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幽霊なんか怖くない

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「おい、大丈夫か?」
「口から内臓飛び出そうです…」
「悪かったな。まあ休んでけよ」
静雄のマンションには、ものの数分で到着した。時速何キロくらい出ていたのかはわからないが、その間ずっと抱えられていた帝人は後ろ向きでジェットコースターに乗っていたような感覚で、正直気分が悪かった。
もともと絶叫系には強くないのだ。体力も持久力もないのに無理な運動を強いられて、三半規管が悲鳴を上げている。
疲れていたのも確かだが、怖さを感じる暇を与えられなかった所為もあって、帝人は素直に静雄の後に従った。旺盛な好奇心がむくむくと頭を擡げた、というのもある。
問答無用で引っ張ってこられたとはいえ、考えてみれば今自分は『平和島静雄の部屋』にいるのだ。静雄のプライベートに触れているのだと思うと、このまま去ってしまうのは惜しい気がする。一応、招かれた訳だし。
短い廊下の向こうはそこそこ広い部屋で、キッチンとリビング兼寝室が引き戸で区切れるようになっていた。
勧められるまま腰を下ろし、帝人は自分が住む部屋を探していた時の池袋周辺の家賃相場を思い出して、ちょっと目を瞠った。このマンション自体がまだ新しいし、どうやら静雄はそこそこ高給取りらしい。
「ほら」
「あ、ありがとうございます」
コーヒーの入ったカップを受け取り、一緒にテーブルに置かれた牛乳を拝借して少し入れる。静雄はグラスにそのまま牛乳をついで飲んでいたが、ふと立ち上がったかと思うとプラスチックのボトルとスプーンを手に戻ってきた。差し出されたそれには『SUGAR』の文字。
礼を言ってそれを使い、やや甘めのコーヒーに口をつけると、やっと身体が軽くなったような気がした。無意識に緊張していたのだろうか。それとも。
「あ、あの! まさかと思うけど、ここに居たりしませんよね?」
「…あ?」
「着いてきてたり、とか」
「……ッ!? いや、居ねぇ! 今は居ねぇ!!」
「あ、よかった」
では、やはり緊張の所為だったのだ。
念の為こっそり静雄を伺うが、特定の場所を見つめていたり視線を逸らしたりする様子もない。
帝人自身は幽霊が苦手な訳ではないが、むしろそうした話は夏になると好んで聞く方だが、自らに害が及ぶとなれば話は別だ。怪談は体験談を聞くからこそ面白いのであって、季節外れのこの時期に敢えて当事者になりたいとは思わない。
ホッとすると余裕が出来て、帝人はゆっくりコーヒーを飲みながら当たり障りのない程度に室内を見回した。
帝人の住む部屋が3つくらい入りそうなのに、家具が少ない所為か散らかっている印象はない。シンクの横に冷蔵庫と家電製品をまとめた食器棚があって、帝人が凭れているのはベッドの縁。これだけは縦横共に普通よりサイズが大きいが、それ以外はタンス代わりのキャビネットとその上に乗っているテレビ、そしてローテーブルが1台あるだけだ。
テレビの向きは明らかにベッドの前だし、そもそもここに人を招く事自体を想定していないのだろう。
そう思うと、なんだかレア度がよりアップしたような気がした。
「…なあ、お前も見たよな、見えたんだよな? あれって要するにアレだよな?」
「あ、はい…初めて見ました。本当に透けてるんですねー」
体が透けて見えるというのはテレビでよく使われる手法だが、ベタであるという事はそれだけ有効な表現方法であるという事なのだろう。
けれども思い返してみれば、ちゃんと服の色もわかったし、流れる血も赤かった気がする。ただ半透明なだけなら電柱やブロック塀の色に重なってしまうだろうから、単純に『透けて見えた』訳でもないのかもしれない。
「初めて幽霊を見たっつー奴の感想がそれか!?」
「え、いえ、初めてだから気になったというか」
観察しなきゃ勿体無い、…と思える程冷静だった訳でもないのだが、無意識に実行していた感が無いでもない、かもしれない。最初で最後の体験になるかもしれないんだし、そんな脱力する程奇妙な行動でも無い、と思うのだが。
「えっと、…静雄さんて幽霊が怖いんですか?」
「………怖いんじゃなくて、気持ち悪ぃんだよ。頭から血ぃ流してたり、手足の向きが変だったり」
「そんなのいつも自分で量産してるじゃないですか」
「体の一部が無かったりするんだぞ!?」
「セルティさんは首がありませんよ」
幽霊と妖精を一緒くたにするのもどうかと思うが、何故セルティが平気で幽霊が怖い、もとい、気持ち悪いのかが帝人にはわからない。ひょっとして過去に何かあったのかな、とも思ったが、さすがにそこまで突っ込んで聞く勇気はない。
そういえば、怖いのかなんて聞いてよく殴られなかったなー、と暢気に思った。返答に間があったのは、つまりはそういう事なのだろう。今のところキレそうな素振りは見えないが、そもそもいつキレるのかが簡単にわかるなら自動喧嘩人形などと呼ばれたりはしないはずだ。好奇心も満たされた事だし、そろそろ潮時か。
飲んだら帰ろう、と残ったコーヒーに口をつけていると、気配を察した静雄に先手を打たれた。
「…セルティ知ってんのか」
「あ、はい。以前ちょっとした事でお世話になった事があって」
以来メル友です、と答えると怪訝と憮然の中間のような表情をされた。怒っている要素のない複雑な顔、とでも言うのだろうか。キレられないのはありがたいけど、さっきからなんなんだろう、この人。
「お前、今日暇か?」
「えっ…、今日、ですか? 別に予定は無いですけど」
「学校は、…明日は土曜日か。よし、今晩泊まってけ。いいよな、問題ねぇよな」
ある。問題ならある、主に心情的な理由で。勘弁してよというのが正直な気持ちだが、ここで素直に「嫌です、帰ります」などと言えば、ひょっとして今日が命日になるんだろうか。
「あの、ベッド、これだけですよね?」
「お前細いし、一緒に寝ても余裕だろ」
「えっと、あの、き、着替えが無いです…」
「貸してやるよ。まぁ、お前にはデカいだろうけど」
「あの、でも、…下着とか、」
「そいつはさすがにサイズあわねぇよな。よし、買いに行くぞ」
「今から!!?」
婉曲な謝辞は通じないようだ。慌てる帝人をよそに、牛乳を飲み干した静雄がさっさと立ち上がる。
「ほら、行くぞ」
「は、はいっ」
どうやら拒否権はないらしい。
生きて帰れますようにとこっそり心の中で拝みながら、同時に帝人は正臣に言ったらどんな顔するかな、などと矛盾したことを考えた。




作品名:幽霊なんか怖くない 作家名:坊。