【東京マグニチュード8.0】目が醒めて、そこに有るのは
突如、心がざわめきだした。
その言葉の部分だけ、ノイズが思考に割り込んでくる。
つけっぱなしのテレビの電波状況が悪くなったのかとそちらを見たが、クリアに映っている。
鮮明な画像は、未来には容易に見分けられた。
「お台場の、橋・・・」
でも、おかしい。
「壊れたんじゃ・・・・?」
「何言ってるんだよ、姉ちゃん」
「そうだよ。なんで橋が壊れるの?」
漏れた呟きに二人が反応する。
「なんでって・・・」
――『−−−』があったから。
反射的に浮かんだ答にも混じるノイズ。
――だから、何? 『−−−』って。
自問自答を繰り返していると、不意に懐かしいメロディが聞こえた。
音の発信源は、ポケットの中の携帯。
カエルのキャラクターの付いたそれは、何年も前に機種変してもう手元にないはずだった。
なのに、確かに今、手の中で鳴っている。
恐る恐る通話ボタンを押して耳に当てると、女の子の声が聞こえた。
「余計なこと、言わないでよ」
「・・・あなた、誰?」
眉根を寄せる。それは不審に思ったからだけでなく、年下の声に居丈高に語りかけられたせいもあった。
電話の向こうで、笑った気配。
「使い方、忘れちゃったの? 『ケータイ星人』は卒業したんだ?」
そう言われて、不機嫌な気持ちはさあっと引いていった。
そんなことまで知っているなんて、一体この子は誰なのだろう。
このくらいの年頃の知り合いは、雛ちゃん以外には思いつかない。妹持ちの友人もいるが、それほど親しい相手はいなかった。
――『ケータイ星人』なんて、10年も前に弟がつけたあだ名を知ってるような子は・・・
と、そこまで考えて、少女の言葉を思い出す。
「使い方・・・」
耳元の携帯を持ち直し、液晶画面の表示を確かめた。
発信者の名前として写されていたのは。
小野沢未来
「あたし・・・?」
自分の名前、だった。
同姓同名、だろうか。
『未来』という名前はそう珍しくはないだろう。でも、『小野沢』という名字はあまりいない。
今の学年にも自分ひとりだけだし、13年生きてきた中で全く同じ名前の人には会ったことが・・・
――・・・学年? 13年?
「だから、考えなくていいんだってば」
電話から聞こえる声――聞き覚えはないが、自分自身の声というのはそうらしい――に苛立ちが混じってきた。
なんとなく、自分が言いそうな台詞を喋っている気もする。
かといって完全に信じられるわけではない。悠貴や雛ちゃんにも意見を・・・
そう思い、同じテーブルについている二人に目を向けたところで違和感を覚えた。
――止まってる・・・?
弟も恩人の一人娘も、微動だにしない。
じっとしている、というのとは違う。二人の姿は、会話の最中に突然時が静止してしまったかのようだ。
「どうなってるの・・・? あたし、夢でも・・・」
足元が揺らぐような感覚。それは、まるで――
まるで。
「現実だよ。こっちが。それでいいじゃない」
電話の向こうの人物は断言する。
けれど、それは無意味だった。
彼女の思惑とは別のところで、すでに自分は気付いてしまったのだ。
この街に足りない『あるもの』――『−−−』の正体。
立っていられない程の大地の揺れ。
「・・・じ、地震・・・・・」
『じしん』――たった一言。けれどそれは、決定的な言葉だったのか。口にした途端、崩壊が始まった。
激しい振動が襲ってきて、室内のあらゆるものが倒れ落下し、轟音をたてる。
あたしは堪らず床に尻餅をついた。
右足と踵が痛みを訴える。
掛けられていた壁から落ちて、ぱりん、と割れた鏡。その破片。
そこに写った自分の姿は、スーツに身を包んだ新社会人ではない。
右足に包帯を巻いた、13歳の中学生に戻っていた。
「ママ、ママどこ・・・!?」
女の子の泣き声にそちらを見る。先程まで、静止した雛ちゃんが座っていたあたり。そこにいたのは、髪を頭の両側で縛った女の子だった。
幼児にかえった雛ちゃんが、真理さんを探して泣いている。
テーブルの反対側には緑の服に黒いリュックを背負った悠貴が声もなく倒れ臥していた。
「悠貴!? 悠貴っ!!」
何とか駆け寄って揺り起こそうとするも、小学生の幼い弟は意識を取り戻さない。
――やめて! 誰か助けて!
