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食卓の幽霊たち

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箸と取り皿とを出したところで、傾向がよくわからない料理の一群に冷奴とビシソワーズスープが加わる。好物と苦手な物を一緒に出してくるのは月森の常套手段だった。
「アレルギーでもないんなら、死ぬほど嫌なものは世の中につくらないほうがいい、ぜひ豆腐を食べられるようになれ。努力しろ」というのがこいつの言い分で、豆腐が苦手だとばれるやいなや、高校時代から俺はけっこう頻繁に豆腐をつきつけられた。たまに趣味で作って来てくれる弁当の副菜に生揚げと水菜の炒め物が入ってただなんていうのはいいほうで、二月の冷え込む日、夕飯に呼ばれたと思ったら「湯豆腐にするから、丸久豆腐店で豆腐を買ってから来い」とか命じられたことまであった。渋々商店街へ寄って、閉店ぎりぎりで店に飛び込みがてらちょうど店番をしていた割烹着姿のりせに愚痴をたれると「先輩、ミョーなとこで体育会系なんだよね〜」と、けらけら笑われた。

そういえばあのとき、りせにはこんなことも言われた。
「でも花村先輩はさ、豆腐死ぬほど嫌いとか言っときながら、そのうち慣れて、何食わぬ顔して食べてそうだよね。それってちょっとヘンだよね」
「へ? なにが?」
どうも意味がよく掴めなかったから聞き返すと、唇をとがらせてますます言いつのる。
「だって、なんかヘンじゃない。ヘンはヘンなのっ」
俺はさっぱりまったくわけがわからなかった。
「むしろいいことじゃん?」
「……どうかなぁ」

うろんな顔をしながら濡れた手を拭いて表へ出てきたりせは、ふーっと大きく息を吐いた。アイドルなのが嘘みたいに、子供っぽく鼻の頭と頬が染まったほぼすっぴんの横顔を惜しげもなくさらして。その長い睫毛の下の大人びた憂鬱をたたえた瞳ときたら、なみたいていの男なら一瞬で恋に落ちそうだった。でもなぜか恋には落ちなかった俺は、霧の晴れた景色に真っ白い息が溶けて消えるのを突っ立って眺めていた。曇天の暗い夕暮れを、豆腐屋の店先に灯る暖色の電球がまるく照らし出していた。月森が都会へ帰る日が確実に近づき、気を抜けば誰もがうすぼんやり虚空を見つめてそのことを考えてるような、そんな時期だった。
「花村先輩は、そうやってすぐ自分の形を変える」
うわのそらで呟かれた言葉を、そのときやっぱりうわのそらだった俺はするりと聞き流した。

思えばあの頃、こいつのまわりの女子たちは皆こいつに絶大な信頼と好意を寄せてて、そこには多分にほのかな恋心も含まれてて、でも核心まで誰ももう一歩踏み込もうとはしなかった。踏み込んだらきっと、受け入れてもらえてただろうに。そして俺は、こいつが誰とも付き合わないことに心底ほっとしてた。

茶碗に米をよそい、料理が全部出そろうと、小さなテーブルの上は満杯になった。品数はそれなりにつけてあるにもかかわらず、彩りのせいでちっとも賑やかには見えない。なにせ、出てくる料理の色味はほぼ白、白、白一辺倒なのだ。選ぶ食材といい、皿の柄をうまく隠すように盛りつけられた形といい、狙ってやってるとしか思えない。おかしいだろ、米とそうめんが一緒に出てくるなんていうのは。冷蔵庫から発泡酒を出してきて横に座った月森は、見渡す限り同系色なテーブルを前に至極満足そうな表情をしている。
「実はテーマカラーが白だったんだ、とか、そういうくだんねーこと言わねーよな」
よもやまさかと疑いながらそう聞けば、あっさりうなずくじゃないか。
「うん、ちょっとそういうことがしたかった。思いついたのは途中からだけど。面白いだろ。梅雨の蒸し暑さを和らげる、画期的メニュー」
「画期的っつうか、おっかしいだろ! ……まあ、いいけどさぁ」
まっとうな意見をぶつけることを諦めた俺は箸を握った。こいつの発想は時々とっぴょうしもない。機嫌がいいときは特に。そしてそれもまぁ一種の魅力かもと他人に思わせる貴重な人材でもあった。

