君と、明日を。
帝人はただ、溢れるようなこの恋慕をどうすればいいのか考えた。確実に彼に伝えなくては意味が無い。一緒にいたいと叫ぶ、この鼓動の意味を。
「臨也さんの、明日に・・・!」
そうすればそれは、きっと「ずっと」という意味に、なる。
*****
「帝人君急いで、ほら、もう時間だから」
ぐいぐいと手を引かれて、レストランに滑り込んだ時には、夜の八時を少し回っていた。臨也が同僚から聞いたというそのレストランは個人経営のイタリアンで、全室個室というのが売りなのだという。
少し遅れて到着した帝人たちをやっぱり少し不思議そうに見ながらも、部屋に通した給仕の視線が少しだけ気になった。男ふたりでクリスマスを祝っちゃいけないなんて法律は無い、断じて無い、と自分に言い聞かせながら、できるだけ記憶の隅に追いやって席につく。なんとか着替える時間はあったけれど、選ぶ暇もなく差し出されたものを着ただけなので、いつも組み合わせない色の服を着ているのが心細い。
メニューの中のコースカテゴリから二品ずつ選ぶスタイルらしく、帝人はおとなしくチョイスを臨也に任せた。こんな小さなことでも、頼られると臨也は喜ぶと知っているのだ。
「・・・あの、臨也さん」
「ん?」
「一応聞きたいんですけど。ここでこの話蒸し返すのはフェアじゃないなあって、分かっていて聞くんですけどね」
さっきの給仕の視線を記憶の隅に追いやったお陰で、それまで隅っこに引っかかっていた記憶が思い起こされ、帝人は思わず口を開いた。
まだ前菜が運ばれてくるまで時間があるだろう、と。
「その、だから、あの」
正直、それをここで蒸し返すのはかなり女々しい。自覚があるけれど、でもやっぱり聞いて置かなければ後々まで心に棘となって残りそうで。
もじもじと手を組み合わせ、思い切って口を開く。
「や、矢霧先生と、不動産屋さんに行ったっていうのは、その・・・っ」
もとはといえばそれが、今回の騒動のきっかけというか、根本的な原因だったのだから。ちゃんと理由は聞いておかなければいけない。
とりあえず臨也の心変わりではないらしいので、そうならば一体どうして二人で不動産屋を覗くのか、その理由には興味がある。
「・・・OK、帝人君が気になるのは分かる。分かるけどそれは、もう少し後で話題にしたいんだけど」
「どうしてですか?言えないってことは、やっぱりやましいことが・・・」
「無いって!」
ああもう、と頭を掻く臨也をじっと見つめれば、困ったようにその視線を彷徨わせて。
「食事終わったら、ね」
はい、一旦この話は中止。半分むりやり話題を切った臨也の声に合わせるように、最初の料理が運ばれてきて、仕方がないからここは一旦引いておくことにした。
人間、腹が減っては戦ができないものだ。
「波江の話だけど、ほんとに浮気じゃないから」
デザートが運ばれてくると同時に、意外にもあっさりと口火を切ったのは臨也の方だった。瞬きをしながら顔を上げ、視線を合わせる帝人に、臨也は言葉を選ぶように小さく「あー」、と声を出して、息を吐く。
「・・・鍵さ、」
「はい?」
「・・・君がいつも腰に付けてるその鍵束。見てこらん」
ゆびさされたのは帝人のベルトだろうか。いつも持ち歩いているその鍵束に手を伸ばすと、たしかにいつもとは少し違った手触りがしたような気がして、キーホルダーを外した。
「・・・あ、れ」
そこに、見たことのない真新しい鍵が一つ掛かっていた。
「これ?」
不動産屋に、新しい鍵と来れば想像できることは一つしかない。けれども現状に特別不満も無かったし、学校に近いのに生徒たちの通り道ではないあのマンションの場所は隠れ家のようで調度良かったけれど。
「引っ越すんですか?」
首をかしげた帝人に、臨也はもう一度言いよどんで息を吐き。
「・・・白い家、狭くても小さな庭、レースのカーテン、システムキッチン」
指を降りながら、そんなことを言う。
「残念だけど、小さな犬は勘弁して欲しい。俺が焼くから」
「臨也さん?」
「あとなんだろうね、定番って言ったら。ダブルのウォーターベッドと、ウォークインクローゼットかな」
これは、だんだんと雲行きが怪しくなってきたのではないか。
帝人はもしかして、と表情をこわばらせて、もう一度渡された鍵を見る。その少し特殊な形をなぞり、再び臨也に視線を戻して。
「・・・まさか」
「買っちゃった」
まさかのまさかだ。
「え!?一軒家ですか?」
今現状の家でさえ、二人で済むには十分に広いというのに、さらに大きな一軒家を購入したとはどういう事だ。二人の間には今後家族が増えることだってないのに。それに、買っちゃったで済ませられる買い物でもないだろう。家って、いくらすると思っているんだ。
「波江には借りを作ったけどさ、新婚フェアってやつで、男女でいけば安くなるし、ああいう所って男一人で行くより女がいたほうが店員の対応が良いんだ。まさか生徒に見られるとは思わなくてさ」
「い、臨也さん、待って、どういう・・・」
「君もそろそろ進路とか考える頃かなと思って。君の興味ありそうな大学とか学部とかも三年の連中の調べるついでにいくつかピックアップしてたらさ、どこも微妙に今のマンションから遠いんだよね」
もちろん池袋にも大学はあるが、そういうものはビル街よりも少し落ち着いた場所に多い。電車で通うにしてもそれぞれ利便性というものがある。そして今のマンションだと、来良には近くても駅までは少し遠いのだった。
「そう思って、最初は引越し先を選ぶつもりだったんだけどさ。俺は車もあるから学校までは多少遠くなっても構わないし、どうせなら君が通学しやすいところがいいなって。でも、そしたらつい、戸建ての方に目が行っちゃって」
あとはほとんど勢いだった。多分、臨也の方も休日が潰れて帝人と一緒に過ごす時間が減った分、積もっていたものがあったのだと思う。買い物でストレス発散だなんて女じゃあるまいしと思うものの、高価なものを貯金を下ろして札束で買ったあの快感はたしかに癖になりそうだった。
そして今、臨也の手元には一軒家の土地と建物の権利書があり、出かけるたびに少しずつ、家具も買い揃えていたりする。
「な、何をしてるんですか、あなたは・・・!」
まさか自分の知らないところでそんな事になっていたとは夢にも思わない。帝人は思い切り一軒家、という単語がぐるぐるまわる頭を抱えた。しかも、今の臨也の口ぶりだと帝人のために買ったと言って過言ではなさそうだ。
多少駅まで遠くたって、別に構いはしないのに!
「僕は今の家でも全然、良かったのに!っていうか、進路そのものにも迷っていたくらいで」
「だから、俺はいつそれを相談してくれるかと思って、準備してたの!このご時世に進学しないなんて勿体無いし、帝人君なら絶対に興味持ちそうな学部なんか、いくらでもあるんだからさ!」
「だって臨也さん忙しそうだったから・・・っ」
「なんで俺が忙しいからって君が遠慮するんだよ!俺は君の何!?」
それを言われると帝人にも思うところがある。たしかに、恋人なんだからもっと素直に甘えればこんなことにはなっていなかったのだ。帝人の胸のうちにある妙なプライドがそれを許さなかっただけで。