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食卓の幽霊たち

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すぐそこのコンビニに行ったはずの月森は、十分経っても十五分経っても戻って来なかった。本棚に並んでいた講義用のテキストらしき本を引っ張り出してはめくり、飽きて戻す。
床にあぐら座りしていると、目線が近くなるからよけいさっきのパンプスが目に入った。目に入れば靴のことを考えざるをえなくなる。なんで靴なんだろうとか、出会ったときに履いてた靴なのかな、とか。あの、線路の上に落としたとかいういわくつきのやつだ。
そうやって考えていくと、ようするに月森が彼女にふられたのは、その人が期待したほどには、あいつがその人のことを好きじゃなかったからなんじゃないかという結論に辿りついた。なんとなく辿りついた結論は、考えれば考えるほど真実だという気がしてきた。さっきにしてもそうだ。靴について語られる言葉やあいつの表情に、ぼんやりしたもの悲しさがないわけじゃなかった。でもそれは、何十年も前の古い懐かしい話しを語るような優しい感傷だった。彼女と別れて二週間でここまで達観しろって言われたら、俺にはとても無理だと思う。

考えてみれば、昔からずっとそうだった。あいつは必要とされるところにふらっと行って、その人に必要な分だけ自分を与えてる。呼吸するみたいに自然に。俺だって、テレビの中でも外でも助けてもらったことが数え切れないぐらいある。思い出しただけで死にそうになるけど、みっともなくボロ泣きして女の子みたいに肩を抱いてもらったことさえある。全部の瞬間があいつじゃないとダメで、あいつ以外の誰かなんて考えたこともなかった。でも同じふうにしてあいつは皆の特別で、そしてあいつの優先順位はたぶん、いつでもそのとき自分が強く必要とされている順だった。
俺はなんていうか、月森と付き合ってた見も知らぬ人にちょっと同情した。でも、むき出しのハイヒール抱えて空港のロビーにひとりでぽつんと取り残されたあいつもかわいそうだった。今すぐそこへ飛んでって抱きしめてやりたいぐらいだった。

出て行ってから三十分が過ぎても月森は戻って来なかった。携帯は置きっぱなしで行ったから連絡も来ない。また誰かに道を聞かれでもして、交番まで送り届けてるんだろうか。
俺は否応なく視界へ入ってくる例の白いパンプスに、なんとなく手を伸ばす。すべすべした布が張られた踵の内側に指を入れて持ち上げてみると、靴はおもちゃみたいに軽くて小さかった。足の小さい子だったんだろう。靴底もヒールの先のゴムも替えられたばかりなのかほとんど磨り減ってなくて、綺麗に拭いてあった。でもよく見れば、とがったエナメルのつま先には無数の細かい傷が浮いていた。

ためつすがめつした靴をフローリングの上に置いた俺は、魅入られたみたいにその明らかにサイズの合わない靴に足を入れてみている。つま先が潰れそうにきつい。踵はもちろんはみだしている。なにやってるんだろう、と思った。おかしいんじゃないのか。あんな話しを聞いたあとで、人のモトカノの靴に無理やり足突っ込んでるなんて。
それでもなんでかやめられなかった。細い靴の中で、締めつけられた足の形が変わる。指の端や足の甲がぎりぎり痛む。気づけば唾もうまく飲み込めないぐらい喉がからからに乾いていた。靴が壊れるとか考えもしないで、俺は詰め込みに夢中になっていた。すごく頑張って、もしここに足が全部入ったら、と思ったのだ。
全部入ったら、それは一体なんなんだ?

自分の考えにふと凍りついたときに、部屋のドアがさっと開いた。
「悪い、遅くなって。子供が目の前で転んじゃってさ……」
外の熱気にさらされてうっすら汗を浮かべた月森が、片足をパンプスに突っ込んでいる俺を見て目をみひらいた。その瞬間、俺はもうだめだと思った。すうっと世界が遠ざかる感覚で血の気が引いた。
取り繕いようならいくらでもあった。たちの悪い冗談を謝り、悪ふざけっぽく切り抜けられないこともなかった。すっかり納得はされなくても、頼むから納得してくれと願えばあいつはきっとそれ以上追求はしなかっただろう。そういう奴だから。
でも俺はそのとき、もうだめだとしか思えなかった。自分の中のむきだしちゃいけないものがむきだしになってて、何をどうしたらいいかわからなかった。青ざめて固まることしかできなかった。
「陽介? どうしたんだよ」
非難ですらない純粋な疑問と困惑にさらされた俺は、一刻も早くその場から逃げ出したかった。それなのに足はぴくりとも動かない。

危ないからなるべく考えるのをやめようとぼやかしてたことが、急にはっきりした形を取っていた。会わなくてもいいわけじゃなくて、会わなくても別にいいんだと思おうとしてたことも、それでいてあの頃のことばっかり思い出してたことも、高校生のとき、本当はこいつのことをどういうふうに思ってたのかも。
気づいた瞬間に、もう終わりだ、と思った。そんなものを抱えたたままのうのうと友達づらして、この先まともにやっていけるわけがないという圧倒的な絶望が全身をすっぽり包み込んでいた。
そのとき唐突に、頭の裏側で誰かの声がした。実際には幻聴なのかもしれないけど、確かに聞こえたと思ったのだ。
『バカ、いけよ。なにが終わりなもんか。やっとお前の順番がきたんじゃないか』

順番―?

のろのろと頭を上げると、目の前には理知的で吸い込まれそうに寛容な慣れ親しんだまなざしがあった。俺は、順番、と確かめるように口の中で呟いた。月森は目をほそめて不思議そうな顔をした。
フローリングの木目に、蛍光灯に照らされた自分の影がうっすら落ちていた。影の外には横倒しに転がったパンプスが驚くほどの存在感でたたずんでいた。目の裏が痛くなるほどの鮮やかな白さだった。
そうだ、これは俺のせいじゃない。きっと呪いだ、この靴の。そう思っていた。
作品名:食卓の幽霊たち 作家名:haru