【APH】姫君の憂鬱【普列】
プロイセンは掌に僅かな疼きを覚え、ぎゅっと強く握りこんだ。変な想像ばかりしていた所為か、明らかに心拍が速くなっている。顔が熱い。気分を落ち着けようと口に含んだコーヒーすらも、彼女が淹れたものだと思うといつもと違う味がする木がした。
「……プロイセンさん、終わりました」
くいと袖を引っ張られて弾かれたように振り向けば、リヒテンシュタインの顔が予想以上に近くにあった。
「(やべっ……!)」
慌てたプロイセンが体勢を崩しかけたのを見て、リヒテンシュタインが咄嗟に支えようと腕を掴んだ。しかしそれが余計にプロイセンを動揺させてしまい、結局ソファから身体が半分以上ずり落ちる事態となってしまった。
驚いて目を瞠るリヒテンシュタインに苦笑うプロイセンの顔は火を噴きそうなほどに赤かった。さすがにリヒテンシュタインもプロイセンの異常に気づき、眉尻を下げる。
「あの……熱が、あるんですか?」
「い、いや、んなことねぇよ」
「ですけど、顔真っ赤ですし……。とにかくちゃんと座ってくださいまし」
言われるがままにソファに座りなおしたプロイセンの顔を覗き込み、リヒテンシュタインはおもむろに手を持ち上げた。何をするのかと思ったのも一瞬のことで、プロイセンが気づいたときにはその額に彼女の小さな手が触れていた。
その行為によって、プロイセンは完璧に凍り付いてしまった。声を発することも出来やしない。ただ、彼女が触れている部分から熱が増していくような感覚を感じていた。ただ熱を測っているだけだ、と冷静な部分がプロイセンに訴えかける。しかし見事にフリーズしてしまったプロイセンの脳にはそんな声などろくに届かない。ただ鈍くなった思考で、あぁ綺麗だなとか、手ェ小さいんだなとか、そんなことばかりをぼんやり考えていて、結局リヒテンシュタインが手を離すまで動けないままだった。
「……少し、熱があるようです。お休みになられたらどうですか?」
「だっ――だから、熱とかねぇから大丈夫だって!」
「ですけど……」
リヒテンシュタインは本当に心配そうにプロイセンの服を掴んで、何とか休ませようとする。勿論、彼女のそういった行為がプロイセンの症状を悪化させる原因なのだとは気づいていない。
必死なリヒテンシュタインは簡単には引き下がらなそうだ。プロイセンの方は、これ以上彼女の傍にいたら何か気づいてはいけないことに気づいてしまいそうな、そんな予感がして余計に焦ってしまう。そう、これ以上二人きりでいてはきっと、気づいてしまう。
「(なに、に?)」
プロイセンは心の中で首を傾げて自問する。
その間も、リヒテンシュタインの手はプロイセンに触れたまま。ついにはその掌がすっと腕を伝い、直に手を握られて、プロイセンは引き攣った声を上げて――
「(この、バカ……っ!)」
それは果たして自分に向けた言葉なのか、目の前の少女に向けた言葉だったのか。
ただ、頬に唇を押し当てた感触だけがいやにリアルだった。
「――――」
先程のプロイセンと同じように、リヒテンシュタインは動かなくなってしまった。プロイセンからはその表情は見えないが、乱暴に掴んだ細い手首をすっと指先で撫でるとぴくりと震えた。
頬に、触れるだけのキス。それは数秒にも満たないような短いものだった。
「あ――あれ、俺……何やってんだ?」
唇を離したプロイセンは、目を瞬かせてそう呟いた。真正面のリヒテンシュタインは彼よりも更に混乱しているようで、瞬きすらしない。
「リ、……リヒテンシュタイン?」
試しに名前を呼んでみれば、彼女はようやく反応した。びくんと大きく肩を跳ねさせたかと思えば、次の瞬間には一気に顔を紅潮させる。二人で真っ赤な顔をして向かい合うこと数秒、意を決したリヒテンシュタインが唇を震わせた。
「あ、あの、プロイセンさん……」
「おぉうっ!?」
「今のは一体……何なんでしょう……」
「おっ――俺が訊きてぇよ!」
叫んで立ち上がろうとしたときに、リヒテンシュタインの手首を掴んだままだったことに気づく。手を放せば、すっかり力の抜けきった細腕は重力に任せてすとんと落ちた。
自分を見上げ来る宝石のような無垢な瞳。触れた頬は柔らかくて。もしもその唇にキスをしたら、どれほど幸せな気持ちになるだろうか。
今はもう、意識してしまうというレベルではなかった。訳が分からないうちに――本当に、自分でも意味が分からずにリヒテンシュタインの頬にキスをしてしまったのだ。挨拶のキスというには遅すぎるから言い訳にはならない。
ならば何故。無意識にでもキスをしたいと思ったのは何故だ。
「(っつーか、んなの訊くまでもねぇよな普通!)」
これ以上考えたら頭が爆発しそうだった。最早彼の脳みそは沸騰直前である。
「っ――帰る!!」
プロイセンはもう何も考えたくなくて、一言叫ぶと客間から逃げ出すようにして出て行った。廊下を走り抜け、家の外へ飛び出す。そのときにはもう心拍だけではなく呼吸も乱れきっていて、プロイセンはひどい疲労を感じて石畳の上に座り込んでしまった。
「あぁー……ちっくしょ……」
ぐしゃりと髪を掻き乱して溜め息を吐く。どうしてもあの瞬間のことが頭から離れなくて、逃げ場がなかった。
「(無意識とは言えあんなことしたいって思うのは……やっぱアレ、なんだよな)」
今まで女性とろくに触れ合ったことのなかったプロイセンだが、それくらいは分かる。触りたいとかキスをしたいとか、そんな願望を抱くとなると要するにあぁいうことである。
プロイセンは覚悟を決め、すっと息を吸いこんだ。
「もしかして――惚れた、のか?」
彼女のことを殆ど何も知らないままで、自分よりもずっと幼い少女に惚れてしまったというのか。たった一時間足らずという短い時間、彼女と二人きりで過ごすうちに。
けれど動揺が収まらない心とは正反対に、その言葉を口にしてみれば思ったよりもあっさりと自分の中に浸透していった。まるでその言葉を待っていたかのように。そうしてプロイセンは確信したのだ。
気づいてしまった。
気づいてしまった。
その事実を、受け入れてしまった。
実に突拍子のない恋心。数百年と生きていて初めて抱いた気持ち。
「うそ、だろ……」
プロイセンは呆然と空を見上げ、暫く玄関の前に座り込んでいた。
その日、プロイセンは一人の少女に恋をした。
「……何だったんでしょうか……」
リヒテンシュタインは頬にそっと手を添える。少しかさついた唇が触れていた箇所は熱っぽい。ドキドキして、思考が纏まらなくなってくる。
頬へのキスならば挨拶なんだろうか。けれどそれならあったときにするはずだ。それなら何故?
「プロイセン、さん」
彼の名を呼ぶ幼い声はどこか夢見心地。唐突なキスはとても優しくて、乱暴ものといわれている人物の口吻けとは思えなかった。大切なものに触れるような触れ方だった。
リヒテンシュタインがふとテーブルを見ると、そこには自分のピンク色の携帯電話と、プロイセンが置き去りにしていったらしい黒い携帯電話が並んでいた。何気なくプロイセンの携帯電話を手に取ろうとしたが、その手は直前で止まってしまう。指先が小さく震えるのを感じた。
作品名:【APH】姫君の憂鬱【普列】 作家名:三月