「まだ、間に合うよ」
場違いに静かな声が、携帯から聞こえた。
「あなたは本当に、こんな世界がいいの?」
その言葉に顔を上げる。
見回した風景は、一変していた。
窓の外の東京の街並みは見る影もない。
崩れていく電柱やビル、あちこちで上がる火の手、立ち上る黒煙。
耳に届くいくつもの絶叫。悲鳴。呻き声。
恐怖が胸に広がっていく。
凄惨な光景は、テレビにも次々映し出されていた。
お台場の橋が崩落していく。まさに記憶の通りに。
引き起こされた大波に、屋根にまでぎゅうぎゅうに人を乗せた船が引っくり返された。
船体はそのまま浮かんでこない。乗っていた人たちは、どうなったのだろう。
そんなの、決まっている。だからこそ、考えたくない。
――怖い、怖い怖い怖い怖い! もう嫌!!
必死の願いにもかかわらず、被害の広がる様子が続けて映される。
高速道路が崩れ落ちる。見慣れた中学校に溢れる無数の怪我人。
その次に目に入ってきたのは。
「東京タワー・・・」
呟く間にも倒壊していくその根元には、泣いている子ども。
その景色には、どこか見覚えがあった。
記憶を辿ってその理由を思い出そうとして――
と、握っていた携帯がすっと消えてしまった。
「え・・・?」
「わかったでしょう」
テレビの画面がぱっと切り替わり、そこに映った人物はそう言った。
ピンクの携帯を手にしたその少女は、自分だ。小野沢、未来だ。
だが、床にうずくまっている自分自身ではない。まっすぐ立って、こちらを見ている。
彼女は、確信を持った口調で言う。
「こんな現実なんてあたしは嫌。たとえ夢だとしても、あの世界の方がよっぽどいい。そう思わない?」
同意が得られることを確信し笑みまで浮かべている彼女。
しかし、あたしは首を横に振った。
「嘘でしょ・・・?」
「ううん。あたしは、現実に・・・帰る」
きっぱりと告げる。
声が震えていて、それがすごく情けないのだけれど。
でも、決意は本物だ。
「どうしてよ?!」
テレビから聞こえる叫びは、怒声よりも悲鳴にずっと近い。
理解されないことを心底悲しんでいて、現実に帰ることにひたすら怯えている。
その気持ちはわかる。だから、正直に思いを伝えなきゃいけない。
彼女は、きっとニセモノなんかじゃない。もう一人の自分だ。
あの地震なんて無かったらと願う、あたしの心の一部なんだ。
だからきっと、わかってもらえる。そう信じて、続けた。
「だって、あたしはお姉ちゃんだもの。あんな現実に、悠貴を独りでおいておけないよ」
その言葉の部分だけ、ノイズが思考に割り込んでくる。
つけっぱなしのテレビの電波状況が悪くなったのかとそちらを見たが、クリアに映っている。
鮮明な画像は、未来には容易に見分けられた。
「お台場の、橋・・・」
でも、おかしい。
「壊れたんじゃ・・・・?」
「何言ってるんだよ、姉ちゃん」
「そうだよ。なんで橋が壊れるの?」
漏れた呟きに二人が反応する。
「なんでって・・・」
――『−−−』があったから。
反射的に浮かんだ答にも混じるノイズ。
――だから、何? 『−−−』って。
自問自答を繰り返していると、不意に懐かしいメロディが聞こえた。
音の発信源は、ポケットの中の携帯。
カエルのキャラクターの付いたそれは、何年も前に機種変してもう手元にないはずだった。
なのに、確かに今、手の中で鳴っている。
恐る恐る通話ボタンを押して耳に当てると、女の子の声が聞こえた。
「余計なこと、言わないでよ」
「・・・あなた、誰?」
眉根を寄せる。それは不審に思ったからだけでなく、年下の声に居丈高に語りかけられたせいもあった。
電話の向こうで、笑った気配。
「使い方、忘れちゃったの? 『ケータイ星人』は卒業したんだ?」
そう言われて、不機嫌な気持ちはさあっと引いていった。
そんなことまで知っているなんて、一体この子は誰なのだろう。
このくらいの年頃の知り合いは、雛ちゃん以外には思いつかない。妹持ちの友人もいるが、それほど親しい相手はいなかった。
――『ケータイ星人』なんて、10年も前に弟がつけたあだ名を知ってるような子は・・・
と、そこまで考えて、少女の言葉を思い出す。
「使い方・・・」
耳元の携帯を持ち直し、液晶画面の表示を確かめた。
発信者の名前として写されていたのは。
小野沢未来
「あたし・・・?」
自分の名前、だった。
同姓同名、だろうか。
『未来』という名前はそう珍しくはないだろう。でも、『小野沢』という名字はあまりいない。
今の学年にも自分ひとりだけだし、13年生きてきた中で全く同じ名前の人には会ったことが・・・
――・・・学年? 13年?
