銀沖ログ詰め合わせ
悼む事も大事なのだと、そう彼は言った。
ゆるり、瞼が落ちる。
暗闇が蔓延るそこには、何一つ存在せず、本当に真の闇だけが広がっている。
―――否、唯一つ、そこにはあった。
己の意識のみがぷかりと浮かんだ状態で、彷徨う事も留まる事もなく、唯そこに存在した。
思考の渦はただただ痛みだけを訴えて、そうして気が付けばその眸に光を焼き付けているのだ。
真実、眠れた事などないというのに、けれどもこうして朝を迎えているという事は、矢張り自分の身体は貪欲にその欲求を遂行しているのだろう。
無駄な足掻きや言い訳など通用せぬと、何より自分自身に言われている様な気がした。突き付けられる真実に、無様にも呆気なく陥落し膝をつきそうになる。
そうして幾日が過ぎ、それも薄らいできた頃、銀色の、まっさらないろに出会った。
偶然視界に映ったいろに、ぷつりと何かが弾ける音を聞く。
そうしてまたしても気が付けば、往来のど真ん中で、彼の着物の裾を力一杯掴んでいた。
子供が迷子にならぬ様、母親の手をしっかり握り締める様に。
***
何事かと振り向いた彼は、その正体とその顔を見て、酷く驚いた様だった。
常ならば己のとった行動に対して茶化しの一つもするであろう彼は、尋常ではない雰囲気の自分を察し、どうかしたのかと視線で問うてくる。
この男にそうさせる程に、今の自分は酷い顔を晒しているのかと思うと、何処か居た堪れない気持ちになる。
けれども気持ちとは裏腹に、ついぽろりと口を吐いて零れた弱音に、然し彼は何時もの様に笑う事は一切せず、ただ一言、
「無理に追い出さなくても良いんじゃない?」
低くやわらかな声でそう応えを返したのだ。
「でも、眠れないんでさァ」
我ながら情け無い声が出た、と思う。
けれども返ってきた応えは、何とも妙なものだった。
「…何で沖田君は俺に話し掛けたの?」
唐突にふりだしに戻ってしまったその言葉に虚を突かれる。
ぼんやりとした頭は深く考えもせず、ありのままの答えを目の前の男に零した。
「髪、が」
「うん?」
「旦那の髪が、銀色で」
「うん、」
「姉上が、好きだった、花も、」
「綺麗な、真っ白い色、を、してたんでさァ」
小さな真っ白な花は、微かに甘い香りがした。
その繊細さと謙虚さは正に姉の様で、その花を持って佇む彼女は、本当に綺麗だった。
―――ああ、だからか。
コトリと当て嵌まった何かに、背筋がひやりと凍りついた。
それを知ってか知らずか、目の前の男は興味がなさそうな声でふぅんとだけ返して、無言のまま自宅へと自分を引き連れて行く。
されるがまま部屋の中へと足を踏み入れ、それでも妙に浮ついた思考の所為で現実味が気薄だ。己の立っている場所が分かり切っているのに、此処は一体何処なのかという疑問すら浮かぶ。
「其処で、寝といて」
万事屋へ着いた途端、布団も何もない畳の上に自分を放り出し、それだけを言い残して彼は出て行った。
呆気に取られるも、いちいち突っかかるのも莫迦らしく、素直にごろりと横になる。い草の匂いが鼻腔を擽り、奥の方がつんと痛んだ。
暫くごろごろと何をするでもなく転がっていると、からりと襖が開いて彼が現れた。
その腕には、そこそこの大きさの瓶が抱えられている。
「ほれ、」
透明な硝子瓶に詰め込まれていたのは、白い、彼女が好きだった純白の花だ。
それを徐に、彼は己の顔を目掛けて中身をぶちまけた。
「これなら寝れんだろ」
ぼう、と彼を顔を眺めていると、かさついた、少し低めの温度を持つ手が伸びてくる。
くしゃりと髪を撫ぜられて、おやすみ、そう言って掌が下りて来て、そうっと瞼を閉じられた。
仄かに香る甘い匂いに、息が苦しくなる。
いつもは暗闇が訪れると言うのに、今日ばかりは真っ赤だ。
あかくて、あつい。
それが泣いていたのだと知るのは、随分後になってからの話なのだけれど。
「―――そうやって、悲しむ事も大切なんだ」
ゆるりと暗闇に溶け込み、落ちる寸前、甘やかな音が耳に届く。
「仕方ねーから、お前の気が済むまで付き合ってやるよ」
遠のいた意識の中、やさしいこえを聞いた気がした。