近く過ぎてからのことだ。俺はあろうことか駆け込み乗車に失敗したうえ線路の上に定期入れを落っことして、駅員さんに謝り倒しながらそれを拾ってもらっている最中だった。向かいの路線へすべりこんで来た電車に乗っていた月森は、しばらく顔を見ていなかったというのに容赦なく人のことを笑い倒して「俺、リアルで線路に物落とす人見たの二回目だ。よっぽどうっかりしないと、ふつう線路に物なんて落とさないもんかと思ってた。さすが陽介だなぁ」と、言った。高校時代、チャリで事故って電柱に激突、というシーンを初対面の前からばっちり目撃されている俺は、返す言葉もない。がっくり力が抜けた。
せっかく会ったんだからと、そのままどっちからでもなく誘い合わせて飯を食いに行った。チェーン店の飲み屋で、ぎりぎり飲めない年だったけど大学の集まりでしょっちゅう飲まされてた俺は、ふつうに生ビールの中ジョッキを頼んだ。悪い奴めと肩をすくめてみせながら緑茶を頼んだこいつも、止めはしなかった。
個室っぽくすだれで区切られた和風の席で、終電の時間を忘れた俺たちはよくしゃべった。ほろ酔いになってよく回る舌にのぼる話題の種は、昔の思い出話しから近況まで、いつまでも尽きなかった。
最近どうよ、という話しになれば、彼女いるのかよ、という話題にも当然いく。いかないわけがない。ていうか、無理やりもってく。だって、そこは重要だろう。
こいつときたら、八高にいた頃は上下問わずあれだけ派手にもてたのに、本人もそのうち部屋へ女の子を連れ込もうというぐらいの気概はあったのに、ついに浮いた話しの尻尾を掴むことがかなわなかった。まわりの女子たちがよっぽどうまく牽制しあっていたのか、告ったとか告られたとかいう噂話さえ聞こえて来なかった。
だからそのときも、いないよと否定されるか、そのうちねと流されるか、そんなもんだろうと思っていたら、グラスの水滴で濡れた指をおしぼりで丁寧に拭いていた月森はさらりと一言「いるよ」と、言った。俺はびっくりした。つまんでいた軟骨の唐揚げを箸の先からすべり落としそうになった。爆弾発言をかました当の本人は平然と、席に備えつけられている注文用のタッチパネルを繰っている。
「え、うそ! 誰、誰? つかどんな奴? 年上? 下?」
「ん? 年は上」
ああ、なるほど年上か……、狭いテーブルに乗り出すようにして聞いた俺は、納得したようなそうでもないような気持ちで(だって、下でもタメでも簡単に想像がつく気がするからだ)、ふうんと引っ込んだ。年上ねぇ。
その後も根掘り葉掘りねちこく話しを聞いたところによると、どうやら俺の前に線路へ物を落とした人の第一号はその人らしい。大学の最寄駅のホームで靴を片方線路に落として棒立ちになっていたから気になって声をかけ、駅員に頼んで靴を拾ってやったら、実は同じ大学のいっこ上の先輩で……という出会い方は、こいつらしいといえばらしかった。そのあと糸が切れたように泣き出した彼女に仰天して、とりあえず駅前のスタバに連れてってコーヒーを飲ませてるとこなんかも。長年飼ってた犬がその日の朝に死んじゃったとかいう話しだったらしいけど、それにしても通りすがりに会った人にそこまで突っ込んだ話しをさせ、かつ根気よく話しを聞いてるところがすごい。ああ、その無差別ホンポーな親切心は今でも健在なんだな、とぼんやり思った。稲羽がいくら狭い田舎町とはいえ、たった一年住んだだけで、学内外のありとあらゆるところに自分に好意をもつ味方を作るなんて離れ業をやってのける奴なのだ、こいつは。
のろけ話にすらなってない一問一答式の打ち明け話を聞きながら一晩中焼酎だの日本酒だのそうとう飲んだ俺は、始発が動くまでにものの見事につぶれた。そして、こんな酒癖の悪い奴になってるとは思わなかったとブツブツ文句をたれて、それでもその辺に捨ててはいかない親切心の塊に、ほとんど引きずられるようにして店を出た。
乾いた冬の空はよく晴れて、高いビルの隙間から降り注ぐナイフみたいにとがった朝日がまぶしかった。支えられて歩く道々、前にもこんなことがあったっけなぁと思い出した。テレビの中のダンジョンでけっこうな大ダメージ食らって動けなくなって、仕方なく肩貸してもらって……とかいう、ろくでもない状況だった。月森が稲羽にいた一年、学校生活の合間に連続殺人事件を追いかけてたあの怒涛の一年間は、他の時間から切り取られたようにくっきり鮮やかすぎて逆に夢みたいだ。俺はもうこいつと誰かの命運を賭けた探索をしなくてもよくなったことが、なんだか不思議でしょうがなかった。