彼の歌声
だから、──今日またマスターが作曲しはじめたことも、おれにとっては喜ばしいことだった。マスターが作曲することも、のんびりと近辺を散策できることも。
午後になったばかりの空は抜けるような青で染め上げられていて、その中をゆっくりと、目映いまでの白さをたたえた雲が漂っている。コンクリートの街路を叩く靴の音は軽やかで、テンポを刻んでいるかのようだった。思わず走り出してしまいたくなるような、爽やかな心地がする。
気分はいつだって下がることを知らずに上がり続ける。こっそりと前にマスターから貰った歌を口ずさみながら、午後の誰も居ない閑静な住宅路を抜けていく。
小走りに住宅路を進むと、不意にコンクリートとは違う、土色の地面が見えるところがある。公園だ。
いつ行ってもおれ以外に余り人を見ない、閑静な公園。連なる住宅とは全く異質の空間がそこにはある。おれは小さく息を弾ませながら、公園内へと足を進めた。
所狭しと立ち並ぶ遊具が視界に吸い込まれる。遊ぶのは好きだ。マスターに、外出したらいつもどこに行っているのかと訊かれたとき、公園で一人で遊んでいると言ったら苦笑をされてしまったけれど。
今日はどの遊具で遊んでやろう、と一つ一つ遊具を吟味していると、ふと、視界の隅にいつもと違う存在が掠めた。視線を戻して、その存在を確認したとき、息がつまった。その存在、……人物もおれに気付いたようで、おれと視線を合わせて、ゆっくりと微笑む。
「こんにちは」
声が、放たれるのが聞こえた。おれではない。ということは発したのはおれと視線を絡めている人物ということになる。
「……こんにちは」
一字一句違いなく返した。相手はますます笑みを深くして、嬉しそうにする。
ベンチに座っているその相手の方へ、ふらふらと吸い寄せられるように近づいていく。歩を進めるたびに、彼の容貌や、座っているベンチの汚さがはっきりと視界にうつしだされてきた。
「……初めて見た。おれ以外の鏡音レン」
「ぼくも、初めて見たよ。はじめまして鏡音レンくん」
震えた声に、ゆったりとしたトーンで言葉が返される。目の前に座る人物──鏡音レンは、おれそっくりの顔で微笑んで、言葉を続けた。
「ぼくは、鏡音レン。レンって呼んでほしいな」
2.
「レン!」
「ああ、こんにちは、レンくん」