彼の歌声
その日は雨が降っていたけれど、いつものようにおれは公園を目指した。マスターに濡れると危ないんだから、と合羽を着せられた。合羽を着た上で、傘を差していくのだから、確実に雨はしのげられるだろう。
鼻歌をうたう。レンがよく口ずさんでいた歌だ。彼のように感情を込めてしっとりとうたうことは出来ないけれど、それでも少しずつ上手に歌えてきていると思っている。
公園の入り口につく。雨粒で濡れた土を蹴って、そのまま公園の中へと入っていく。
ベンチを見る。いつもレンが座っているベンチを。
レンは居なかった。
「あれ。おーいレン、どこに居るんだよ」
声を上げて、周りを見渡して、水溜りをぱしゃぱしゃと弾きながら公園内を歩き回る。どこかで隠れているだろうと思ったのに、レンはどこにも居なかった。
ベンチに近づくと、彼にあげた傘が、所在無さ気に地面に横たわって、泥と雨に濡れていた。拾い上げて、先ほどよりも強くレンの名前を呼ぶ。何時間も、公園の隅から隅まで探し回っても、彼は居なかった。
失意のままに家へ帰ると、マスターが驚いたように迎え入れてくれた。悲惨な顔をしていたらしい。マスターは合羽を脱がしてくれた後、何かを問いたそうにおれを見ていたけれど、結局何も言わなかった。
レンはどこに行ったのだろうか。マスターが迎えに来てくれたのだろうか。よくわからない。ただ、そうであれば良いと思った。
レンが居なくなってから、数日して、マスターがおれを呼んだ。曲が出来上がったらしいから、おれの調整をするとかで、おれはここ数日の不思議に沈んだ気持ちをどうにか持ち上げてマスターの元へ向かった。
調整は滞りなく進んで、マスターが疲れたからと休みを入れるためにいったん中止をした。
マスターは大きく伸びをして、それからふと思いついたようにパソコンを動かして、とある動画サイトを開いた。
「レン、こっちおいで」
「うん、どうしたのマスター」
何か面白いことでもあったのだろうか。すこし離れたところに座るマスターのもとへと近寄る。マスターは動画を開いていた。スピーカーの音量を上げて、動画に表示された再生をクリックする。音楽が流れ出した。
聴いたことの、──何度も聴いたことの、ある曲だった。