こういう場合は嫌な物から片を付けるのがセオリーだ。箸で切り崩した冷奴にこまかく均一に切られたねぎをたっぷりのせて、かつぶしとおろし生姜ものせて、醤油びたしにしてから口の中に放りこむ。
豆腐の何が嫌かって、そのあいまいな食感が嫌だ。ゼリーともプリンとも違う独特の中途半端な舌触りが、とにかく生理的にアウト。とはいえ、いまや俺は言うほど豆腐が苦手でもなく、出されれば意外に食べられる。それはりせの言った通り、なんだかけったいなことかもしれない。文句も言わず黙々と豆腐に取り組む俺を見て、月森は驚いたようだった。
「あ、ふつうに食ってる」
「そりゃ、あんだけしつこく出されてたら、ふつうに食えるようにもなるわ」
「よかったじゃないか」
屈託ない笑顔で肩を叩かれた俺は、急に息苦しくなる。落ちる前の感覚は浮上、確かに浮上だ。一瞬ふっと浮かんで、光が当たったところから一気にどっと沈み込む。自分でもどうしてこんなに急激に落ち込むのかわからない。気づくと世の中のありとあらゆる悪いことを全部頭からバケツでひっかぶったみたいな気分になってる。そのつらさに頭がおいつかないから、燃料切れの車みたいに動きがすうっと止まる。
「俺にもしょうゆ取って」
「ああ、うん。……なあ、おまえさ、」

おまえさ、なんで俺と寝てんの?
伸ばされた手に赤いふたのしょうゆつぎを渡した俺は、喉元まで出かかっていた言葉に自分で愕然とした。どうしてもこうしても、そんなのは俺が死ぬほどそうしたかったからで、こいつがいいよ、とこたえたからなのだった。俺は最近そういう基本的なことがよくわからなくなってて、すぐ混乱する。
なに? と目で聞かれて唾を飲みこんだ。
「おまえさ、いいかげん豆腐出してくんのやめない?」
「そうだなあ、どうしようかな」
にやっと笑い、うまそうに喉を鳴らして安い発泡酒を飲むこいつは、しろく輝くいっぺんの曇りもない顔をしてる。豆腐みたいな顔だなぁと思う。その顔を見てるとたまらない気持ちになった。箸を放りだして勢いよく首にかじりつく。酔っ払いがいる、とからかわれたけど、あいにく出された缶は口も開けてなかった。
「俺ね、おまえのこと好きなんだよ」
「うん、俺も」
背中をぽんぽんとあやす手にとりとめない声が重なり、湿気と一緒にエアコンの送風口に吸い込まれて消える。ドライ運転のランプが緑色に光っている。こいつは寛容だ。ちょっとおかしいぐらいに。

たとえば、と思う。たとえば高校生のとき、逆に考えて、あるいは全員がこいつに踏み込んでたかもしれない、という可能性は考えられないだろうか。それがあんまり自然になされていたから、また疑念を持つことを誰もが自分に許さなかったから、互いに気づかなかっただけで。でもそれは仮定に過ぎないし、俺はそんなことをこいつにも他の奴にも一生聞かない。重要なのは今こいつがここにいるということで、今は俺の順番だということだった。

腕をほどいて座りなおした俺は、白い食卓の上にあの日のパンプスの幻を見る。きちんと皿に盛られた料理のかわりに、まっ白い華奢な一対の靴。もちろんそんなものは現実にはない。ありっこない。瞬きひとつで消えうせる。なんだか全部が亡霊みたいだ。自分の輪郭がぼやけて形があいまいになり、晴れたはずの霧に隠れる。そのうち二十二センチのパンプスに足だって入るかもしれない。
作品名:食卓の幽霊たち 作家名:haru