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愛より恋よりこの胸を締め付けるもの

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なんとなくだが、その兆しに気付いてはいた。しかし俺は一貫して気付かないふりを通していた。衝突して今の関係がなくなることを恐れていたからだ。情けないったらねえ。いつから自分はこんな惰弱な男になったんだ。しかしそれだけ紀田との関係が、弱く細いものであることはわかっていた。悪いのは、きっと俺だろう。それもわかっていた。踏み出せないのはなぜなのか。今のままでもいいと、どこかで思っているからじゃないだろうか。今のままの方が、あいつも俺ももしかしたら幸せなんじゃないだろうかと、そんな馬鹿みたいなことを。
 そもそも核心に触れる必要があるのか甚だ疑問だった。あいつはそれを望んでいるのか? もしかしたらそれに触れることを拒まれるかもしれない。あいつのいつもの笑顔が曇るかもしれない。俺はそれがただひたすらに怖かった。俺たちは愛だの恋だの、そんなものを求める関係でもなんでもなかったし、互いに本当のことを確認し合わなければいけないタイミングもとっくに逃している。だから、紀田がどこでなにをしていようと、俺の知らない誰かと寝ていようと、俺がそれを責める権限などどこにもない。胸の内がどんなにもやもやしても、俺はただひたすらあいつを受け入れ、拒絶しない。それが俺たちの暗黙のルールだった。

 カレンダーの日付を数えた。紀田がこの部屋に姿を見せなくなって、今日で五日目だと思う。奴は一週間の内だいたい半分以上はここに入り浸っているのが常だったから、こんなに顔を出さないのは今までなかったことだ。どんな表情でまた顔を見せに来るだろうか。
 いくらなんでも、奴の携帯番号ぐらいは知っている。だが俺は電話を掛けなかった。このままの状態が続いたとして、俺はどのぐらい経てば連絡を取ろうとするのか、自分で全く見当がつかない。あいつの前じゃ俺はこんなだから、見切りを付けられて去られるのもじゅうぶんありえることだ。もしかしたら、もうこのまま俺の前からフェード・アウトして、あいつは一生ここに来ないのかもしれない。


 そんなことを考えていた翌日、仕事から帰宅すると、紀田は部屋の定位置に当たり前のように座っていた。
「あっ、お帰りなさーい」
 紀田はいつもとなにひとつ変わらぬ笑顔を見せて、俺を出迎えた。戸惑っているのは俺の方だ。動揺している様子を見せないように、極力自然を装って問いかけた。
「久々だな。なんかあったか?」
「いやー、特に。なんか、友達と遊んだりしてたら、寄りそびれちゃって」
 紀田は冷蔵庫から自分のもののように麦茶を出して、グラスに注ぐと俺へ差し出した。
 それは本当に友達なのか。また、売春まがいのことをしていたんじゃないのか。それとも新しい恋人ができたのか。臆病者は、そんなこと一言だって聞き返したりはできない。仮にそれが本当だとしても、その先を咎めることなんてできやしないのだから。
 洗濯物勝手に畳んでおきましたよお、と言ってキッチンに立っている俺をリビングから覗き込んだ。「悪いな」と答えてから、俺は換気扇のしたで一服する。リビングからはテレビの音と紀田の鼻歌が聞こえてきた。俺の考えすぎだろうか。思い返してみれば今までがぴったりとくっつきすぎだったのかもしれない。それが当たり前のようになっていたから、前触れもなくあいつがここから数日姿を消していた、ただそれだけのことで、違和感を覚えるのかもしれない。紀田のいつもと変わらぬ顔色を見て、俺は自分にそう言い聞かせるようにした。こんなこと、俺ひとりで気にしていたってどうしようもない。
 携帯をいじって俯いている紀田はなんの気なしに、ぽつりと言った。
「静雄さんは、俺が他の奴と寝てもなんとも思わない?」
 どくん、と心臓が鈍く重く動いた。忘れようとしていた核心へ、紀田が唐突に近付いてくる。
「…どうして、そんなこと言い出すんだ」
「なにも言わないから。そういうの、気にしないタイプなのかと思って。でもそんなんじゃ、いつか逃げられちゃいますよー、なぁんて」
 紀田はいつものようにおどけて笑っていたが、精一杯強がっているのか、声の端は震えていた。その震えに、俺のなかへ感情が爆発したように一気に流れ込んできた。
 ――気にしないわけがない、ずっとずっと気にしていたんだ。俺はお前のことばかり頭にあった。お前がここへ来ない夜、誰とどこにいるのか、気が付くとそればっかりで、ろくに眠れやしなかったんだ。馬鹿みたいだろう。でもそんなことを打ち明けたら、お前はどうだ? それこそ鬱陶しくなって逃げちまうんじゃないのか。踏み込んだらおしまいだ。
 今まで自分をガチガチに固めていたそんな思惑が、ぐらぐらと頭のなかで激しく揺らいだ。
「俺が逃げても、静雄さんは俺を追わない?」
 携帯のディスプレイに目を落とし、ボタンを押し続けて紀田は言う。
「…追ったら、お前は立ち止まるのかよ」
「立ち止まりますよ」
 パタンと携帯を閉じて、今度は俺を真っ直ぐに見据えていた。その瞳がとても真摯に澄んでいたから、俺はもう目を逸らすことができなかった。
「静雄さんが俺を甘やかすから、俺は、いつもどうしたらいいのかわかんないんだ。だから、馬鹿なことばっかりしちまう。静雄さんが俺をもっと縛り付けてくれたらいいのにって、そんな勝手なこと、俺は」
 せきをきったように紀田は喋り出したが、途中で言いよどむと、また俯いてしまった。それからうすく口を開いて、呟くようにたどたどしく喋り始める。
「……こんな感情、俺は知らないんです。わからない、自分のしたいことも、することも。静雄さんが初めてなんだ。だから教えてください。俺は、どうしたらいい」 
 紀田の声はだんだん細くなって、目はじわりと赤く潤んでいた。俺はそれだけで、なぜか泣きそうになった。確かに今、俺は紀田と感情の機微を共有していた。
「静雄さんと、決めたい。俺たちがいつも放りっぱなしにしてる、大事なこと」
 初めて見る紀田の瞳の色だった。俺は自分の心の動く音を聞いた気がした。それから、目を逸らさずに「ああ」とゆっくり頷いた。


「静雄さんが俺を責めてくれたら、どんなに楽だろうなって」
 紀田はぽつりぽつりと、独白のような語り口で話し始めた。思えば、こんな風に俺とこいつが話をするのは初めてだったかもしれない。俺はじっと、うなだれた紀田のさらさらした前髪を見ながら、奴の言葉を聞いていた。俺に対して常に不安でいたこと。ここ数日自分のしていたこと。ポーカーフェイスが限界だったこと。いつもの馬鹿みたいに明るい声色とは違う、真実を告げるその唇の輪郭を見ていた。
 俺もそれに応えるように、今まで溜め込んでいた、いつも葛藤している自分の気持ちを告げた。俺たちは笑っちまうぐらい、不器用な部分がそっくりだった。本当の言葉を重ねる度、いびつな塊がぶつかり合って、少しずつ尖りがなだらかになっていくような気がした。紀田は少し泣いた。
「お前がどうしたら後悔するようなことをしないで済むか、そのぐらいはわかる。それを、俺がこれから少しずつしてやっていってもいいか」
 遠巻きな俺の科白を、今にも泣きそうな目で紀田は聞いていた。
「静雄さん、静雄さん」
 ついにはしゃくりあげながら、紀田は一生懸命拳で目を覆った。