影のない男の話
額が熱い。背中から汗がしたたり落ちる。薄いシャツを通して、体中に夏の気配が染み込んできている。
のろのろと顔を上げた俺は、こんな最悪な事態が起こっているのは、自分にも原因があるんじゃないかと考えた。自分がこいつから離れたから、最近あまり思い出さなくなっていたからこんなことになっているのかもしれないと。そう口にしようとすると、見透かしたようにやんわり否定された。
「陽介のせいじゃないし、誰のせいでもない。思い出さなくなることは、悪いことではないと思うよ。日々を過ごすというのは、そういうことだ」
それで、自分のせいだと思うことも出来なくなった。また八方塞がりになった。
俺はたぶん、こいつを本当は孤独なんだと思おうとしていたのだ。だから、そばにいてやろうと思ってた。でも実はそんなことはなくて、それは全部自分のためだった。と、いうことに俺は全く気付かなかったが、月森はずいぶん前から知っていたというわけだ。
こいつは周りの人間をとても大事にして、できうる限りその望みも聞いて、傷つけられれば怒るけれど、結局は自分一人で完璧に完結していた。他人に何も期待しないし、何も求めない。そういえば、シャドウだって一度も出たことがなかった。そういうふうにシナリオが組まれて、力が与えられていたんだと考えれば、おかしい話しではないのかもしれない。でも、本当にそれだけだったんだろうか。本当に。
山の稜線が帯びていた光が、少しずつ消えていく。いつのまにか辺りに忍び寄ってきた薄闇が、西日の残りに取って変わろうとしていた。
もう時間があまり残されていなさそうなのに、俺はこいつの頼みを素直に聞き入れることができなかった。こんなひどい結末を受け入れるのはごめんこうむりたかった。
だって、もうちょっとどうにかできたんじゃないのか、と思うのだ。よくわからないけれど、もうちょっと、いい方向に傾ける選択肢だってあったんじゃないのか。
「お前、結局、なにがしたかったの?」
俺は気づいたら頼まれごとをそっちのけにして、月森に問いかけていた。
「それでいいのかよ。納得してんのかよ。俺は納得できねーよ」
月森は弱ったなぁというふうに苦笑して、次第にうすくなったかと思うと、迫ってきた暗がりの中へ溶けるようにいなくなった。感情の波を全部使いはたしてぼうっとなっていた俺は、誰もいなくなった屋上から、山にかかる夕焼けの残りを目で追っていた。
稲羽へ来る前、田舎を知らない都会暮らしをしていたとき、適当な音楽を流したヘッドフォンをかぶって街中を歩いていると、夕暮れの町が光って浮き上がる感じがすることがあった。景色が遠くて、人の流れがゆっくりしていて、なんとなく非現実的で、ぼんやり憂鬱で、それでよりいっそう街がまばゆく見えるような、そんな感覚だ。その感じを思い出していた俺は、少しずつ意識が遠くなって視界が暗闇に包まれるまで、ほとんど瞬きもせず、意地のように屋上からの景色を眺めていた。