merrymerry-go-round
風丸は中学の半ばから高校を卒業する頃までの間、円堂と付き合っていたことがあった。ふつうに男女が付き合うように、恋人だった時期があるということだ。どうしてそうなったのかは、風丸にもはっきりとはわからない。ただ、自分が円堂の傍でサッカーを始めたことと、円堂のサッカーにひたすら焦がれたこと、それから自分の実力に絶望して円堂に一度背を向けたことが全部複雑に絡みあって、そうなったんだろうということはわかる。
ようするに距離のはかり方を間違えたんだ、と、風丸は思っている。幼馴染への親しさと友愛だと思っていたものがメッキを剥がされ、もっと激しいものに取って変わってしまうぐらいには。
気づいたら、円堂でなければ駄目だと思っていた。自分の気持ちを恋愛以外のものには置き換えられなくなった。そうしてそれは、うっかり受け入れられてしまった。不安と労わりを背景にしたネガティブな地点で、おそらく、あのとき、あのタイミングだったからこそだ。
自分たちの関係を人に言ったことはもちろんなかったけれど、円堂と近しい勘の良い友人たちは、うすうす気づいていたんじゃないかと思う。豪炎寺も、鬼道も。ヒロトだって、あれだけ円堂に注目していれば気づかなかったはずはないだろう。
けれども、そのことについて誰かに触れられたことは一度もなかった。付き合っている最中も別れてからも、他に仕様がなかったからなのだろうが、彼らは何も知らないように振る舞った。優しい無関心を貫き通した。それは、ありがたいことだった。だからここへ来て、ダイレクトに突っ込んで来られるとは思ってもみなかった。
急に口をつぐんでうつむいた風丸に、ヒロトは困惑した様子だった。
「ごめん。傷ついた? でも、一生いっしょになんていられないって思ったのは、君だったんじゃないの? 守のことを突っ放したのも」
風丸は何か言葉を返そうとして、できなかった。抑え込んだ感情が顔をゆがめ、喉の奥に熱い塊をつくる。こんなところでは泣くまいと思った。
「……お前に何がわかるんだよ。頼むから、もう、放っておいてくれ」
ようやくかすれた声を絞り出すと、ヒロトはゆっくり瞬いて、ますます不可解でたまらないという表情になった。
「俺にはわからないよ、君の考えてることは。守には、好きになった人も優しくしていた人も確かにたくさんいたけれど、突っ放されてあんなに傷ついたのは、たぶん君ぐらいだったのに」
「黙れよ!」
カッとなって立ち上がり、感情の高ぶりに任せて怒鳴りつけた瞬間に、目の裏がちかちかする感じで視界がうす暗くなった。ああ、貧血ぎみだったのか……と、風丸は思う。そういえば食欲がなかったから結局自分だけ朝食を抜き、水分もろくに取っていなかった。
「めまい? 大丈夫? 座って」
しゃがみこもうとしたら、すかさずヒロトに腕を引かれ、ベンチに座らされた。少し横になりなよ、と勝手に上体を倒されるのに抗う気力もない。深く呼吸をすることだけに意識を集中していた。体の自由をゆだねると、ヒロトはなんのためらいもなく自分の膝の上に風丸の頭を乗せた。
「唇まっしろだよ。ごめんね。顔色が悪いこと、気がつかなかった……」
心配そうに顔をのぞきこまれて、風丸は思わず感心する。どうしてこの状況で、無心に人の心配ができるんだろう、人目も気にせずに。場違いで圧倒的な善意に気圧され、行き場を失った怒りがするするこぼれる。あとに残るのは、不当な疲労と罪悪感ばかりだ。
目を瞑ると、子供のはしゃぐ声や園内のざわめきが波の音のようにゆらめいて耳の底へ残った。まぶたの上へ落ちた前髪を、冷たい指先がひろって顔の脇に流す。
どうしてこんなところで、こうしているんだろうか。風丸は考えるが、答えは出ない。しばらくそうして妙な格好で横になっていると思考が散漫になり、だんだん何もかもがどうでもよくなってきた。つい、口をついてぽつりと本音が洩れた。
「お前は、円堂のことが好きなんだと思ってた。俺と同じふうに」
「同じって、恋愛感情みたいにってこと?」
柔らかく問われて、はっとする。自分はいったい何を口走っているんだろうと驚いた。
ヒロトが円堂に抱く気持ちは、自分と同じ恋愛感情に近い物なんじゃないのかと、風丸はずっと思っていたのだ。探りを入れるのもあさましい気がして聞いたことはなかったが、なかば確信に近い推測だった。それもあって、ヒロトと向き合うときはやや気構えた。
それにヒロトは、仲間になる前は敵側であった人間だ。敵であった、大人たちの道具だった頃の彼は、自分の信念を守るために容赦なく間違った方向へ力をふるっていた。人を傷つけることをいとわなかったし、力のない相手を自分と同じ人間とは思わないように扱った。
風丸は、彼の率いるチームと初めて交戦したときの一瞥が、いまでも忘れられない。ボールを奪おうとしたときにちらりと向けられた視線は、憎しみでも嫌悪でもない徹底した氷のような無関心と、さげすみを通り越した同情に近い何かだった。彼はその一瞬で、お前の存在はチームにとって(あるいは円堂にとって)まったく無価値だと語った。
たったそれだけで、風丸は足がすくんで動けなくなった。呆然とした。プライドなんてつまらないものだと思っていたのに、自尊心を極限まで折られると、人は欠いてはいけない部分のバランスを欠いてしまうんだと知った。それがキャラバン離脱の直接の原因だったわけではないが、絶望にとどめを刺したことは確かだ。
でも、それでいて、ヒロトから疎まれていると感じたことはなぜか一度もないのだった。仲間になってからの彼は、むしろ純粋な好意ばかりを向けてきた。その好意がどこから生まれているのか、風丸には想像もつかなかった。
許していないとは言わない。結果的に自分だって、ヒロトと似たりよったりのひどいことをした。それでも、あんな目で自分を睨んでおきながら……と、思ってしまうのは、ルール違反なのだろうか。わだかまりを残すことも。そのわだかまりを、円堂に向ける感情と混同することも。
口に出した言葉をなんとか取り消せないものかと焦る風丸に、ヒロトは幼く口元をほころばせた。
「好きだよ、守のこと。そうだね、いっそ恋愛感情に近かったかもしれない。できるなら、寝たってよかった。今でもそう思ってる」
うっ、と思った。予想はしていたのに、全肯定されたとたんに冷や汗が出た。息を詰めて見上げたヒロトの表情は逆光でよく見えなかったが、そのたたずまいは普段とまるで変わらない。
「でも俺が守を好きなことと、風丸くんが守を好きなことは全然関係ないことだし、守が誰をいちばん好きかっていうことも、俺にはそこまで大事なことじゃないんだ。そりゃあいちばん好かれたら嬉しいだろうとは思うけど……でも、絶対に自分の物にしたいとは思わないかな。守はあのままでいいんだ。どこにいて何をしてても、誰が好きでも、守の思うようにやってたらそれで。見ているだけで、幸せな気持ちになるよ」
夢みるようにうっとりと言われ、苛立ちをおぼえた風丸は低く吐き捨てる。
「そんなのは幻想だ。理想論だ。おかしいよ。そんなことがあるもんか」
作品名:merrymerry-go-round 作家名:haru