彼の歌声
緩慢に首を振り、レンはおれの胸元に服をぎゅっと押し付ける。それから、ふと思いついたように空を見上げ、口唇を上げた。
「ねえ、見てよ。虹が出ている」
レンの、うっすらと濡れた指先が空を指差す。おれは押し付けられた服を自身の手の平でかき抱くように持ちながら、彼を見つめた。レンの視線が、すっとおれのそれと絡まる。彼の、清廉なまでの涼しさをたたえた瞳が、細まる。
「見ないの」
疑問に満ちた声が、優しく耳朶を叩いた。
「綺麗だよ。とても大きい。あれだけ雨が降ったのだから当然なのかもしれないけれど」
「…………服──」
「虹は出てくるのは突如としてなのに、消えるときはどうしてぼんやりと消えていくんだろうね」
非難めいた感情が顔に浮かぶのが自分でもわかった。レンの視線が逸れ、空に向かう。彼は指先を空に向けたまま、言葉を続けた。
「虹は消えるときに残滓を残していくように思えるよ。ゆっくりと、虹自体が色のかけらとなってほろほろ崩れていくんだ。虹を形作っていた、色彩の残滓が、虹が消えた後は空気中に漂っていたりしてね」
御伽噺を語るような、柔らかくて、どこか諭すような感情で染まった声が、彼の唇から漏れる。トーンがめちゃくちゃで、聴くに耐えない声だというのに、彼の口からつむぎ出されていく言葉は、他人に有無を言わせず耳を傾けさせる不思議な魅力があった。
服を抱える手の平に、力がますますこもるのがわかる。顔に苦い色が浮かぶのを禁じえない。誰かを睨むような表情を浮かべたまま、レンが指差す先を辿った。
空には、レンの言うとおり大きな虹がかかっていた。とても綺麗だ。大きな、大きな──淡い虹。いつもならば心が躍るであろうそれを見ても、何の感慨も沸いてこない。綺麗、だからなんだと言うのだ。それよりもはやく、レンをどうにかしなくてはならない。このままでは彼が壊れてしまうというのに。
メンテナンスセンターへ連れて行って、メンテナンスしてもらうべきだ。いや、メンテナンスしてもらわなくては、ならない。このまま放っておいては、彼は声が出せなくなってしまう。ボーカロイドにとって、致命的な欠陥だ。
考えが脳裏を回る。それを遮るように、レンの小さな声が耳を突いた。