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影のない男の話

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大学生の頃、近所によく行きつけていたファミレスがあった。ドリンクバーの種類が豊富で、課題のノートを持ち込んで長時間居座っても嫌な顔をされないところだ。指定席になっていた窓際のソファ席からは、道路を挟んだ向かいの美容院の看板が見えた。看板に大写しになったカットモデルの女の子の顔立ちが好みの感じで、俺は目の前のレポートに飽きると、よくぼんやり看板を眺めて休憩した。そして、あー俺なんで、こういう女の子と付き合ってないんだろう……と、思っていた。
当時俺が付き合っていた、正確には付き合ってるわけじゃなくそいつは友達で、友達だけどなんでか寝ていて、俺が一方的に好きだった奴は、あろうことか男だった。俺は女の子の方が断然好きなのに、というか野郎に興味なんかなかったはずなのに、気づいたらそういうことになっていた。高校生のときから見ないふりをしてずっと押し潰してきた気持ちを、あるときを境に認識せざるを得なくなったからだ。湖に張った薄氷の上をそうとは知らずどんどん渡っていて、深みのところで割れた、足を踏み外した、そんな感じだった。そして最もまずかったことは、その気持ちが月森にあっさり受け入れられたことだった。

就職先が決まったとき、例のファミレスで状況を報告し合った。月森はそのときちょうど学内で年下の可愛い女の子に気に入られて連日付け回されている最中で、その話しにもなった。付き合わないの、と聞けば、付き合わないよと言う。手も出さないの、と聞けば、出すわけないだろう、付き合ってもないのにと言う。と、いうことは、その子はさしてこいつのことを好きでもなかったということなんだろう。
「じゃあ、なんで俺とはこんなことしてんだよ?」
俺はそのとき、そう聞いた。にやにやと冗談めかしていたけれど、わりと冗談でもなかった。道がまだなかった学生より先の未来に急にはっきりとした形が出来て、足元が不安定になったせいもあったのだと思う。

コーヒーに二つ目のポーションミルクを入れていた月森は少し視線を上げて「好きだからじゃないかな」と、言った。俺はくしゃくしゃになったストローの袋を引き伸ばしながら、呟いた。
「お前の好きって、ある一定のボーダーライン越えてたら、そっから先は全部一緒なんだろ。男も女も、大人も子供も」
あいつは、切れ長の目を見開いて子供みたいに無防備な顔をした。
「どうかな。そうなのかな」
「そうだよ。お前はね、ちょっとおかしいよ」
「おかしいかな?」
「おかしいよ。女の子にはやんなよ、マジで。そんなやりかたしてたら、いつかひどい目に遭うぞ」
「うん」

律儀に頷いた月森に俺は一瞬満足する。でも次の瞬間には、また不安の泥沼に片足を突っ込んでいる。その頃はずっとそんな調子だった。グラスにささったストローの先には噛み跡が残っていた。
氷が溶けきってほとんど水になっていたコーラのグラスを、通りがかったウェイトレスが盆の上に乗せて去っていく。それを見送ってからミルクの混ざった薄いコーヒーを一口飲んだあいつは、でも、と控えめに言い足した。新しいグラスを取りに行こうとしていた俺は、半分腰を浮かせたままその顔を見つめた。

「でも、お前だって不思議だよ」
「なにがだよ」
「俺の何がそんなにいいのか、よくわからない。お前は別に、俺のことが好きなわけじゃないよ。俺を通して、何か別のお前にしか見えないいいものを見てるだけだ」
確かに憧れてたし、こいつみたいになりたいと思ったことはあった。でもそれだけじゃなかった俺は、そんなわけないじゃん、とその場を一蹴して席を立った。ドリンクバーのところからよく見えるソファ席を振り返ってみれば、月森は窓の外を眺めていた。席に戻ると、あの子、お前の好きそうな感じだねと笑った。例の美容室の看板を見ていたのだった。なんて答えたのかはあまり覚えていない。そのときはそれどころではない気分だったから、イエスともノーともつかない曖昧な返答をかえした気がする。

美容室の看板のことを思い出したのは、お互いに忙しくなり、早々に海外へ飛ばされたあいつと物理的に会いにくくなって、抜け殻みたいに過ごしていた入社二年目の秋口のことだった。異動した先の部署の近くの席に、例の看板の女の子がいた。ロングの巻き髪だった看板とは違い、こざっぱりしたショートヘアになっていたから、すぐには気づかなかった。気づいたときには驚いた。昔ここの美容院でカットモデルをやっていたでしょ、という話しをきっかけに仲良くなった俺たちは、数年後にその子が当時の彼氏にふられたとかなんとかいうタイミングでなんとなく付き合って、その数年後にはなぜか結婚していた。嘘のような本当の話しだ。
なんだか自分の中でいろいろ整理がつかないまま恐々とその子と付き合っていた俺は、やがて日本へ戻ってきた月森に屈託なく祝福されることになる。俺は祝福されたかったわけじゃなく、責められたかったのだ。でもそうはならなかった。そこで決定的に、なにかを諦めたような気がする。
最終的に俺は、全部忘れたふりをすることに決めた。実際に忘れたわけではないけれど、そうすることでだいぶ思い出さなくなった。ぐちゃぐちゃだった気持ちも、時間をかけさえすればそれなりに平らかになる。日常は煩雑で、のまれてしまえば進めようとしなくても勝手に進んでいった。別に昔みたいに、生活が全く楽しくないというわけでもなかった。愛に溢れているとまでは言わないが、周囲にはそれなりに愛着を持たれて、愛着を持った。そうすると、こんなものかな、というような気になってくる。これで正しいのかもしれない、という妥協が確信に変わる。そうやって時間が過ぎ、社会に馴染んで、大人の扱いに慣れた頃にこのざまだ。悪夢や冗談にしてもたちが悪すぎる。 
作品名:影のない男の話 作家名:haru