「だから、考えなくていいんだってば」
電話から聞こえる声――聞き覚えはないが、自分自身の声というのはそうらしい――に苛立ちが混じってきた。
なんとなく、自分が言いそうな台詞を喋っている気もする。
かといって完全に信じられるわけではない。悠貴や雛ちゃんにも意見を・・・
そう思い、同じテーブルについている二人に目を向けたところで違和感を覚えた。
――止まってる・・・?
弟も恩人の一人娘も、微動だにしない。
じっとしている、というのとは違う。二人の姿は、会話の最中に突然時が静止してしまったかのようだ。
「どうなってるの・・・? あたし、夢でも・・・」
足元が揺らぐような感覚。それは、まるで――
まるで。
「現実だよ。こっちが。それでいいじゃない」
電話の向こうの人物は断言する。
けれど、それは無意味だった。
彼女の思惑とは別のところで、すでに自分は気付いてしまったのだ。
この街に足りない『あるもの』――『−−−』の正体。
立っていられない程の大地の揺れ。
「・・・じ、地震・・・・・」
『じしん』――たった一言。けれどそれは、決定的な言葉だったのか。口にした途端、崩壊が始まった。
激しい振動が襲ってきて、室内のあらゆるものが倒れ落下し、轟音をたてる。
あたしは堪らず床に尻餅をついた。
右足と踵が痛みを訴える。
掛けられていた壁から落ちて、ぱりん、と割れた鏡。その破片。
そこに写った自分の姿は、スーツに身を包んだ新社会人ではない。
右足に包帯を巻いた、13歳の中学生に戻っていた。
「ママ、ママどこ・・・!?」
女の子の泣き声にそちらを見る。先程まで、静止した雛ちゃんが座っていたあたり。そこにいたのは、髪を頭の両側で縛った女の子だった。
幼児にかえった雛ちゃんが、真理さんを探して泣いている。
テーブルの反対側には緑の服に黒いリュックを背負った悠貴が声もなく倒れ臥していた。
「悠貴!? 悠貴っ!!」
何とか駆け寄って揺り起こそうとするも、小学生の幼い弟は意識を取り戻さない。
――やめて! 誰か助けて!
「まだ、間に合うよ」
場違いに静かな声が、携帯から聞こえた。
「あなたは本当に、こんな世界がいいの?」
その言葉に顔を上げる。
見回した風景は、一変していた。
窓の外の東京の街並みは見る影もない。
崩れていく電柱やビル、あちこちで上がる火の手、立ち上る黒煙。
耳に届くいくつもの絶叫。悲鳴。呻き声。
恐怖が胸に広がっていく。
凄惨な光景は、テレビにも次々映し出されていた。
お台場の橋が崩落していく。まさに記憶の通りに。
引き起こされた大波に、屋根にまでぎゅうぎゅうに人を乗せた船が引っくり返された。
船体はそのまま浮かんでこない。乗っていた人たちは、どうなったのだろう。
そんなの、決まっている。だからこそ、考えたくない。
――怖い、怖い怖い怖い怖い! もう嫌!!
必死の願いにもかかわらず、被害の広がる様子が続けて映される。
高速道路が崩れ落ちる。見慣れた中学校に溢れる無数の怪我人。
その次に目に入ってきたのは。
「東京タワー・・・」
呟く間にも倒壊していくその根元には、泣いている子ども。
その景色には、どこか見覚えがあった。
記憶を辿ってその理由を思い出そうとして――
と、握っていた携帯がすっと消えてしまった。
「え・・・?」
「わかったでしょう」
テレビの画面がぱっと切り替わり、そこに映った人物はそう言った。
ピンクの携帯を手にしたその少女は、自分だ。小野沢、未来だ。
だが、床にうずくまっている自分自身ではない。まっすぐ立って、こちらを見ている。
彼女は、確信を持った口調で言う。
「こんな現実なんてあたしは嫌。たとえ夢だとしても、あの世界の方がよっぽどいい。そう思わない?」
同意が得られることを確信し笑みまで浮かべている彼女。
しかし、あたしは首を横に振った。
「嘘でしょ・・・?」
「ううん。あたしは、現実に・・・帰る」
きっぱりと告げる。
声が震えていて、それがすごく情けないのだけれど。
でも、決意は本物だ。
「どうしてよ?!」
テレビから聞こえる叫びは、怒声よりも悲鳴にずっと近い。
理解されないことを心底悲しんでいて、現実に帰ることにひたすら怯えている。
その気持ちはわかる。だから、正直に思いを伝えなきゃいけない。
彼女は、きっとニセモノなんかじゃない。もう一人の自分だ。
あの地震なんて無かったらと願う、あたしの心の一部なんだ。
だからきっと、わかってもらえる。そう信じて、続けた。
「だって、あたしはお姉ちゃんだもの。あんな現実に、悠貴を独りでおいておけないよ」